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珠景色の春風鈴  作者: 美珠夏/Mishuka
第5章 十七歳の目に映る景色
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奥汐咲温泉


 夜空の下、牛が足を止めた。

 大きな欠伸をしながら、青年が眠そうな声で呟く。


「着いたぞぉ」

 荷車から降りると、大きな建物が二人を出迎えてくれた。


 奥汐咲(おくしおさ)温泉 優海の郷(ゆうみのさと)


 山の奥にある温泉だが、宿泊が出来るのはこの旅館だけだ。小さな日帰り温泉施設が数カ所あるようだが、多くの客は優海の郷(ゆうみのさと)に宿泊しながら利用するらしい。

 汐咲(しおさ)の町からも距離がある為、ここまで来るのは一苦労だ。


「おーい、早く行こうぜ。温泉入るんだろ?」

「あなたも泊まるんですか?」

「泊まるも何も俺の家だ」

「え」


「この旅館を営むのは、俺の親父なんだよ。長男が後継者で、次男の俺は旅館の畑と雑務を任されている訳。だから、俺の家で合ってるだろ?」


 淡々と説明をしてくれた青年に、色歌(いろか)は驚きの表情を見せる。

 すると、青年は笑みを浮かべた。

「ここの次男だと知って態度を改める気か? 今なら許してやるぞ」

「あ、それは無いです」

「無いのかよ! 少しは考えろ」

「考えた結果、今日の宿泊料金を安くしてもらおうかと」


「ん……はぁ!? 何で! え、何で何で何で」

 大きな声を出した青年は、目を見開いたまま立ち尽くす。

「不快な思いをさせられたので、そのお詫びに」

「何でお前が決めるんだ」

「だめですか?」

 色歌(いろか)は可愛い顔を作って、軽く首を傾げて見せる。

 長い髪がふわりと揺れた。


「……わーったよ。特別だからな」

「ありがとうございます。ほら、小春(こはる)もお礼を言いましょう」

「ども」

 小春(こはる)が初めて放った言葉は、あまりにも短かった。

 たった二文字。感謝の言葉が夜の空気と戯れる。


「……ふふっ、あははっ」

 笑いを堪える事は出来なかった。

 そんな色歌(いろか)を見つめ、小春(こはる)と青年も表情を緩める。

「温泉、楽しみですね」

 旅館へと歩き出す色歌(いろか)の足取りは、疲れを忘れたように軽かった。



 青年の交渉によって、特別に宿泊料金が半額となった。

 旅館の二階にある個室へ案内された二人は、荷物を置いて浴場へと向かう。


 今日は女性の宿泊客が他には居ないようで、女湯はいつでも貸切らしい。

 汗をかいた身体を洗い流した後、二人は露天風呂へと直行した。


 篝火の灯りが揺れる水面に足先を触れさせ、ゆっくりとお湯に浸かる。疲れた身体を包み込むお湯の温もりが心地良くて、色歌(いろか)小春(こはる)は気の抜けた声を漏らす。


「ふわぁ、最高ですねぇ」

「ですねぇ」

 星空見上げながら入る露天風呂は格別で、至福のひとときを与えてくれる。

 見知らぬ土地を歩く緊張感からも解放され、二人の心も安らぐ。


色歌(いろか)さん」

「何です?」

栄一(えいいち)さんとは、どうなんですか?」

「なっ、何ですか、急に?」

「お付き合い出来そうです?」

 青年の前で一言しか喋らなかったのに、二人きりの環境になれば良く喋る子だ。

 人見知りをする小春(こはる)だが、心を許した相手の前ではいろんな表情を見せる。


「……さ、最近はあんまり話せていないので、特に進展もないです」

 動揺する色歌(いろか)を見て、小春(こはる)は楽しそうな表情で笑う。

「なるほどなるほど。栄一(えいいち)さんのどんな所が好きですか?」


「いやあの……えっと、かっこよくて、優しくて、清潔感があって、一緒に居るだけで幸せを感じられるというか……はい、そんな感じです……これで良いですか?」


 口元は緩み、顔も熱くなる。

 温泉を楽しむ前に、のぼせてしまいそうだ。

色歌(いろか)さんは、栄一(えいいち)さんの何になりたいんです?」

「何にというのは……?」

「どんな関係になりたいですか? って意味です」


「……お、お嫁さんになりたいです」

「きゃははっ、良いですね」

 色歌(いろか)を手玉に取る小春(こはる)は、もはや別の人格になってしまっている。

 質問攻めによって心の砦が陥落する前に、色歌(いろか)も反撃に転じる。


小春(こはる)は好きな人居ないんですか?」

「いません」

「結婚願望は?」

「あります」

「どんな人と結婚したいんですか?」

「おじいちゃんみたいな人」

「冗談ですよね」

「本気ですけど」

「え」

 水面に波紋が広がっていく。

 湯の音色だけが響く静かな場所で、二人は見つめ合う。

 そして、静寂に耐えきれず笑い出した。


 夜空の下に咲いた笑顔の花を、月明かりが優しく照らし出す。

 旅の思い出に花を添えるように――



 濃い一日も、もうすぐ終わる。

 既に消灯した宿泊部屋で、色歌(いろか)は天井を見つめていた。 

 明日に備えて早く寝たいのに、どこか心が落ち着かない。


 宮殿や屋敷以外の場所で夜を過ごすのは今日が初めてで、誰かと同じ部屋で寝るのも珠景姫(みかげひめ)と過ごしたあの夏以来だ。

 普段と違う環境に置かれた身体が、疲労と睡魔に抗っている。


小春(こはる)。まだ起きていますか?」

「起きてます」

 隣の布団に寝ている小春(こはる)は、色歌(いろか)の方に身体を向けた。

 色歌(いろか)は天井を見つめたまま告げる。

「明日、宮殿に帰ろうと思います」

「……旅はもう良いんですか?」


「今日一日で島民の意見を沢山聞けたので、旅の目的は十分に果たせました。予算的にもこれ以上遠くには行けないですし、宮殿に戻って次に進みましょう」


 分かりました。と隣で小春(こはる)が呟く。

 明日の予定が決まると、会話は途絶えてしまった。


 夜の静寂に包まれる部屋のなかで、色歌(いろか)は話題を探し始める。

 心が落ち着かない限り、今日は眠れそうにない。


 眠れずに朝を迎える事だけは、何としても避けたいのだ。

 静かな空気に寄り添うように、色歌(いろか)は小さな声で問いかける。


「……どうして、一緒に来てくれたんですか?」

 色歌(いろか)の素朴な疑問に、小春(こはる)は穏やかな表情で答える。


「いつまでも、子供で居たくなかったので」

 視線を天井に向けて、小春(こはる)は語り出した。


「姫様と過ごせた最後の夏、私は十歳でした。あの頃は今よりも分からない事だらけで、侍女として生きるだけでも精一杯だったんです。姫様が亡くなった時も、現実を受け入れたくなくて、ずっと泣いていました」


 でも。と小春(こはる)は続ける。


色歌(いろか)さんは違ったんです。一番辛いはずなのに、誰よりも冷静に行動していました。混乱する私達に寄り添ってくれて、大人達への説明もちゃんとこなして……泣かずに前を向く姿は、子供らしくありませんでした。大人だったんです」


「……お別れの時間を取れた私には、何も知らずにあの日を迎えた人達を支える責任がありました。冷静に行動出来たのは使命感に突き動かされていたからで、涙が出なかったのも前日に沢山泣いていたからです…… 小春(こはる)が思っているほど、私は凄くないですよ」


 色歌(いろか)の言葉に、小春は小さく首を振った。


「誰かの為に頑張れる人は、凄いです」


 返す言葉が無かった。

 隠れた心の傷を癒すように、小春(こはる)の言葉が沁み渡る。

 涙が込み上げて来た。


「あの夏、私が憧れた色歌(いろか)さんと同じ歳に、もうすぐなるんです。ずっと頑張ってきた色歌(いろか)さんを支える為に、私も大人になりたい。少しでも成長したくて、挑戦の一歩を踏み出しました」


 それに。と言葉を繋げる。


色歌(いろか)さんと一緒にお出かけしたかったので」

 小春(こはる)色歌(いろか)の方に視線を戻すと、あどけない笑顔を見せた。

 その可愛い顔を目に焼き付けたくて、色歌(いろか)小春(こはる)に目を向ける。


 涙で視界がぼやけてしまい、小春(こはる)の顔は良く見えなかった。

 目に溜まった涙を流さないように、色歌(いろか)は静かに目を閉じる。


「……ありがとう……」

 素直な想いを吐露した色歌(いろか)の心は、落ち着きを取り戻していた。

 慣れない環境による緊張も解れ、身体も疲労と眠気を受け入れ始める。


 小さな欠伸をした後、色歌(いろか)は少しだけ目を開いた。

 はっきりとは見えないが、隣には綺麗な顔立ちの少女が寝ている。

 微睡の中で、色歌(いろか)は穏やかな声で呟く。


「おやすみ……姉さん」

「おやすみ、色歌(いろか)。――夢の世界で会おうね」

 遠くから聞こえた声はどこか幼くて、不思議なくらい優しかった。


 或る夏の一日は、こうして幕を閉じた。

 希望に満ちた明日を迎える為に――



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