表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/38

(32)死神②


「実は今日、久し振りに病室の中まで入ったんです」

「え?」


 帳はずっと、雅也に話し掛ける事が出来なかったらしい。自分がお見舞いに来ることで、雅也に不快な思いをさせているのではないか。

 本当はもう、顔も見たくないと思われているのではないか。


 そう考えると足がすくみ、いつも病室の扉を少し開けて、そこから雅也の様子を見守る事しか出来なくなっていたという。


「死神さんが、雅也の中で『和にぃは、ずっと憧れ』だと話してくれたから、勇気を出せました。これからはあなたのように雅也の手を握って、ちゃんと話をします」


 駅から続く並木道を並んで歩きながら、帳がこちらを見つめて微笑んだ。


「はい。その声は、きっと雅也さんに届きます」


 そして、死神も帳の瞳を見つめて笑う。


「帳さん。私を、友達だと紹介してくれて有り難うございました。とても、とっても、嬉しかったです」


 以前、帳に名を聞かれて死神は答えなかった事がある。

 大した理由ではないけれど、その名が、死神が落ちこぼれである事を象徴しているようで恥ずかしかったのだ。


 けれど、友人に名を名乗らないなんてやはり失礼だし、帳には自分の名前を、知っていて欲しいような気がした。



「帳さん……。私の、私の名前は、ポルタ・フォルトゥーナ(Porta・Fortuna)と言います」



 それを聞いた帳が、死神が言いたくないと言った訳を察するように、小さく「なるほど」と呟いた。


「死神の世界ではその名にどんな意味があるのかは知りませんが……。こちらの世界でその名は、イタリア語で『幸せを運ぶ』という意味ですね」


 死神は頷く。


「それを、死神試験の判定員に馬鹿にされた事があって……。それで……恥ずかしくて、ずっと名前を黙ったままでいて、ごめんなさい」


 立ち止まって、死神は頭を下げた。


「僕は好きですよ」

「え?」

「音の響きがとても可愛い。素敵な名前ですね」


 素敵だと、褒められたのは初めてだ。


「これからは、ポルタくんと呼びましょうか? それとも、死神さんのままがいいですか?」


 問われて悩む。

 しばらく考えてから、「……死神のままで、お願いします」と、返答した。


「分かりました。ちなみに、なぜ?」

「深い意味は無いのですが、帳さんからそう呼ばれる事に慣れてしまって、名前だとなんだか、くすぐったいです」

「なるほど」


 納得したように、帳が頷いた。


「さて。名前を知ることが出来たので、死神さんに一つ提案したい事があります」


「提案?」

「ええ。あなたはこの先も、この世界で死神試験を頑張るのでしょう?」


 死神は頷く。

 自分の事を思ってくれない家族でも、死神は、会いたいと思っていた。


「人間を傷付るのが嫌なくせに、それでもあなたには、頑張る理由があるのでしょう?」

「はい」


 この先も、ほんの少しだけ不幸になれと願いながら頑張り続ける。

 帳の指摘通り、それは本意ではないので、きっとこれからもなかなか上手くはいかないと思うけれど……。


「だったら、僕らは雇用契約を結びませんか?」

「へ? こよう……契約?」


 帳の提案が予想外なもので、死神は思わず素っ頓狂な声を上げた。


「両者がより良く過ごす為の契約書を作成し、双方合意のもとサインを交わす。契約には、必ず名前が必要ですからね」


 先程の花屋のように、死神が何か購入したいと思った時に、自分の意思で使えるお金があると便利だ。

 そして帳の方は、決まった労働を死神に任せる事ができる。


「あなたがその試験に合格するまで……。契約内容の詳細は、話し合いで決めましょう。とりあえず、うちのリビングのソファーは、(猫に変身した)あなたに提供します」

「えっと……。あたに提供しますの前に、何か心の声が差し込まれていたような気がしたのですが」

「気のせいでは?」

「気のせいでは済まされない気配を察知しました!」

「まぁ、司法書士の資格も持っている僕が作る契約書なので安心して下さい」


 帳が片側の口端を上げてニヤリと笑う。


「安心から一番遠い顔で微笑まれても……」

「酷いですね。顔にケチをつけるなんて」

「ケチをつけたのは顔ではなく、表情にです!」

「顔には多少自信があったのですが……。あー、傷付きました。自尊心がズタズタに引き裂かれた気分です」

「絶対、嘘だ」


 死神が「むー」っと膨れっ面で睨んでいると、帳がパチンッと手を叩いた。


「さて、死神さん。そろそろ開店準備の時間ですよ」

「え? もうそんな時間なんですか」


 二人が歩く並木道が夕陽で茜色に染まっている。そんな茜色も、すぐに深い群青に塗り変わっていくだろう。


 帳珈琲店の開店時間は、午後六時。

 店の入り口には、橙色のランプと、あの変わった貼り紙がある。


「今日も誰かが、話をしにやって来るかもしれませんからね。急ぎますよ、死神さん!」


 帳が駆け出した。


「ま、待って下さい! 死神の体力は、駅の階段を駆け上がるだけで息切れして、十分間の休息が必要です〜!」

「そうだ。ヘナチョコなのを忘れてました」

「前にも言いましたが、それはこちらの世界にいるからですよ! 元の世界とは体の自由度が違うんです!」

「分かってますよ。それより、猫になって僕に運ばれますか。それとも自力で走って途中でぶっ倒れますか。二択です」

「ええぇぇー……」


 死神が渋々猫に変身すると、驚きの速さで帳に確保された。


「よし、よし〜。モフモフですねー、いい子、いい子、いい子、よしよしよしよし」


 帳の尋常じゃない猫好きがすぐさま発動する。死神がキッと爪で引っ掻くと、ようやくモフるのを諦めて帳が走り出した。


 帳が走る軽快な足取りから伝わるリズムが心地良くて、死神はまた心の中で鼻歌を口ずさんだのだった。



----------------------

----------------------


『雇用契約書』


 雇用主 帳 和也(以下、「甲」という)と、労働者 ポルタ・フォルトゥーナ(以下、「乙」という)は、以下の条件に基づき雇用契約を締結する


<労働内容>

・甲の自宅(キッチンを除く)の清掃並びに洗濯

(労働は毎週火・金の2日。時間は1日2時間とする)

・帳珈琲店の清掃並びに後片付け

(開店閉店前後の各1時間×30日)

・週に一度は必ず、乙は甲にモフる機会を与えること


<労働対価>

 甲は乙に、以下(*印)を差し引いた給与(1万円)を毎月25日に支払うものとする


*甲の自宅リビングを乙の居住スペースとして使用する料金

*甲の自宅と帳珈琲店での飲食代


…リビング使用による賃料は家賃全体から使用面積分を按分した料金とする

…飲食料は帳珈琲店のメニューを元に1ヶ月の定額料金を算出する

…清掃と洗濯業の時給単価は、家事代行業の平均時給を元に、調理労働を含まない時給を算出したものとする

…帳珈琲店の清掃単価は、喫茶店での平均時給を元に算出したものとする


<契約期間>

 乙が死神試験に合格するまでの期間

 あるいは、その期間内であっても甲乙どちらかが契約の終了を申し出て両者の合意がなされた場合、その日付を終了日とする


<貸与物>

その1

プライバシーを尊重した高価なキャットハウス

(ただし、猫に変身している時しか使い道がない)


その2

ふかふかの毛布

(ただし、使用は猫に変身している時に限る)


その3

どうでもいい毛布

(使わせてやってもいい)


 以上の合意を証するため本契約書を二通作成し、甲乙両当事者記名捺印のうえ、各一通を保管する



   年   月   日



(甲) 氏名         印

(乙) 氏名         印


----------------------

----------------------



 後日、両者合意のうえ雇用契約の記名捺印が交わされた。帳の熱烈な希望により、死神の捺印は肉球での判となった。


「でも、私はこれまでの労働とあまり変わりなく一万円を得る事ができますが。逆に帳さんはこの契約をする事で、今までにない一万円の出費が増えますよ」

「問題ありません」

「そうですか……って、ああー! 労働内容の三つ目に、しれっとモフらせる事が入ってる!」

「契約書は見落としがないよう隅々までしっかり読んで記名捺印しましょうね」


 そう言って微笑む帳の顔と、貸与物の三つ目に『どうでもいい毛布(使わせてやってもいい)』と記載されている事に憤りを覚える。


 しかし、『給与一万円』の文字を眺めるだけで自然と笑顔になってしまう。死神がこの世界で手にする初めての給与だ。何を買ってみようかと、想像するだけでワクワクしてくる。


 一番最初に買うモノは、自分のモノではなく誰かへのプレゼントがいいと死神は思った。


 雅也へのお見舞いのお花と、それから……。


「一応、どうでもいい帳さんにも何か買ってあげようかな。どうでもいいけど!」


 貸与物その3のどうでもいい毛布に対抗するように、そのフレーズを繰り返す。けれど頭の中では、帳は何をあげれば喜ぶのだろうと想像していた。


「ふふっ」


 友人への贈り物を考える事がこんなにも楽しい事なのだと知り、死神はもう一度、契約書の『給与一万円』を見つめて笑ったのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ