八月八日の夜
宮殿に戻ると、大扇が仁王立ちで待っていた。
侍女達が慌てて御神体に向かった事で、何かを悟ったのだろう。
「おい、色歌。珠景姫はどうした?」
「姉さんは、死にました」
「……馬鹿な事を言うな。どうせ、逃げ出したんだろ。早く連れ戻せ」
「もう帰って来ませんよ。死んだって言いましたよね?」
「目撃した奴は居るのか? 証拠も無いのに、信じる訳ないだろう」
ふんっと大扇は鼻を鳴らす。
すると、栄一が一歩前に出た。
「姫様は御神体近くの大穴に自ら飛び込み、帰らぬ人となりました……私と、島民数名、そして色歌さんがその瞬間を見ています」
栄一の証言を聞いて、大扇は怖い顔で呟く。
「……本当なのか?」
「はい。姫様より、皆様に伝言を預かって参りました。『長姫制度は今日を持って廃止にする。珠景姫は最後の姫になった』と」
「ふざけるなっ! 何が長姫制度の廃止だ、馬鹿馬鹿しい。最後の姫になれる訳がないだろう。出来損ないの娘だ。長姫の器が無いから逃げ出したんだろう。自分の価値すら理解出来ない女に、島の長が務まる訳が無かったんだ」
大扇は大声で怒鳴ると、色歌に目を向けた。
「死の瞬間に立ち会った奴が何人も居るのに、何故誰も止めなかった。特にお前だ色歌。職務放棄しやがって。お前は何の為に、生まれてきたんだ。姫を見張る為だろっ!」
何か大切な糸が切れる音がした。
心の底に沈めていた憎悪の感情が込み上げてきて、猛毒に満ちた言葉が脳から剥がれ落ちる。毒の支配を身体が拒むように、溢れ出るままに言葉を吐き出した。
「あなたの価値観を私達に押し付けるな! 姉さんの幸せを守る為に、私は生まれて来たんだっ! 大人の道具になる為じゃない!」
まだ収まらない。
「権力に溺れた出来損ないの父親さえ居なければ、姉さんも、私達侍女も辛い思いをしなくて済んだんです。あなたが居ない世界なら、どれだけ幸せだったか……まあ、言っても分からないですよね。自己中心的な考えのあなたに、頑固で多様性に適応出来ないあなたに理解出来る訳がない。だから、教えてあげます」
冷え切った表情のまま笑みを浮かべ、色歌は殺意を纏った声で告げる。
「あなたが消えれば良かったんですよ。先に死ぬべきだったのは大扇、あなただった」
「言いたい放題言いやがって、この馬鹿娘がっ!」
拳を握りしめて走り出した大扇は、猛獣のような形相で色歌に殴りかかる。
傍観者に徹していた宮殿関係者も慌てて止めに入り、栄一は色歌の前に出て守ってくれた。他の男性に止められても尚、大扇は暴れて進もうとしている。
「放せ、あいつも殺してやる!」
「娘を大切に出来ない人は親失格です。何で、最後まで残った家族があなたなんですか? 姉さんを苦しめて殺したのはあなたでしょ? 私も殺すんですか? 咲月姫、珠景姫、色歌。あなたが少しでも愛した人達は、あなたのせいで死んだんですよ」
母である咲月姫の名前を出した途端、大扇は暴れるのを止めた。
そして、力が抜けたように、膝から崩れ落ちる。
「……うおぅ、ぐふぉおああぁぁぁあ、うおぉぉぉお!」
突然、大声をあげて泣き出した大扇は、握りしめた拳で地面を殴りつけた。
大扇を押さえていた大人達は、暴れ出さないか注意しながらその姿を見下ろしている。
「だぁぁぁあ、咲月姫ぇぇ。珠景姫ぇぇ、色歌ぁぁ……」
家族の名前を叫び、大扇は泣き続けた。
「私はまだ生きてますけどね」
大扇が泣き崩れる姿はあまりに滑稽で、色歌は苦笑を浮かべる。
まだ言いたい事はあるが、今はこれ以上刺激しない方が良いだろう。
色歌は栄一と共にその場を離れ、宮殿へと戻った。
当面の間、大扇と色歌の接触は禁じられるだろう。
獣の咆哮のような泣き声が響くなか、姫奥島は夜に呑まれていく。
八月八日はまだ終わらない。
多くの涙が降り続けた夜。
宮殿が消灯された後、ようやく一人になる事が出来た。
双子姉妹に寄り添ったり、宮殿関係者への説明責任を果たしている間に夜も深まってしまった。もうすぐ、八月八日が終わってしまう。
寂寥感に苛まれる色歌は、部屋の隅で蹲っていた。
珠景姫が残した手紙を見つめ、暗闇のなかで小さく息をする。
姉さんの想いに触れるのが、今は少しだけ怖かった。
それでも、最後に残してくれた言葉を知りたくて、色歌は手紙を開く。
珠景姫の文字を月明かりが照らし出す。
最愛の人に想いを馳せながら、色歌は手紙を読み始めた。




