或る夏の原風景
原風景の中をゆっくりと歩く。
宮殿を出た後、神島家と侍屋敷家の両姉妹は目的も無く歩いていた。
姫として宮殿に住む珠景姫。
侍女として宮殿に住み込みで働く色歌。
本来の役目では無い侍女として、珠景姫に仕える事になった風瑚と舞風。
明日になれば、これまでの日常が終わってしまう。
そう思うと、この瞬間さえも切なく感じた。
何も言わずに歩き続ける三人も、同じように感傷に浸っているのかもしれない。
「……あのっ」
どこか重く悲しい空気を変えたかった。
快晴の夏空に似合うのは、清々しい笑顔だろう。
だから、今だけでも笑って欲しい。
素直な感情をぶつけ合えるのは、今日が最後だから――
「色歌」
名前を呼んでくれた人に目を向ける。
「ありがとね」
彩度の高い夏の世界で微笑む珠景姫の姿は、儚くも綺麗だった。
こんなにも、夏の景色が似合う人は居ないだろう。
思わず見惚れてしまい、色歌は頷く事しか出来なかった。
「最後にみんなで遊ぼっ!」
珠景姫は声を弾ませると、楽しそうに駆け出した。
その天真爛漫な姿に、咲月姫の面影が重なる。
咲月姫と過ごせた最後の春、色歌は素直に遊ぶ事が出来なかった。
だから、今日は遠慮無く遊びたい。
追いかけるのは、母さんではなく姉さんだ。
衝動に駆られた心に、身体も反応して走り出す。
「おい、色歌」
「ちょっと、置いて行かないでぇ」
風瑚と舞風の声を背中で受け取り、色歌は走りながら振り返る。
すると、二人もどこか楽しそうに走って来た。
子供らしく自由に過ごせる最後の夏。
田園風景の中を、四人の少女が駆けて行く。
「ひ、姫ちゃん、どこまで行くのぉ?」
舞風が息を切らしながら声をかけると、珠景姫は足を止めて振り返った。
「近くの小川で遊ぼうと思って。暑いから最高だよ、きっと」
「濡れて帰ったら怒られるよ」
風瑚の忠告に、珠景姫は清々しい表情を見せた。
「どうせ、何をしても怒られるもん」
「たしかに」
色歌は両手を蟹のハサミのようにして呟く。
すると、年上の三人が揃って笑いだした。
「ど、どうしたの?」
「可愛いなって、思っただけだよ……うん、ふふふっ」
口元を手で隠しながら、珠景姫は必死に笑いを堪えている。
風瑚も口元を緩めていて、舞風は両手で顔を隠して笑っていた。
ただでさえ、夏の日差しだけでも暑いのに、顔がポッと熱を帯びる。
「……も、もうっ! かにさん川に帰ります!」
珠景姫が目指していた小川を見つけ、色歌は再び走り出した。
小さな身体を全力で動かして、三人の手が届かない場所へと向かう。
呼び止めようとする三人の声は、蝉の鳴き声によって掻き消されてしまい、無我夢中で走る色歌には届かなかった。
雑草を踏みつけて跳躍した色歌は、青の水面へと飛び込んだ。
水滴が宙を舞い、太陽の光を浴びて輝く。
ひんやりとした流水が足を包み込み、熱った身体を冷やしてくれた。
「あははっ、つめたーい!」
無邪気な笑い声を響かせながら、色歌は流れ行く水を蹴り上げる。
後戻り出来ない状況だからこそ、心はどこまでも素直になれた。
本当はまだ子供で居たい。
だからこそ、この一瞬は不思議なくらいに幸せだった。
「捕まえたっ!」
珠景姫の声が聞こえた瞬間、大きな水飛沫が上がった。
水を全身に浴びた後、色歌は珠景姫に抱き寄せられる。
「帰る場所はここじゃないでしょ」
小川の浅瀬で抱き合う姉妹を、太陽が明るく照らし出す。
「やっぱり仲良しだねぇ」
「怒られても知らないから」
どこか微笑ましそうに見つめる舞風と、呆れた声で呟く風瑚。
珠景姫は色歌との抱擁を解き、遅れて来た二人に目を向ける。
「ほら、二人もおいでよ。気持ち良いよ」
珠景姫の提案に、風瑚と舞風は困ったように立ち尽くす。
そんな二人を見て、珠景姫と色歌は悪戯っ子のような笑みを浮かべて目を合わせた。
考えている事は一緒なのだろう。
手で川の水を掬い上げると、川岸に立つ侍屋敷家の姉妹に水をかけた。
「ちょっ!」
「きゃあっ!」
咄嗟に出た悲鳴が響いた後、四人の間に静寂が生まれる。
小川のせせらぎだけが聞こえる静かな空間で、最初に声を上げたのは元気な蝉だった。
滴る水を拭った風瑚は、何故か色歌の方に目を向ける。
目が合った瞬間、風瑚も色歌が居る方へ向かって小川に飛び込んだ。
再び大きな水飛沫が上がり、色歌は全身びしょ濡れになる。
「お返し」
風瑚は濡れた手で色歌の頬に触れると、ニッと笑った。
冷静で真面目な風瑚が入水した事で、舞風も割り切れたのだろう。
ゆっくりと水面に足を触れさせ、流水のなかを歩いて近づいて来た。
「私も遊びたい!」
舞風が声を弾ませると、珠景姫も嬉しそうに笑う。
「うん! みんなで遊ぼっ!」
明日になれば、今日よりも大人にならなければならない。
子供で居られる今を全力で楽しむ為に、無我夢中で遊び続けた。
少女達を見守る夏の太陽は、ゆっくりと帰路につく。
特別な夏の一日が、少しでも長く続くように――
夕陽に照らされた世界に、ひぐらしの声が優しく響き渡る。
お風呂上がりの色歌は、縁側に腰掛けて風を浴びていた。
潤いを得た肌に触れる風が心地良くて、ただ呆然と空を見上げている。
帰宅後、予想通り大扇に怒られたが、不思議と良い気分のまま過ごせていた。
何も考えずに遊べたのは久々で、あの時間は本当に幸せだった。
立場を気にして我慢したり、余計な事まで考えて遠慮したり。
子供で居られる時間を、色歌は自ら放棄していたのかもしれない。
だから、心の壁を壊してくれた珠景姫には感謝だ。
「姉さん」
部屋の中に居る珠景姫に声をかける。
しかし、反応が無く、色歌は部屋の方を振り返った。
濃い影が伸びる畳の上で、珠景姫は心地良さそうに寝ていた。
遊び疲れたのか、可愛らしい寝顔を晒してぐっすり眠っている。
色歌は立ち上がり、珠景姫の傍に寝転んだ。
「姉さん」
もう一度呼んでみるが、色歌の声は届かない。
夢の世界へと行ってしまった珠景姫を見つめ、色歌は穏やかな声で呟く。
「ありがとう」
感謝を告げ、そっと目を閉じる。
隣で眠れば、同じ夢を見れるかもしれない。
そんな淡い希望を抱きながら、色歌もゆっくりと眠りに落ちていく。
二人を起こさないように、夕陽も静かに姿を隠した。
或る夏の特別な一日と共に、幼少期の記憶も終わりを迎える。
幸せに満ちた時間は、過去に描いた思い出だった。
夢の続きは、どこにも存在しない――
《 読者の皆様へ 》
珠景色の春風鈴を読んで頂き、ありがとうございます❀.*゜
ここまでのお話はいかがでしたか?
色歌の幼少期を描く第4章はここまで!
物語はまだまだ続きますが、コメントや感想は大歓迎です! 気軽に送ってくださいね(*´꒳`*)
評価や良いねもお待ちしています!
幼少期の回想編、特にこの「或る夏の原風景」は
個人的に好きなシーンでもあります!
好きなシーンがあれば、是非教えてください(っ ॑꒳ ॑c)
次の章では、17歳になった色歌が登場します
第5章 もお楽しみに!
美珠夏/misyuka の宮本でした˙ᵕ˙ )ノ゛




