episode2
その日からレティシアはヴィリオスの所へ来ては、ヴィリオスが部屋のあちらこちらへと捨てた魔法陣の描かれた紙をなぞって遊んでいた。
少し遠くに落ちている魔法陣を拾おうとレティシアは少し動いた。焦った表情でヴィリオスを見るが、ヴィリオスは全くレティシアを見ていない。
恐る恐る魔法陣を拾うが、ヴィリオスは気にもしていなかった。
少しづつレティシアは部屋の中で動き回るようになった。
ヴィリオスはレティシアが部屋の中で動き回っていることを大して気にしていなかった。というのもせいぜいレティシアは動いても、魔法陣を取るくらいで、こちらへ近づいてくることも、他の魔法具を触ることも無かったからだ。
その日もヴィリオスはスクロールを描いていた。魔法でコーヒーを入れ、それを飲む。
いつも通りの日常に、いつしかレティシアの姿が加わっていた。
しかし、その日はレティシアの様子が少し違った。スクロールを触ることもせずそわそわしている。
そして、こちらへ近づいてきた。
ヴィリオスの机にそっと何かを置く。小さな野花だった。
恐らくその辺に咲いている雑草。つんでから大分時間が経っているのか萎れていた。
それでも何故か捨てる気にはなれなかった。
遠い昔の懐かしさが蘇る。大切な何かを忘れている気がした。
ヴィリオスは魔法を使い、花瓶に野花を入れ、水を与える。
萎れたままの野花をじっと眺めていた。
翌日いつものようにやってきたレティシアにヴィリオスは初めて自分から近づいた。
レティシアに影が落ちる。見上げたレティシアの瞳には、彼女を見下ろすヴィリオスが映っていた。
「魔法に興味があるのか?」
ヴィリオスの問いに何も答えずにレティシアはヴィリオスをじっと見つめる。
ヴィリオスはレティシアの前に紙とペンを出した。
「何か書いてみろ。」
レティシアはペンを持ち、固まっていた。ヴィリオスはため息をついた。
「何でもいい。名前でもいいから、書いてみろ。」
それでもレティシアは動かない。
「…お前、字が書けないのか?」
ヴィリオスの言葉にレティシアがびくっと肩を震わせる。どこか怯えたような彼女の様子に、きまりが悪くなった。
「責めてるわけではない。」
ヴィリオスは紙を見て、レティシアを見て、そのまま席に戻った。
「その紙は好きにしろ。」
そう言ってヴィリオスは仕事に戻った。レティシアはペンを握ったまま紙を見つめていた。
ヴィリオスは珍しく魔塔の図書館を訪れていた。
この世にある全ての魔法の知識を頭へ叩き込んだヴィリオスは滅多に調べ物をすることが無かった。
魔法の専門書の場所は把握していても、目当てのものは見つからない。
「久しぶりだなヴィリー。お前がここへ来るなんて珍しいじゃないか。」
後ろから声をかけられる。懐かしくて、尊敬する人で、今いちばん会いたくなかった人の声がした。
「…お久しぶりです。師匠。」
床につきそうな程の長い金の髪を緩く編み込み、赤色の瞳を持つ少女の見た目をした魔法使い。
孤児であったヴィリオスの育ての親で、魔法を教えてくれた師匠、リリィ・パルフェだった。
「で、お前がここへくるなんてどういう風の吹き回しだ?」
ころころと笑う彼女は大抵のことを察してはいるのだろう。
図書館は彼女の場所だ。魔塔主と言えども無闇に魔法を使うことは出来ない。
お目当てのものを探すには彼女の力を借りるしかない。
「………絵本はありますか?」
絞り出すような声でヴィリオスは言う。リリィは目を見開いたあと、大きな声で笑い始めた。
「あはははっ!お前が絵本だなんて、明日は雪ではなく槍が降るかもな。」
ヴィリオスは笑っている自分の師匠を見て苦虫を噛み潰したような顔になった。
「これだから言いたくなかった。」
ひとしきり笑ったあと、少しからかいを含んだ瞳でリリィはヴィリオスを見る。
「お前がらしくないことをするのは久しぶりだな。もしかしなくともあの喪失者の子どものためか?」
ヴィリオスの沈黙を肯定だとリリィは察する。
「お前は、基本的に善い選択をするが、合理的すぎる。だからなのか、何か特定のものに気にかけることがあまりない。そんなお前が、ちっこい女の子の為に絵本探しとは。」
リリィは魔法で数冊絵本を持ってくる。
「あのくらいの子どもにはこの絵本がいいだろう。あの子にまた図書館に来るように言っておくれ。」
いつの間にか、レティシアはリリィとも仲良くなっていたようだ。
久々に感じた気恥しい思いを振り払うように、ヴィリオスは部屋に転移する。
先にレティシアは来ていたようで、一心不乱に紙に何かを描いていた。
ヴィリオスが背後に回っても気が付かないくらい集中している。
覗いて見てみると、今までに見たことがない紋様を描いていた。しかし、その紋様はしっかりと魔法陣になっている。
「これをお前が描いたのか?」
後ろから声をかけると肩を震わせてレティシアは驚いた。
ヴィリオスの問いに、躊躇いながらも頷く。
レティシアが描いた魔法陣は水を呼び出す簡単な魔法陣だった。だが、この部屋に落ちている紙に水を呼び出す魔法陣が描かれているものはひとつもない。
つまり、自分で魔法陣の法則性を見つけて、描いていたのだ。
「お前はすごいな。」
感嘆して呟く。てっきり怒鳴られるかと思っていたレティシアは褒められて驚き、瞳をうろうろさせていた。するとヴィリオスが片手に何かを持っているのを見つけた。
レティシアの視線が絵本に注がれているのに気がついたヴィリオスは、レティシアに絵本を渡す。
「これなら、お前も読めるだろう。」
レティシアはじっと絵本を見つめて、小さな声で呟いた。
「読めない。」
風が吹けば聞こえなくなりそうな、本当に小さな声だったが、ヴィリオスの耳には確かに届いた。
ヴィリオスはため息をついた。それが呆れに聞こえたのか、レティシアは慌てて絵本を返そうとする。
ヴィリオスはレティシアを浮かしてソファに座らせ、自分もその隣に座った。
絵本を開き、ぎこちない声色で読み始めた。
ありふれたお姫様の話。
レティシアはびっくりしてヴィリオスの顔を見つめた。明らかに慣れてはいないが、それでもレティシアの為に読んでいるヴィリオスの姿に自然と笑みが浮かぶ。
ヴィリオスはレティシアが笑っているのを初めて見た。どこか懐かしさに似た歓喜が心に浮かぶ。ずっとこうしてあげたかった気がした。
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