夏の続きを探す日々
姫奥島の歴史に刻まれた夏が終わった。
珠景姫が居ない世界を、今日も色歌は生きている。
中庭を彩る桜紅葉も美しく、秋の青空に良く映えていた。
冷たい空気が通り抜ける廊下を歩き、色歌は珠景姫の部屋へと向かう。
「ご飯の時間ですよ。起きてますか?」
部屋の中に入ると、空気が寂しそうに笑っていた。
珠景姫の姿が見当たらない。
「あれ……姉さん? どこ行っちゃったんですか?」
畳の上を歩き、部屋の中を探し始める。
「…… 色歌さん」
廊下の方を振り返ると、小春が心配そうにこちらを見つめていた。
「小春。姉さん見てませんか?」
「あ……だって」
言葉を詰まらせた小春の代わりに、後から来た舞風が声を出す。
「色ちゃん。もうお姉さんは……」
視界がぼやけた後、ゆっくりと鮮明になっていく。
色歌の目は、ようやく現実を認識した。
「……そうでしたね。姉さんはもう居ませんでした……」
消え入りそうな声を漏らし、色歌は困ったように微笑む。
そして、逃げ出すように珠景姫の部屋を後にした。
色歌の背中を追うように、小春と舞風の言葉が聞こえてきた。
「大丈夫でしょうか?」
「ずっと我慢して来たからね。今は一人にしてあげよう」
声は届いているのに、今は聞こえなかった。
一人になりたい気持ちと、孤独になりたくない気持ちがぶつかり合う。
姉さんの想いに応える為に。珠景姫の命を無駄にしない為に。今日まで色歌は小さな努力を重ねてきた。
長姫制度を撤廃して、珠景姫が夢見た世界を実現する。
たった一つの仕事なのに、何も成果を上げられていない。
本当は、どうしていいか分からないのだ。
何から始めれば上手くいくのか。どう立ち回れば綺麗に終わらせる事が出来るのか。
考えれば考えるほど、不安と悩みが増殖してしまう。
未熟な自分が情けなくて、頭を抱えたくなる。
でも、私はまだ十五歳になったばかりだ。知識や経験も圧倒的に不足していて、歴史を変える大役はあまりにも荷が重すぎるのかもしれない。
そんな言い訳をしてしまう自分に嫌気がさす。
あの夏、姉さんを必死に止めれば良かった。
こんな未来を迎える事くらい想像出来たはずなのに、色歌は無意識に拒んでしまったのだろう。珠景姫の意思を否定する勇気も無く、辛くても受け入れるしかなかった。
今更後悔しても、姉さんは帰って来ない。
どんなに待っていても、再会は果たせないのだ。
残された色歌に出来ることはただ一つ。
珠景姫に託された『長姫制度の撤廃』を実現することだ。
姉さんがきっかけを作ったあの夏から数ヶ月が経った今、状況は何も変わっていない。
長姫と姫が不在という空白の期間が生まれただけで、前に進めていない。
早く先手を打たなければ、御三家が新たな姫候補を決めて動き出してしまう。
でも、色歌はまだ動けなかった。
根付いた文化を根底から覆す戦略も無ければ、運命に抗う勇気も湧かなかったから。
辛く寂しい時間だけが過ぎていく。
紅葉が美しいのは、ほんの一瞬だ。
見頃を迎えてから数日が経てば、寂しい見た目に変わってしまう。
これから迎える冬に備えて、地面は落ち葉の布団を掛けて暖を取り始めた。小さな生き物たちも、冬を越す為に姿を消してしまう。
冷たい秋風が吹くなか、色歌は長姫神社に来ていた。
赤や黄色に染まった落ち葉の上を歩きながら、夏祭りの事を思い出す。
寂しげな空気が漂うこの場所も、あの日の夜は多くの人で賑わっていた。祭りの雰囲気に酔いしれる人々の中に、姫と侍女達も紛れ込んでいた。
お忍びで遊びに行った思い出は、一生の宝物だ。
夏祭りへ足を運ぶ度、あの日の事を思い出すのだろう。
思い出に溢れた夏景色も、紅葉の絨毯の下に隠されてしまった。
落ち葉をかき分けても、見つける事が出来ない特別な時間。
あの夏はもう帰って来ない。
そう思うと、やっぱり胸が苦しかった。
「祖父爺?」
「何じゃ?」
社殿の中を掃除していた扇寿朗に声をかけると、手を止めて色歌の隣に来てくれた。
境内の景色を眺めながら、色歌は素直な思いを吐露し始める。
「長姫制度を撤廃する事って可能なのかな?」
「不可能ではないはずじゃ」
「……どうしたら良いと思う?」
「ふむ……難しいのぉ」
「祖父爺の考えを聞きたい」
色歌のお願いを聞いた扇寿朗は、真剣な表情で考え始める。
しわしわのおじいちゃんだが、本当は凄い人だ。
扇寿朗は長姫神社の宮司になれる血筋では無い。
姫や侍女と同様に、長姫神社の宮司も御三家から選ばれる。長男は家を継ぐ役割がある為、次男の中から選ばれる事が多い。
しかし、扇寿朗と同世代の次男がどの家にも生まれず、御三家が優秀な人材を選んで、宮司を任命する事になった。その時任命されたのが扇寿朗だ。
高齢になっても変わらず宮司を務めているのは、これまでの功績を御三家が評価しているからだろう。神島家の当主である大扇の父である事も、理由の一つかもしれない。
「現実を知る事じゃ。島の民が長姫制度に対してどう考えておるか、珠景姫の死をどう受け止めておるか。宮殿の関係者や御三家の意見だけでは、制度を変える事は叶わん」
扇寿朗は話を続ける。
「代表を納得させれば物事は決められる。だが、その決断に賛同するかを決めるのは島民じゃ。島民の心を動かせない限り、根付いた文化を変える事は出来んじゃろ?」
真剣な表情で色歌は頷く。
「どんな時代でも、何かを変える為に頑張るのは一般の人々だ。個々の力は小さくても、一つになれば大きな力になれる。その先導役を色歌が担えば良い」
扇寿朗は色歌の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「失敗を恐れずに進み続ければ、どんな茨の道にも終わりが来る。信じて進み続けた者にしか見えない景色があるんじゃ。その景色を二人で見に行きなさい」
「……二人?」
「長姫制度の撤廃は、珠景姫の願いなんじゃろ? だから二人だ」
涙が溢れそうだった。
そう。これは姉さんが私に託した夢だ。
色歌にしか叶える事が出来ない。
珠景姫の想いが色歌の心の軸となる。
「ありがとう。祖父爺」
「明日の自分が今日より成長していれば良い。そうすれば、いつか夢を叶える力を手に入れる事が出来るはずじゃ」
「うん。頑張ってみる」
呼吸を整えて色歌は立ち上がる。
祖父がくれた勇気を受け取り、孫は再び歩き出した。




