記憶の予感
隆は夢の中で目を覚ました。元々は見た夢はすぐに忘れてしまう事が多かったが、最近の夢は、夢が夢でないような変な錯覚がして、嫌な程に覚えている。だが、夢の内容自体は嫌な気はしないのだ。
隆はいつも出てくる夢の中の男性も話していた。
「あの…いっつもお会いしてますのに、未だに名前を言ってないなんて…、僕の名前は二見隆です。」
「そうか…」
男性も何かを言ったはずだが、どういう訳か聞き取れなかった。
「どうして、僕の夢にあなたが出てくるのですか?」
「これは私の夢であり、君の夢でもあるんだ。」
「という事は…、二人で同じ夢を見てるってことですか?」
「そうかもしれないな…」
男性は隆の頭を撫でた。何故今まで分からなかったのが不思議なくらいだが、男性は着物を着ているらしく、裾が隆の顔に触れた。
「なんか、最近僕おかしいんです。この夢もそうですけど、紗佳…あっ、友達が言うには、僕は狂気に陥ると紗佳を訳もなく憎んで殺そうとしてるって…」
「狂気、か……」
男性は何が覚えのあるような答え方をした。
「私も昔狂気に陥り、大切なものを見失いかけた事がある。」
「あなたも、ですか…?」
男性はそれについての答えは出さなかった。
「それじゃあ、私はここで失敬するよ。達者でな、隆君…。」
男性が隆の前から姿を消したと同時に、隆は目を覚ました。
「あの人、一体誰なんだろう…」
隆は夢から覚めるとそんな事ばかり考えていた。
あの男性は、何度も夢の中で出会っていく度にはっきりと分かるようになっていった。ほんの少し前までは言葉を交わす事も出来なかったが、昨日はある程度の姿まで分かるようになってきた。ただ、肝心の事が聞き取れない。取り留めのない会話は聞き取れるのに、大事な事になると突然自分の時間が止まったようになって、聞き取れないのだ。
紗佳や桜弥、真莉奈に話しても、結局何も変わらない。
今日は休日で、隆は町を散歩していた。
「おはよう、紗佳」
紗佳を見かけた隆はこう話し掛けた。
「おはよう、隆君。」
紗佳の身体には未だに隆が付けた傷跡が残っている。
「ねぇ、どうして僕がこんなにも酷い事をしても、こうして仲良くしてくれるの?」
「それは…、なんでなんだろう…。」
紗佳にもその答えは分からないそうだった。
「ねぇ、死神っていると思う?」
「急にどうしたんだ?」
「気のせいだとは思うけど…、一応隆君の意見も聞きたいって思って。」
「う〜ん…、居るかどうかは分からないけど…、居たら面白いと思わない?」
「そんな…、命を狙われてるかもしれないのに?」
紗佳の顔には不安の色があった。
「で、どうしてそんな事聞くの?」
「気のせいだし…、桜弥君は夢だって言うんだけど…、何か、大きな鎌を見たような気がするんだ。あれ、なんだったんだろう…。」
隆は自分にも何らかの責任があると感じた。分けもなく狂気に陥ると、紗佳を殺してしまいそうになってしまう事が、紗佳の不安に通じているのだ。
「僕は…、紗佳の事が好きなはずなのに…どうして…」
隆の手にはいつの間にか刃物が握られていた。
「どうしてこんなにも憎いんだよ!」
「あっ…!」
紗佳は後ずさりをしたが、腕を捕まれ、動けなくなってしまった。
「どうして…隆君!」
「また同じ過ちを繰り返そうとするの?!」
その時、真莉奈の母親である玲奈が現れ、隆と紗佳を引き離した。
隆の狂気はいつの間にか消え、玲奈の方を見ている。
「そんな…まただ、どうして…。ごめん、紗佳……」
紗佳の方は怪我はなかった。
「あっ、止めてくれてありがとうございます…」
二人が玲奈に向かってお辞儀をし、帰ろうとすると、隆がある人を見かけて足を止めた。
「あっ…、奏音さん!」
「おっ、隆じゃねぇか、元気だったか?」
有年奏音は隆の遠縁の親戚で、同じ町内に住んでいた。
「お久し振りです!」
「隆…、それと紗佳、玲奈さんも…会いたかった」
「ねぇ、これから私、渡辺邸に用事があるんだけど、良かったら一緒に行かない?」
「あっ、是非とも行きたいです!」
四人はバスに乗って、山の方にある渡辺邸に向かった。
渡辺邸には現在、玲奈の両親である優太と萌が住んでいる。だが、渡辺邸は建物が重要文化財に指定され、記念館として市に明け渡す予定になっていた。
玲奈は、渡辺邸にあるものを、分けている最中で、今日もその為に行くのだ。
「お父さん!」
「玲奈、また来たのか」
隆はそんな二人を横目に、渡辺邸の中を見ていた。
「なんだろう…初めて来たはずなのに、昔ここに住んでた気がする……。」
隆は何かに導かれるように、みんなから離れて家の中を歩き回る。
「凄く懐かしい…、そして苦しい。何でだろう……」
そして、吸い込まれるように入った部屋は、書斎のようだった。本棚にはたくさんの本や辞書があり、文机は綺麗に片付かれている。
引き出しを開くと、中には古そうな、それでいて丁寧に手入れされた万年筆が一本出て来た。
「これは…!」
隆の目からいつの間にか涙が溢れていた。
「まだあったんだ……」
「隆君、どうしたの?」
扉を開けて入ってきたのは、玲奈だった。
「あの…、これ、もらって良いですか?!」
玲奈は考え込んだが、頷いた。
「まさか、隆君がこんなのを欲しがるなんて…、あげるよ。」
「玲奈…、それ、記念館に展示するんじゃなかったのか?!」
「お祖父ちゃんは他に万年筆持ってたし、何かあったらお祖母ちゃんのもあるから大丈夫だよ。それに…、お祖母ちゃん、お祖父ちゃんのは手垢が付いて見栄えが悪いから、展示するんだったらそっちを使って、って頼まれたし。」
「そうか…、なら良い。しかし、何で隆が父さんの万年筆を…」
「なんとなく…、僕のものだった気がするんです。」
「はぁ…?」
優太は若干呆れていたが、隆は真剣だった。
「そうか…、本気なのか…。」
隆がもう一つの引き出しを開けると、そこには一枚の写真があった。それを見て隆は思わず大声を上げた。
「これは…、あの人の写真?」
その写真に二人の人物が写っていて、一人は隆の夢の中に出て来た着物の男性、もう一人はピンク色の洋服を着た女性だった。
隆は思わず玲奈に聞いた。
「あの…、この人って今から何処に居るのですか?」
玲奈は写真を覗き込んだ。
「これは…、若い時のお祖父ちゃんとお祖母ちゃん、だけど…、残念だね、二人はもう亡くなってるんだ…。」
「そうだったのですか…」
奏音も紗佳もその写真を覗き込んで見た。
「志保さんって若い頃こんな姿だったのですね…」
「ちょうど今の隆君くらいの時にここに来たよね?懐かしい…、今、静葉ちゃんや芽衣ちゃんはどうしてるの?」
「ああ…、静葉は青波高校に通ってますね。芽衣はたまに俺の所にやって来ます。」
「そうだったんだ…」
奏音達はその後も取り留めのない話で盛り上がっていたが、隆は万年筆の事と、既に亡くなったあの男性の事について考えていた。もちろん、知ってる人に何か聞けば分かるはずだが、不思議と聞く気にはなれず、一人でずっと考えていた。
その時、何処かから隆を呼ぶ声が聞こえたが、他の人の耳には入ってない。隆は何も言わずに靴を履いて、その声のする方へと走って行った。
風が山の方へと吹いている。隆がその風と一緒に走っていると、いつの間にか夢の中の景色の中に入り込んでいた。
そこには、玲奈達は、もう亡くなったと言ったあの男性が、立っていた。
「あなたは…!」
「君の事をずっと待ってたんだよ、隆君。」
男性は隆に歩み寄った。
「あの…、僕が産まれた理由と、生きる意味って何なのですか?!」
「それは自ずと分かる事だろう?私は、それを報せる為にこうして居るのではない、私はただ…、気づいて欲しいのだよ。」
「気づいて欲しい……?」
男性は隆の両肩に手を置いた。
「君が狂気に陥るのも、この夢にも、理由がある。だが、私からは言えないし、言っても今の君には届かないだろう。君がやるべき事は、自分の力で思い出す事なんだ。」
「思い出す…?一体何をですか?!」
気づいた時には、男性は居なくなり、周囲の景色は現実世界のものとなっていた。
男性が立っていた場所には、二つの墓石がある。
「隆君!」
振り返ると、紗佳達がこちらに向かっていた。
「紗佳…それと皆さん…。」
「隆君、何でこんな所に居るの?」
「それは…、」
隆はその後の言葉に詰まり、何も答える事が出来なかった。
「真莉奈ちゃんから聞いたけど、隆君、お祖父ちゃんの本をよく読んでるみたいだね。もし今もお祖父ちゃんが生きてたら…、隆君と話があっただろうな…。」
隆はさっきの出来事の事を言おうとしたが、誰も信じてもらえないと思い、口をつぐんだ。
「隆君はいつも緑色のシャツを着てるの?」
そういえば、隆は夏でも冬でも、毎日のように緑色のシャツを着ている。
「お祖父ちゃん、いっつも緑色の着物着てたな…。」
「確かに、父さんはむしろ洋服着ている方が珍しかったよ。」
「そうだったのですか…」
そして、隆は紗佳と一緒に帰る事にした。
「あっ、今日はありがとうございました。万年筆大切にします。」
隆は深々とお辞儀をして、帰っていった。
玲奈はその後ろ姿をじっと見ていた。
「あの後ろ姿、何処かで見た事あるような気がする……。」
万年筆は隆のズボンのポケットからはみ出していて、金の縁のところが光っていた。
「桜弥君、それ本当なの?!」
桜弥の家の縁側で、二人は話していた。
「ああ…、母さんや智さんが言うからな。だが、自分の力で思い出させるって、かなり厄介だな…。それに、また紗佳に手を出すかもしれないし。」
「何かあったら私達でなんとかすれば良いんだよ」
「真莉奈…、お前正体が二人にバレても良いのか?」
「桜弥君だって結構ハメ外してるくせに〜」
真莉奈は不服そうに頬を膨らませたが、すぐさま桜弥に潰されてしまった。
「しかし、あいつら本当にどうしたら良いか…。」
桜弥は空を眺め、腕を組んで考えていた。
紗佳は夢の中で目を覚ました。周囲は七色に輝いていて、一面に図鑑にも載ってない綺麗な花が咲いていた。
花畑の奥に誰か立ってるのが見え、紗佳はその人に向かって走って行った。女性で、黄土茶色の髪の毛は毛先を残したまま肩の辺りで切り揃え、撫子色の着物を着ている。
「あなたは…、あの写真の女の人ですか…?」
「ひょっとして…、家に来たの?」
玲奈達の話によると、かなりの高齢で亡くなったと言われてるが、目の前の女性は若々しい。
「随分とお若いですね。」
「まぁ…、魂はもう無いからね。今の私は…、残留思念みたいなものかな。」
「そうなのですか?で、どうして私の夢にあなたが…」
「さあ、なんでだろう。」
「私に何を伝えに来たのですか?」
「あなたの近くに男の子って居る?その子はあなたにとって重要な人になる。」
女性はいつになく真剣な口調だった。紗佳は不思議とそれに見覚えがあった。
「そういえば最近隆君がおかしいような…なんでだろう」
「私も、大切な人がおかしくなってね、目の前に居たのに何も出来なかった。」
紗佳はその話に聞き覚えがあった。ただ、何処かで聞いただけでなく、遠い昔に実際に体験し、その感情までも感じていた。
「ひょっとして、あなたは……」
女性は立ち去ろうとしたが、紗佳の方を向いた。
「昔の…、私?!」
にわかには信じられなかったが、紗佳にはそうとしか考えられなかった。
「あなたは、もしかして……」
「遠い昔に、私は大切な人が狂気に陥り、自分を見失った事がある。」
「何か、覚えがあります。」
「そっか……」
紗佳が女性の手には触れると、静電気が走ったような衝撃が走ったと思うと、頭の中で色々な情景が浮かんできた。
「これは…、」
「私は大切な人の側にいる為にもう一度産まれてきた。そうだ、名前聞いてなかったね?私は渡辺志保よ」
「あっ…、長浜紗佳です。」
「あなたの存在が、あの人にとって重要なものとなる。」
「思い出した…、そうだ、隆君!」
志保の姿はいつの間にか消え、紗佳は目を覚ました。
「隆君…」
紗佳の目からは涙が溢れていた。
「なんで…そうなったの?いつ思い出すんだろ…」
今日は朝日が異様に眩しかった。




