雨過天晴
静寂が二人の間を通り抜けた後、小汰郎がぼそっと呟く。
「姉ちゃん達は元気か?」
「ええ。二人とも元気にしていますよ」
色歌の言葉を聞いて、小汰郎は安堵の笑みを浮かべた。
小汰郎も、長姫制度のせいで苦しむ一人なのだろう。
珠景姫と色歌が母と別の場所で暮らす事を強いられたように、小汰郎も年の近い姉と離れた生活を送る事になってしまったのだ。
家族と仲が悪い人にとっては最高でも、仲が良い人にとっては最悪だ。
どんな制度や文化も、結局人を選んでしまう。
誰もが幸せになる世界など、そもそも存在しない。
長姫制度が無い世界を実現しても、また別の理由で辛い思いをする人が生まれる。
幸せの平等は、人類史における終わり無き戦いの一つだ。
それを分かった上で、実現したい世界がある。
姉さんが夢見た世界は、きっと多くの人が幸せに暮らせるはずだ。
「長姫制度が終われば、また一緒に暮らせるようになりますから」
「大人になってからじゃ、意味ないぞ」
「分かっていますよ。出来るだけ早く実現しますね」
子供らしい直球の意見を受け止め、色歌は再び前を向いた。
ゆっくりと立ち上がり、部屋を出て階段を降りていく。
いきなり帰路に着こうとする色歌を追いかけ、小汰郎も階段を駆け降りてきた。
「あ、色歌さん!」
一階の廊下で声をかけてきたのは、宮殿に居るはずの小鈴だった。
いつものように、無邪気な笑顔で手を降っている。
そんな小鈴に、後から来た小汰郎が声をかける。
「鈴姉ちゃん!? 何で居るんだよ」
「色歌さんに用があって」
「私ですか?」
「見せたい物があるんです。一緒に来てください! 小汰郎も来て良いよ」
小鈴が案内してくれたのは、奥の小さな和室だった。
戸を開け、色歌は部屋に足を踏み入れる。
すると、桜を描いた綺麗な絵が出迎えてくれた。
説明されなくても分かる。
これは姉さんが描いた絵だ--
「どうして……」
言葉を失ってしまう。
あの事件の日。
大扇によって、珠景姫の絵は全て消失したと思っていた。しかし、一枚だけ傷がつく事なく残っている。
目の前の光景が信じられない。
「姫様の絵を持っていく人達を見て、嫌な予感がしたんです。でも、移動させるだけかなとも思って、ただ見ていました。そしたら、その絵も持っていかれそうになって、気づいたら声をかけてました」
小鈴はその時の会話を再現してくれた。
「そ、それ私のです!」
「これは姫様が描いたやつでしょ?」
「あ、えっと……一緒に描いた絵なので、私のなんです」
「そうなの……? じゃあ、返したほうが良い?」
「はい!」
大扇に指示をされた人が優しくて良かった。
問答無用に運び出されていたら、この絵は今を生きていない。
「宮殿の中だと危ないので、父様に頼んでここに持って来たんです」
「だから、無事だったんですね」
色歌は小鈴を抱き寄せた。
「ありがとう……本当にありがとうございます」
二人が抱き合う様子を、小汰郎は何も言わずに見守っていた。
そして、ゆっくりと抱擁を解き、色歌は告げる。
「この絵は、小鈴が持っていてください」
「え、でも……」
「私は姉さんと一緒に絵を描く時間を過ごしていないですし、その絵が完成した瞬間も知りません。それに、姉さんが生きた証を小鈴にも持っていて欲しいんです」
珠景姫と双子姉妹があの夏に残した特別な思い出。
その欠片すら、色歌は知らない。
珠景姫が一緒に絵を描いたのは、小春と小鈴だけだった。
この絵の価値を知る人にしか、本当の意味で大切に出来ないだろう。
悩む小鈴に、色歌は珠景姫の口調で告げる。
「これは小鈴にあげるね」
たった一言。珠景姫の声が聞こえた。
二人の耳に懐かしい声が広がっていく。
本当は色歌の声だと小鈴も分かっているはずだ。
それでも、あの夏を最後に失われた声で告げられた言葉は、小鈴の心を動かす。
「ずっと大切に守ります!」
「うん! ありがとう」
珠景姫と色歌の思いを重ねて、感謝の言葉を届ける。
小汰郎が不思議そうに見ている事で、改めて実感した。
あの夏と珠景姫を知るのは、私達しか居ない――




