第32話 護れた者
部屋の中を重い静寂が満たす。
ブレムは、項垂れる目の前の大男をじっと見据えていた。
正確には、この男の抱えてきた苦悩と後悔に、思いを巡らすように。
バッカスは顔を上げると、自嘲した笑みを浮かべる。
その笑みは、穏やかなものであったが、どこか弱々しいもので——
「……すまない。事情の知らない君に弱音を吐いても迷惑をかけるだけだったな。
私が伝えられる最低限の事情は伝えた筈だが、まだ知りたいことは——」
「十分守れてただろ」
バッカスのブレムを気遣う言葉を、ブレムは遮った。
バッカスは、虚をつかれたような表情をする。
「バッカスさんは、オリヴィア達を守ることが出来ていた。それ以外あり得ない」
ブレムは再び、否定する。
バッカスは驚きを浮かべた表情を、弱々しい笑みに変える。
「……そう言ってくれて感謝する。確かに君の中では、オリヴィア達は十分救われているように見えるかもしれないが——」
「俺はそんなことを言いたいんじゃないんです」
意図が上手く伝わらず、ブレムはもどかしい気持ちになり、口調を荒げるような形になってしまう。
「俺は、バッカスさんみたいな人が精一杯尽力して、それでもオリヴィア達を救えなかったなんて、絶対に思いたくないんです」
ブレムは、オリヴィアを未だによく知らない。
その過去も、どんな力を秘めているのかも、どれほど自分と隔絶した存在なのかも、殆ど知らないと言っていい。
もしくは例え知識があっても、それを完全に実感できているとはブレム自身でも到底思えない。
ましてや、オリヴィアとその周囲がどんな幸せな関係を築いてきたか、そしてそれが彼女自身の天才性によって、どのように壊されたのか、ブレムは殆ど推しはかることはできない。
「確かに俺が勘違いしているだけで、本当はオリヴィアは救われてなかったかもしれません。
けど、それをバッカスさんが責められる理由にしたくないんです」
だが、このバッカスという男が、今この瞬間、オリヴィアやその仲間達のことを心から大切に思い、全力で力を尽くそうとしていることを、ブレムは断言できる。
「バッカスさんだけじゃない。キキョウも、メイアスも……その他にもオリヴィアを大切に思っている人達が、オリヴィアを護れなかったとは俺は思いません。
だから、本当は全員に伝えたいんです。けどそれは厳しいから、まずはバッカスさんに伝えます」
そして、ブレムは深々と頭を下げた。
「今までオリヴィアを護ってくれて、本当にありがとうございます。
これからも、バッカスさんの力を俺に貸し続けて下さい」
バッカスが息を呑む声だけが、部屋に響いた。
「……どんな返答でも、俺は承諾としか受け取りません」
ブレムは顔を上げる。
バッカスは、ゆっくりと
「……違う。私は、あの子たちに何もしてあげられなかったんだ。
君に感謝される筋合いなど——」
バッカスのその否定の言葉は、バッカス自身の手によって遮られる。
大粒の涙が、バッカスの目からこぼれ落ちたからだ。
バッカスはそれを拭うが、次々と新たな涙が頬を伝っていく。
「……情けない。感謝など、受ける資格はないと心に決めた筈だったのに」
そう言って項垂れてしまったバッカスを見つめた後、ブレムは静かに部屋を後にした。
◇
廊下の先、見知った姿が近づいてきた。
「ここにいらっしゃったんですね、ブレム様」
「第一席次様は?」
「中庭で土いじりをされています。私はもう下がっていいと」
ブレムとオリヴィアは並んで別館に向かう廊下を進む。
「ブレム様は今までどちらへ?」
「メイアスに扱かれて……その後、バッカスさんと少し話してた」
「バッカス様と、ですか?」
オリヴィアは不思議そうな顔をする。
「うん。たまたまこの階層で見かけてな」
「どのような話を?」
「……この教会で昔起こったことを、それとなく」
それだけ聞くと、オリヴィアは納得したように、遠慮がちに微笑んだ。
「なるほど。
……私は、自分の過去をブレム様に正直に伝えなければならない、そういつも思っているのですが……お恥ずかしいことに整理がつかず。バッカス様の手を煩わせることになってしまいました」
ブレムのごまかしなど関係ないように、オリヴィアはそう告げる。
「それはオリヴィアの勘か?」
「今回はそうではありませんよ。ブレム様、意外と顔に出ますからね」
「……昔からよく言われる」
そう肩を落としたブレムに、オリヴィアは楽しそうに笑う。
笑い声が収まり、オリヴィアは前を見据えると、静かに口を開いた。
「……確かに昔、辛いことはありました。
生きるのが嫌になりかけたことも、少なくありません」
オリヴィアは、どこか吹っ切れたような表情で続ける。
「ですが、それを私以外の方々のせいだとは思いません。
むしろブレム様と出会うまで生き続けることをやめなかったのは、間違いなく皆様のおかげなんです」
「……そうか」
オリヴィアのせいじゃないだろう。ブレムはそう言いたい言葉をなんとか抑えた。
事情の全く知らない自分が否定したところで、特に慰めにはならないだろう、そう自重の気持ちが働いた。
オリヴィアはブレムの方を向くと、おもむろに口を開いた。
「近いうちに、私たちの過去について話させて下さい。
本当は今すぐにでも伝えるべきなのでしょうが……未だに気持ちの整理が十分についているとは言えません。
ですから、私の覚悟がつくまで、待っていただけますか?」
そう言ってオリヴィアは、少し不安げな表情を浮かべる。
その目を見据えながら、ブレムは安心させるように笑みを浮かべた。
「もちろん。いつでも待ってる」
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