島の疫病神
数分の時が経ち、大扇は手紙を座卓に置いた。
そして、少し考えてから口を開いた。
「……この島を出て行こうと思う」
また信じられない言葉が耳に届く。
冷静さを保つ心に、じんわりと恐怖が滲み始めた。
「何故、ですか?」
「もう居るべきでは無いのだろう。亡くなった嫁と娘。そして、これから幸せになるべき色歌の事を考えれば、この島から姿を消した方が良い」
「それだけではないですよね?」
「……ふん。十五の娘とは思えないくらい完成されているな、お前の脳は」
大扇は苦笑を浮かべると、いつものように声を張って喋り出す。
「田舎過ぎるこの島に魅力を感じない。あの程度の怪我で本州の病院へ出向いたのも、数少ない観光の機会を作れると思ったからだ」
大扇という名の疫病神は本州を旅して、近代化が進む都市に目をつけたのだろう。
島一番の欲深い男だが、最近は現状に満足しているように見えた。
長姫制度がある姫奥島では、『長姫の夫』かつ『姫の父』という立場は最強だ。
自分が無能であっても権力を握れる立場にあり、ある程度の欲は満たす事が出来る。権力を握れている限り、新しい環境を望んだりはしない。
ただ状況が変わった。
咲月姫は早くに亡くなり、頼みの綱である珠景姫も長姫制度に抗って命を絶った。
もう最強の立場じゃない。
長姫制度が撤廃となれば、御三家である強みも無くなってしまう。
仮に次の姫が決まったとしても、それは神島家の血筋では無い。
どう足掻いても、大扇が再び権力を握る日は来ないのだ。
だから、自分が欲を満たせる場所へと向かうのだろう。
「お前を捨てて、私は東京に移住する」
大扇は突き放すように言葉を吐いた。
色歌の目から涙がこぼれ落ちる。
それを見た大扇は笑みを浮かべると、追い討ちをかけるような言葉を並べ始めた。
「神島家の財産は全て持っていくからな。誰かに養ってもらうか、必死に働いて暮らせば良い。お前の来ている着物や、その綺麗な髪も売れば金になるぞ。それこそ、お前が好きでたまらない珠景姫の私物も良い値がつくだろう。哀れな少女になるのは、お前の姉が長姫制度を終わらせようとしたからだ。あいつを恨め。良いか? 分かったか?」
涙を拭い、色歌は大扇に目を向ける。
「分かりました。ただ、一つだけお願いがあります」
「ふん。私も連れて行けとは言わせないぞ」
「言いませんよ」
そっと笑みを浮かべた色歌は、父に対する最後のお願いを口にした。
「長姫神社の宮司である祖父・扇寿朗に、多額の支援をお願いしたいです。後継者も不在で、長姫神社の存続も厳しいでしょうから、残りの余生を過ごせるくらいの支援をしていただきたいです。あなたの父親なんですから、それくらいはしてただけませんか?」
予想外のお願いに、大扇はぎこちない笑みを浮かべた。
「珍しくまともな事を言いおって……ふん。島を出る前に渡しに行く」
「ありがとうございます」
「話は終わりだ。親子の縁も、父親としての役割も全て今日で終わりだ」
「はい」
幸せです。
「今までお世話になりました。どうか、お元気で」
本音とは逆の言葉を声に出し、色歌は深々と頭を下げて笑みを浮かべる。
ご機嫌な足取りで色歌の横を通り過ぎた大扇は、障子を開けて部屋を出て行った。
階段を降りる音が聞こえなくなってから、色歌はゆっくりと頭を上げた。
目から溢れ出した涙が頬を伝っていく。
「…… 色歌」
名前を呼ばれて振り返ると、心配そうに見つめる小汰郎と目が合った。
立ち尽くす小汰郎に、色歌は意地悪な質問を投げかける。
「今の私、どんな顔してますか?」
「あ、いや……えぇ」
小汰郎は困った表情で少し考える。
そして、どこか不安げに呟いた。
「なんか、嬉しそうな顔してる」
「ふふ。正解です!」
こんなにも嬉しい事はない。
大嫌いな人が勝手に居なくなるほど、楽な事はないのだ。
涙を拭いながら、色歌はある人を探す。
「ところで栄一さんは?」
「くそじじぃの付き人なんだから、嫌でもついていくに決まってんだろ」
「確かにそうですね」
「色歌って馬鹿なの?」
「ずっと気になっていたんですけど、せめて『さん』か『ちゃん』はつけてください。あなたのお姉ちゃんよりも年上なんですよ?」
「嫌だよ」
「わがままですね。色歌って呼んでいる間は話してあげませんから」
ぷいっと顔を背ける。
「頑固すぎだろ…… 色歌? おーい、色歌」
無言を貫き通す色歌を見て、小汰郎はため息をこぼす。
「んだよ、めんどくせねぇな…… 色歌ち……ちゃん」
「はい! 色歌ちゃんですよ!」
「あぁ、もう! やっぱり嫌だっ! 無視されても『色歌』って呼び続けるからな」
「仕方ないですね。特別ですよ」
「と、特別?」
「何で嬉しそうにするんですか」
「してねぇーよ!」
小汰郎は視線を逸らして、口を尖らせた。
静寂が二人の間を通り抜けた後、小汰郎がぼそっと呟く。
「姉ちゃん達は元気か?」




