桜が咲き誇る景色
これは、咲月姫が生きていた時代の物語――
記憶に残る思い出の始まりは、桜が満開の季節だった。
淡い桜の花びらが舞う世界の中心で、色歌は母の姿に見惚れていた。
春色に染まる中庭を駆け回り、楽しそうに笑っている。
長姫として生きる彼女の名は、咲月姫。
十歳の珠景姫と、七歳の色歌を娘に持つ三十代の女性で、美しいよりも可愛いが似合う顔立ちをしている。
咲月姫は灰色がかった黒髪をなびかせながら、無邪気に逃げ回る珠景姫の事を追いかけていた。二人が通り過ぎた場所では、散った花びらがふわりと舞う。
「捕まえたっ!」
「きゃはははっ! あははっ!」
咲月姫に捕まった珠景姫は、どこか嬉しそうな表情で笑い声を響かせる。
母に抱きしめられている姉の姿を見て、色歌は寂しげな笑みを浮かべた。
長姫と姫。
大好きな二人は、特別な立場で生きている。
母と会う為に宮殿に来ても、自由に遊ぶ事が許されるのは珠景姫だけだ。
色歌もいずれは珠景姫の侍女となるが、その日を迎えるまではただの妹でしかない。
咲月姫は宮殿に住んでいるが、珠景姫と色歌はまだ神島家の屋敷に住んでいる。
母親と一緒に暮らすことが出来ず、会いに来ても色歌は我慢しなければならない。
それが私の日常だった。
誰かの為に我慢する人生は、生まれた瞬間から決まっていたのだ。
長姫の娘、姫の妹として生まれた色歌が背負う宿命なのだろう。
現実から目を背けるように、色歌は目を閉じた。
眠っていると思わせて、時間が経つのを待とう。
「おーい、色歌!」
遠くから名前を呼ばれた。
明るく元気な声の持ち主は、姉の珠景姫。
色歌の苦悩も知らずに声をかけてくる。
「起きて、色歌」
珠景姫の声が近くに聞こえ、ゆっくりと目を開ける。
色歌の顔を覗き込むようにして、珠景姫は笑顔を見せた。
「一緒に遊ぼう!」
喜びと困惑が、まだ小さい心の中で入り混じる。
「でも……私は……姫の妹だから」
「そんなの関係ないよ。だって家族じゃん」
「姉さん……」
「ほら、おいで!」
珠景姫が差し伸べてくれた手を取り、色歌も立ち上がる。
手を繋いだ二人は、青空の下を駆け出した。
色歌を導くように走る珠景姫の背中を見つめ、笑みをこぼす。
「どこ行くの?」
「怖い所かな」
「え! やだ!」
「冗談だって」
大きな声を出す色歌を見て、珠景姫は楽しそうに笑う。
桜の木を囲うように一周走った二人は、足を止めて呼吸を整える。
珠景姫は繋いでいた手を離すと、色歌の背中を押した。
一歩前に出された色歌は、驚いた表情で振り返る。
「……姉さん?」
珠景姫は微笑んでいた。
状況を理解出来なくて、色歌は困ったように立ち尽くす。
すると、突然後ろから抱きしめられた。
「色歌も捕まえた」
母の温もりに包まれた色歌は、どこか嬉しそうな声を漏らす。
「捕まったぁ」
一人の娘として、母親と触れ合う時間。
自分の立場ばかり考えて遠慮して来たが、本当は誰よりも求めていたのかもしれない。
だからこそ、母の愛を感じられるこの一瞬が幸せだった。
「私、綺麗なお花探してくるから、色歌は母さんと遊んでて」
珠景姫は小さく手を振ると、どこかへ走って行った。
それが優しさ故の行動だと分かった瞬間、心がぽっと温かくなった。
咲月姫と二人で過ごす時間を作れるように、あえてこの場から離れてくれたのだろう。
姫が居る場所では、母に甘える事さえ遠慮してしまうから。
色歌の考えを理解した上で、色歌の為に行動してくれた。
それが嬉しくて、姉さんの事を更に好きになる。
「良いお姉ちゃんだ」
嬉しそうに呟いた咲月姫は、色歌の頭を優しく撫でた。
春の優しい風が、桜の花びらを散らして遊ぶ。
「お菓子食べる人?」
「食べる!」
咲月姫の提案に、色歌は元気に手を挙げた。
花見をしながらお菓子を食べる時間は、至福のひとときだろう。
目を輝かせて歩く色歌の姿を、咲月姫は微笑ましそうに眺めていた。




