すれ違う二人
今日の隆は、珍しく夢を見なかった。
「あの人が来たから、夢では会えないのかな…」
もちろん、あの男性が誰なのかは、誰かに聞けば分かる事なのだが、隆は不思議とそれをしなかった。
隆は今日も紗佳と登校していた。
「やっぱり、まだ思い出せないの?」
紗佳は珍しく隆の顔を覗き込んでくる。
「思い出すって何を?」
「昨日、渡辺邸に来た時何もなかったの?」
「そうだ、もらった万年筆!」
隆はポケットの中から万年筆を取り出した。
「まだあるのかって不思議に思ったよ。でも、どうしてそれが分かったんだろう…」
隆は未だにその理由が分からなかった。
「隆!紗佳!」
すると、桜弥と真莉奈が二人を走って追いかけてきた。
「おはよう、二人とも」
「二人で渡辺邸に行ってたんだろ?」
「どうしてその事を…」
すると桜弥は、あっ、と声を上げた。
「まぁ、俺の事は良いからさ。」
「そういえば、どうして急に消えたの?」
「それは…」
「何か思い出したの?」
「分からない…、だけど不思議だったんだ。あの家には初めて来たはずなのに、まるで昔そこに住んでたみたいなんだ。ただ、お母さんに聞いてもそれは分からないって。」
「そっか…」
隆は授業を聞きながら、万年筆を眺めていた。それはかなり古いものらしく、黒い軸も金色の縁もところどころ汚れていた。今になって、何故それを持って帰ったのかが分からなくなった。それでも、何となくそれが自分のもののように思えるのだ。
休み時間、隆はその万年筆で何か書いてみる事にした。
だが、古すぎるせいかキャップを開けてもインクは出ず、乾いたおとが音がするだけだった。
本体を開けて見ると、一般的なものや子供向けの万年筆で使われているカートリッジ式ではなく、コンバーター式のものだった。カートリッジ式とは、万年筆専用のインクが入ったカートリッジを差し替えて使うもので、その会社のものしか使えない代わりに、便利という利点がある。一方、コンバーター式は、昔ながらのタイプで、インクの瓶から直接吸い上げて使うものだ。自分で好きなインクが使える代わりに、手入れが色々大変である。
隆は、そんな事は知らなかった。そこで、放課後に校長先生に会いに行き、聞いてみる事にした。
「校長先生、これ、どう使えば良いんですか?」
校長先生は、隆のような子供が万年筆を持ってきた事に驚いていた。
「これ、中々良い万年筆じゃないか?どうして君が…」
「何となく、僕のものだったような気がするんです…」
「…貸してごらん?」
校長先生は、校長室に入ると、コップの中に水を入れ、持ってきた。
「コンバーターの万年筆も持ってるからね、一応慣れてるんだ。」
「流石校長先生!」
「いや…、ある人に憧れて、買った事があるんだ。」
校長先生は瓶に入ったインクも持っていた。
「スポイトの話は習ったよね?それと同じようにここからインクを吸い上げるんだ。」
校長先生は慣れた手付きでコップの中にコンバーターとペン先を入れ、何度か吸い上げ、吐き出した。コップの中の水は一気に黒くなり、水が綺麗になるまで続けられた。
その後、瓶に入ったインクを吸い上げ、綺麗に拭き取った。
「ありがとうございました!」
「いや、僕が出来る事をしたまでだよ」
隆は家に帰って、その万年筆を使ってみた。小学生で、普段ボールペンも使わないが、万年筆は、ボールペンとも、サインペンとも似つかない書き心地で、最初は慣れなかった。だが、だんだん慣れてくると、色々なものをこれで書いてみたいと思い、裏紙を持ってきては、様々なものに書いていった。
「なんか…、良いなぁ。昔もこんなふうに…」
隆の頭の中に、いつかの光景が思い浮かんできた。その中の自分は、本に何かを万年筆で書いている。
「昔の僕…、」
隆は手帳を取り出して、色々書き始めた。書けば書くほど懐かしくて、それでいて苦しいような、不思議な気持ちに陥る。
だが、本当に思い出したい事は思い出せないのだ。隆自身も、思い出したいのかどうかは分からない。
もやもやとした気持ちを抱きながら、それでも隆はいかなければいけないのだ。
その次の日も、夢は見なかった。あの人の力が弱まってるんだろう。隆はそう考えていた。
万年筆は常に持っておく事にした。理由は分からないが、持っていると、不思議と落ち着くのだ。
帰り道は紗佳と一緒に帰っていた。
「やっぱり…、まだ思い出せないの?」
「うん…、結局紗佳の事を愛するべきか、憎むべきか分からないんだよね…。ただ…、昔の僕もなんか似た事があった気が…、だから………」
隆が赤く身開いた目で紗佳の方を見た。
「死んだら、何もかも終わるんだよね?」
「そんな…、まだ私の事を思い出せないの?!」
「思い出すって…、紗佳の何をだ?いい加減苦しいんだよ、だから…」
「私の事を思い出すまでは絶対に死なないから!」
「これでもか?」
隆は何処からともなくあの刃物を取り出した。右手にはいつの間にかロープが巻かれてある。
「そんな…、もうやめて!」
「なぁ、紗佳、その血を一身に浴びさせてくれよ」
「隆君、もうやめて!」
その時、真莉奈が現れ、鎌で刃物とかち合った。
「分かんない…何でそんな事するの?紗佳ちゃんに手を出さないで!」
「うるさい…、俺の問題に手を出すな!」
「あっ!」
隆は真莉奈を押し切り、遂に紗佳の胸に刃物を突き刺してしまった。
「やっと終わったか…」
返り血を浴びた隆は穏やかな表情をして、その場を去った。それとは反対に、真莉奈は慌てていた。
「そんな…、紗佳ちゃん!」
真莉奈は急いで家から救急箱を持ち出すと、紗佳の傷口を拭き取って消毒し、包帯で巻いた。
「救急車、呼んだ方が良いのかな…生存確認しとかなきゃ、『死神の砂時計』」
真莉奈が手をかざすと、銀色の砂が入った砂時計が現れた。それは普段、人間の寿命を示すものだが、紗佳の前に現れた砂時計は…、砂が止まっていた。
「そんな…、そんな事って、紗佳ちゃん!」
真莉奈はなんとかして紗佳を目覚めさせようとしたが、起きそうにもない。
「なんて…、死んでる人にやっても意味ないよね…。お父さんが言ってた…、人間を助けるのも死神の役目だって…、だけど、目の前の友達も助ける事が出来なかった。私が半端者の死神だったせいだ………。」
真莉奈の目からは涙が溢れ、紗佳の顔を濡らしていった。
「ごめんね、紗佳ちゃん………。」
真莉奈はしばらくの間、そこから動く事はなかった。
智は死神の仕事で、山を超えようとする魂を導いたり、悪霊や怪の討伐をしたりしていた。
その帰り道、小さな魂が行き場を無くして彷徨っているのを見かけた。
「これは…」
智はすぐにそれが紗佳から抜け出した魂である事が分かった。
「だが、どうしてこんな所に…」
智はそれを魂のランタンに入れ、持ち運んでいると、上から聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「お前は…、シェイル?!」
「智、何でこんな所に居るんだ?」
シェイルは肩につくくらいの長さで右脇を三つ編みにした銀髪に傘を被り、水色の着物に灰青色の袴と灰色の羽織を着て、木の上で寝そべっていた。
「何って…仕事の帰りだよ。そっちこそ、何してるんだ?」
「ああ…、休暇をもらってね。現世に遊びに来た所さ、君は何故あの魂を持ってるのかい?」
「これは…、俺の娘の友達の魂なんだ。きっと何かが起こってるのだろう。あいつは…、記憶が蘇ってない、だから、まだ死なせてはいけない。」
「そうか…」
シェイルは木から下りてきた。
「急いでるんだ、早く肉体に魂を戻さないと…」
智が行こうとしたその時、真上から巨大な怪が現れた。
「お前は…、デカか…。」
シェイルが片手で振れる大きさの氷の鎌を取り出した。
「智…、用があるんだろ?ここは僕が食い止める。」
「ああ…、分かった」
智は紗佳の魂が入ったランタンを持って、急いで行ってしまった。
「…やれやれ、全く…、智はお人好しな死神だな。だが、それが智の持ち味であり、現世でずっと生きてた証なのかな…。」
シェイルはデカの方を向くと、鎌を構えた。
「お前は冥府神霊の一人、デカだったな?また人の、華玄の魂を狙ってるのか。その罪…、死神の刃に触れ、川に流すべきだな。」
するとデカは腕を肥大化させた。
「我にそんな大口を叩くとは…、とんだ死神がいるもんだ。」
デカはその腕をシェイルに向かって振ってきた。
「おっと…」
シェイルはそれを鎌で受け止め、振り返した。
「『霊氷槍』!」
シェイルから氷の槍が放たれ、デカの身体を突き刺し、凍らせた。
「デカの能力はあらゆるものを肥大化させる…、だが、どうやら力の源は腕にあるらしい、だから…そこを封じれば!」
デカは身動きを取ろうとしたが、自分の力で氷がますます肥大化し、動けない。
「勝負あったな…『白雹雪華』!」
「ここで終わってたまるか…『触手膨大』!」
デカは肥大化した氷をシェイルにぶつけ、抜け出した。更にデカは、シェイルの鎌をも肥大化させてしまった。
「あっ…」
「俺が肥大化出来るのは身体だけじゃないさ…」
「くっ…ならばその力を水で洗い流すまでさ、『三途の激流』!」
シェイルが呼び出した水は鎌を元に戻し、更にはデカを流していった。
「『霊氷矢』!」
そして、シェイルはデカを一気に氷漬けにし、そのまま砕いて消滅させた。
「僕がただの死神と見くびった罰だよ、さて…今頃智は大丈夫なのかな…」
シェイルは傘を被り直して、どこかへ行ってしまった。
悲しみに暮れ、紗佳の元から動けなかった真莉奈は、急いで駆けて来た智に驚いた。
「お父さん?!」
「ハァ…、紗佳の魂を回収してきた。身体を守ってくれて、しかも手当してくれてありがとう。後は俺に任せてくれ。」
「でもお父さん、一回抜け出した魂を身体に入れるって…大丈夫なの?」
「ああ…、禁忌に触れるかもしれないが、致し方ない。真莉奈、先に帰ってくれ。ここからは俺がする。」
「うん…、分かった」
真莉奈は先に帰り、智が紗佳の身体を見ていた。すると、魂が行き場を思い出したかのように、紗佳の身体へと入っていった。
「うっ…」
紗佳はしばらく気を失っていたが、何かを取り戻したかのように目を覚ました。記憶は朦朧としていて、何故自分がこういう状況になってしまったのかは分からない。紗佳が横を見るとそこには、黒いフードを被り、顔は仮面で覆われ、手には鎌を持った人物が座っていた。紗佳はそれを見て恐れ慄いた。
「嘘…、死神?!そんな、呼んだから来たんだ…。嫌だ…私はまだ死にたくないのに!」
顔を背け、紗佳は逃げようとしたが、死神にその腕を掴まれてしまった。
「あっ…嫌!離して!ただでさえ隆君に狙われてるのに、更に死神に目をつけられてしまうだなんて!」
「勘違いするな!」
その声に紗佳は聞き覚えがあった。死神は紗佳の肩をもったと思うと、そのまま寄せた。その勢いで仮面は取れ、死神はその顔を見せた。
「あなたは…、智さん?!」
智は真剣な眼差しで紗佳を見つめていた。
「無事で良かった…」
「えっ…?」
「君はまだ、死んではいけないんだ……」
「あの…ありがとうございます…ひょっとして智さんって、死神なんですか?」
「まぁ…そうだな」
「そんな…、死神に命を助けてもらうなんて…、どうかしてますよ…」
すると智は紗佳の頭にそっと触れた。
「死神は無闇やたらに命を奪う者じゃない、魂の循環を守る存在だ。だから、本来死ぬべきじゃない人は守らなきゃいけないんだ。紗佳を助けたのは俺だけじゃないさ、真莉奈だって紗佳の身体を守って、手当までしてくれたからな。」
「そっか…、それじゃあ真莉奈ちゃんも死神なんですか?!確かに真莉奈が鎌というか武器を持ってたような…」
「ああ、俺と桜弥でその事を隠せって言ってるけど、中々聞かなくて…、まぁ、君には教えてもいいかな。真莉奈、全力で君の事守ってくれてたんだな。俺が同い年の頃は正体がバレるのが怖かったけど、その辺真莉奈は怖くないもんなぁ…」
「あの…、どうして私には教えるんですか?」
「真莉奈の友達である事と、もう一つ…、昔の君にはお世話になったからな。」
「そうなんですか…」
紗佳は、智と一緒に返って行った。明日お礼を言っておこうと、紗佳は巻かれた包帯を見て思った。
「なんでまたやったんだろ…」
隆はひどく後悔の念を覚えていた。
「あんだけ殺ったら紗佳、きっと本当に死んでるんだよなぁ…」
隆の身体は震えていた。
「いっその事、僕が死んだら全てが終わるのかな?もう苦しまなくて済むのかな…?」
隆はいつも使う刃物を取り出して自分を刺そうとした。その時、誰かの手が隆を掴んだ。
「えっ?」
顔ははっきり見えなかったが、その人は夢の中の人物だった。相変わらず着物を着ているのか、袖が触れる。その人は隆の方をしっかり見て、首を振った。
「なんで、どうしてですか?!まだ僕に苦しめと言うんですか?!」
「大切な事は自分の力で思い出さなければならない。」
「そんな……」
その人はいつの間にか消え、隆は一人になっていた。夕方、いつもはなんとも思わない家が今日は広く感じる。隆はどうしようもない気持ちでいっぱいだった。
桜弥と真莉奈は、卓の息子であり、桜弥の親戚にあたる光を訪ねに行った。
「光さん、こんにちは!」
光は、祖父である瞬譲りの髪の毛に、眼鏡をかけた青年だった。
「また浮遊霊捕まえてたんですか?」
光の手には透明な網と、浮遊霊があった。
「光さんの『風網』、『風』の網で霊を捕縛する能力…、凄まじいです。」
「まぁ、後は『光の樹』に送るだけだけどね。しかし、桜弥、二人で来るなんて…珍しいね?」
「あっ、はい、光さんにお伺いしたい事がありまして…『風見の少年』の事なんですが…。」
「ああ…、お祖父さんの事?今ちょうど来てるよ?」
「本当ですか?!」
桜弥と真莉奈は、光の家に上がり、奥の部屋に居る瞬を訪ねに行った。
「こんにちは!」
「二人とも、こんにちは」
瞬は笑って二人を迎えた。
「あの、『風見の少年』についてお伺いしたいのですが…」
「ああ、そうだね、分かったよ。」
『風見の少年』というのは、小学五年生の時の瞬が、狂気に陥ってた小説家を救ったという話だった。『死出山怪奇譚』の中でも有名な話で、死出山を知る者で瞬の事を知らない者はない程である。
「それで…どうしたの?」
「はい、実は同じクラスの男子の事なんですが…」
桜弥は、隆の一件と、この話に何か繋がりがあると睨んでいた。それは実際そうなのだが、瞬よりも能力が強いはずの桜弥に、隆の狂気が覚ませなかった事は、どこか引っ掛かっていた。
「あいつの…隆の狂気は、自分の力じゃないと駄目らしいんです…。」
「そうだったのか…」
その時、桜弥の頭に電撃が走るような痛みを感じ、頭を抱えた。
「あっ、桜弥君!」
「どうしたんだ?!」
桜弥は頭を抱えながら、こう答えた。
「隆の記憶が俺にも見えた…、これは、死の記憶だ。うっ…力が暴走してる…。」
「一体何が見えたんだ?!」
「瞬さん、落ち着いて下さい!」
「桜弥、君の力は異様な程に強い…、それでいて自らの負担も大きい。だから、心身が蝕まれる事もある…、頑張って耐えてくれ。」
「桜弥君!」
桜弥は三人に支えられながら、なんとかその痛みに耐えていた。
それが収まってしばらくした後、桜弥の父親である勤が迎えに来た。
「桜弥、大丈夫か?」
「父さん……」
「なんでこんな時に限って梨乃さんが居ないんだよ……」
勤は桜弥の頭を撫でながら、そんな事を呟いた。
「やっぱり俺、梨乃さんみたいにはなれないや…」
勤は、自分が父親なのに、何も出来ない事を悔いていた。
「やっぱり、母さんは凄いよ。どんなに俺が頑張っても力がバレちゃうし、何毎も母さんには敵わない。」
「桜弥君…」
真莉奈は桜弥の事をじっと見ていた。
「梨乃さん、どうしたのですか?」
梨乃は突然智の目の前に現れた。
「うん、ちょっと気になる事があってね。隆君の事なんだけど…」
「隆、あいつ本気で紗佳の事を殺してましたよ?俺が魂戻さなかったら、今頃死んでます…」
「そうだったんだ、実はね、『夢渡』の力で隆君の夢からあの人を呼び出して、現実世界に行かせてるんだけど…」
「そんな事が出来るのですか…?」
「うん、それで何か異変がないか観察してるんだけどね。しかし…、自分の力じゃないと思い出せないのか…、紗佳ちゃんは記憶を思い出してるのに…。」
「そうなんですよね…」
智は頭を悩ませた。
「ただ、思い出すには何らかの刺激が必要なんだ。それが何なのかは私にも分からないんだけどね。」
空は真っ赤に染まり、二人の影は長く伸びていた。
「それじゃあ俺、そろそろ行きますね。」
智はそう行って、家へと帰ってしまった。




