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珠景色の春風鈴  作者: 美珠夏/Mishuka
第5章 十七歳の目に映る景色
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汐咲の港町


 目指していた港町が見えてきた。

 海湾に沿うように建物が立ち並び、その向こうには小さな山が佇んでいる。


 澄んだ青空。光を照り返して輝く海。深緑に覆われた山。

 夏が似合う景色へと、船が近づいていく。

 島一番の漁獲量を誇る汐咲(しおさ)湾の港へ、二人は降り立った。


「まずは、ご飯を食べる場所を探しましょうか」

 初めて訪れた汐咲(しおさ)の町をゆっくりと歩いていく。


 潮の香りが漂う町は不思議と静かで、人の気配も感じられない。


「誰も居ませんね」

 これでは聞き取り調査どころか、昼食を済ませる事も出来ない。

 知らない土地を彷徨う事を避ける為に、玄関戸を開けている家を訪ねてみる事にした。


 玄関戸を軽く叩き、大きな声を発する。

「すみません。誰かいらっしゃいませんか?」


 色歌(いろか)の声が響いた後、家の奥から物音が聞こえた。

 玄関前で待っていると、腰の曲がったおばあさんがゆっくりと姿を現した。

 色歌(いろか)小春(こはる)がお辞儀をすると、おばあさんは嬉しそうに微笑む。


「若いお客さんだねぇ。珍しいこと」

 玄関先まで出てきてくれたおばあさんは、置いてあった木箱の上に腰を下ろす。

「今は私しか居ませんけど、何かご用でしたか?」


「お呼び立てしてすみません。近くにお食事を頂ける場所はありますでしょうか? 町を歩く方に聞こうと思っていたのですが、一人も見当たらなくて……」


「この時間は漁に出たり、他の町に出向いている人が多いからね。夜になれば賑わうお店も、この時間はどこもやってないねぇ」


「そうなんですね……教えていただき、ありがとうございました」

 色歌(いろか)が頭を下げると、小春(こはる)も同じように頭を下げた。

 そして、行く宛ても無いまま歩き出す。


「良かったら、うちで食べていくかい?」

 おばあさんの声が、色歌(いろか)を引き止める。


「……良いんですか?」

「ええ。狭い家だけど上がってって。今準備するから」

 おばあさんは、ゆっくりと家の中に戻って行く。

 残された色歌(いろか)小春(こはる)も、その後を追うように中に入った。

「「お邪魔します」」


 二人を居間に案内した後、おばあさんは台所に行ってしまった。

 手伝おうと思ったが、見透かされたように『座ってて』と言葉を残された。


 線香の香りがする和室には、一つの家族が生きた歴史が刻まれている。

 傷の入った家具。穴が開いたままの障子。無造作に積まれた日焼けした本。部屋の端で干されている古い着物。畳の上に転がる徳利。料理が並ぶのを待つちゃぶ台。


 御三家に生を亨けなければ、こうした環境で生まれ育ったのだろう。

 そんな事を考えていたら、おばあさんが二つの丼鉢を持って戻って来た。


「お待たせ。余り物で作った物だけど、腹の足しにはなるはずよ」

 ちゃぶ台に置かれた丼鉢を見て、色歌(いろか)は目を輝かせる。

 白米の上には、タコ、ヒラメ、エビの刺身が盛り付けられていた。


「ありがとうございます! 有り難く頂きます」

「あら、醤油が無いね。今持ってくるから」

 おばあさんは再び台所に向かうと、醤油と自分の丼鉢を持って戻って来た。

 三人で小さなちゃぶ台を囲い、手を合わせて食材に感謝を告げる。


「「「いただきます」」」

 まずは醤油をかけずに、海の幸を口へと運ぶ。

 食材が持つ本来の味を堪能した色歌(いろか)は、思わず笑みをこぼす。


「このお刺身最高ですね! 凄く美味しいです」

 黙々と食べているも小春(こはる)、いつになく幸せな表情で食事を楽しんでいる。

「喜んでもらえて良かった。ゆっくり食べてね」

 嬉しそうに微笑んだ後、おばあさんも昼食を取り始める。


 会話もせず食事を楽しんでいたら、あっという間に丼鉢は空になった。

 美味しい海の幸と白米は、色歌(いろか)の活力へと姿を変える。


 食べ終えた色歌(いろか)を見て、おばあさんは話を切り出す。

「二人は旅をしているのかい?」


 色歌(いろか)は自己紹介を済ませた後、この町を訪れた理由を話した。

 そして、珠景姫(みかげひめ)の死や長姫制度(おさひめせいど)に関する考えを聞きたいことも伝える。

 おばあさんは少し考えた後、思いを語ってくれた。


「この町の人々は、あまり関心が無いかもね。昔の長姫(おさひめ)は我儘だったし、御三家も横暴で身勝手だったから、不満を抱く人達も多かったけど……今はそうじゃないからねぇ。良くも悪くも、互いに干渉していない」


 島全体に長姫(おさひめ)の権力が及んでいた頃は、この地域の人々も長姫(おさひめ)や御三家の動向に注目していたはずだ。


 しかし、時代の変遷に伴い、長姫制度(おさひめせいど)に翻弄される人の数は減少の一途を辿る。

 御三家の目が届かなくなった町は、独立した自治活動が行えるようになっていった。

 漁業の町として栄えている汐咲(しおさ)には、そうした歴史的背景があるらしい。


咲月姫(さつきひめ)が島民に寄り添う統治をしてくれた事もあって、長姫(おさひめ)や御三家に不満を抱く人々は激減したの。今の平和な暮らしがあるのは、彼女のおかげね」


 島民の話を聞く度に、咲月姫(さつきひめ)の偉大さを思い知らされる。


 長姫制度(おさひめせいど)の話をして最初に出てくるのは、咲月姫(さつきひめ)の名前ばかり。

 珠景姫(みかげひめ)の事を語ってくれる人は、宮殿と関わりがある人だけだった。


 多くの島民は咲月姫(さつきひめ)の逝去と共に、長姫制度(おさひめせいど)という特殊な文化から乖離していたのかもしれない。


 珠景姫(みかげひめ)の死や長姫制度(おさひめせいど)に関心を抱く人が少ないのは、既に他人事になっていたからだ。


 あの夏に起きた前代未聞の大事件。

 十七歳の若さで長姫(おさひめ)に昇格し、島の未来を変える為に命を使った珠景姫(みかげひめ)

 その遺志を継ぎ、長姫制度(おさひめせいど)を終わらせようと奮闘する侍女達。


 今思えば、小さな箱の中で生きていたのだろう。

 時代の流れに取り残されていたのは、私達の方だ――


 色歌(いろか)が思考を巡らせている間も続いていたおばあさんの話に、再び耳を傾ける。


「――長姫制度(おさひめせいど)が無くても、多くの島民は変わらずに生活していけると思うよ。珠景姫(みかげひめ)が望んだ世界はすぐに実現出来る。頑張ってね」


 励ましの言葉を受け取り、色歌(いろか)小春(こはる)は頭を下げる。


「貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました」

「こちらこそありがとうね。頑張る若い子を見て、私も元気をもらいました」

 おばあさんは嬉しそうに微笑む。


「この後は、どこに向かうの?」 

「近くの町まで足を伸ばそうと思っていましたけど、場所は特に決めていないです」

「山の奥に温泉があるの。奥汐咲(おくしおさ)温泉。少し遠いけど、そこに寄ってみたら?」

「温泉……行きましょう、色歌(いろか)さん」

 小春(こはる)から期待の眼差しが向けられる。


 計画を立てずに出てきたが、今日はどこかに宿泊しなければならない。

 ここまでの移動で、足にも疲労が蓄積していた。


奥汐咲(おくしおさ)温泉には、泊まれる所もあるんでしょうか?」

「一番大きな建物が、宿泊も出来る温泉だよ」

「分かりました。今日はそこでお世話になろうと思います」

 奥汐咲(おくしおさ)温泉へ向かう事を決めた色歌(いろか)は、小春(こはる)に視線を戻す。

 小春(こはる)は目を輝かせながら、『やった』と嬉しそうに笑った。


「そろそろ行きましょうか。日が暮れる前には温泉に着きたいですし」

 色歌(いろか)が手を合わせたのを見て、小春(こはる)も姿勢を正して手を合わせた。

 昼食を作ってくれたおばあさんと、食材に感謝の思いを告げる。

「「ごちそうさまでした」」

「お粗末様でした」

 食器を片付けに行った後、おばあさんは玄関先まで見送りに来てくれた。


 最後に握手を交わし、二人は温泉を目指して歩き出す。

 潮の香りが漂う汐咲(しおさ)の町を出て、山の奥にある奥汐咲(おくしおさ)温泉へ。


 緩やかな坂道を少し上った辺りで、色歌(いろか)は後ろを振り返る。

 港町の向こうに広がる汐咲(しおさ)湾の海は、清々しいくらいに青く綺麗だった。


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