第31話 護れなかったもの
バッカスとブレムがやってきたのは、本教会のとある一室だった。
バッカスは椅子に座ると、机を挟んで向かい合った椅子に座るよう促したのでブレムもそれに従って腰を下ろした。
「本題に入る前に、幼少時代のオリヴィアについて、君はどこまで知っている?」
ブレムは少し考えたあと、答える。
「恥ずかしいことに、さっき伝えたことが、昔のオリヴィアについて知っていることです」
「何?オリヴィア本人から話は聞いていないのか?」
「はい。なんとなく、オリヴィアが話したがらない様子だったので、あえて聞く事じゃないかなって」
オリヴィアの過去が気にならない、なんてことはあり得ないが、それでオリヴィアを傷つけてしまうというのは論外である。だから、オリヴィアの過去を進んで聞き出そうとはブレムは思っていない。
とはいえ、いつかはオリヴィア自身から話してくれるだろう、とブレムは推測しているが。
「メイアスやキキョウからならば教えてもらえただろうに。彼らに限らず、中層階の人間なら彼女の過去について詳しく知っているはずだ」
「そうなんですけど……本人の口から聞くのが一番誠実かなって。だから今からのバッカスさんの話も、出来るだけ最低限のことだけ伝えてくれたら嬉しいです」
その言葉を聞いて、バッカスは一瞬だけ目を見開いた。
「……そうか。ならば、私も可能な限り、大筋だけ君に伝えよう」
ありがとうございます、とブレムは頭を下げる。
バッカスはゆっくりと、口を開いた。
「まず、オリヴィアの天才性は、いきなり振って降りてきたものではない。
数年前、【灰の神】が我ら連合軍を壊滅させた。無論、これについては君は聞き及んでいるだろう」
ブレムは首を縦に振る。その一件を知ったのが一昨日とはいえ、知っていることに変わりはない。
「その2、3年後、今から1年ほど前のことだった。オリヴィアが徐々に物覚えを良くしていったのは。
最初は、彼女を知る者は誰もが喜んだ。
これまでの彼女の努力が、ついに報われ始めたのだと。
そこで終われば、ただの美談になるはずだった」
「そこで終わることなく成長し続けた、ということですか」
「ああ」
時間は既に夕刻を回り、窓からは夕陽が部屋に差し込んでいた。
「その後も、オリヴィアは際限なく成長し続けた。
それは劣等生だったかつてのオリヴィアからは想像もつかない速度で、彼女の成長を喜んでいた者たちも、次第に戸惑い、畏れ始めた。
あるいは、この奇跡は神の寵愛だと、オリヴィアを讃える者もいた。
どちらにせよ、オリヴィアの周りから、かつてのように対等に接する者はほとんど居なくなっていた」
ブレムは黙って、バッカスの話を聞き続けた。
「そしてつい二ヶ月ほど前……この本教会で、ある事件が起こった。
同様に詳細は省くが……この出来事をきっかけに、オリヴィアは【聖女】として、崇拝されることになってしまった。
それからのオリヴィアは、君と出会うまで、心から笑うことはなくなった。
これが私が君に伝えられる、最低限の経緯だ」
そしてバッカスは自嘲するように、笑う。
「……【天律法位】第九法位【護人】。私はその名と“天性”を受け継ぎ、護られるべき者を護るという信念を謳っておきながら、護れなかった者の数は計り知れない。
だがそれでも、手の届く範囲の大切な者たちは救うことができると思っていた。
しかし、出来なかった」
バッカスの拳が、白くなるほどに強く握られる。
そこには、使命を果たせなかった怒りと無力感が込められているように、ブレムは思えた。
「……私は、オリヴィアを守ってやれなかった。
君に出会ってから、彼女はかつてのように笑うことができるようになった。
しかし、それまでは……あの娘は、笑っていても誰にも心を開けなくなっていた。
彼女だけじゃない。メイアスやキキョウ、他の修道士見習い達は、生まれは様々なれど、皆本当の兄妹のように育った。
昔は皆で笑って、喧嘩をして、馬鹿なことをして……そんな当たり前の日々を過ごしていた。
今の彼らは互いを信頼していないわけではない。
だが、昔のようには笑えない」
そして、視線を落とすと、バッカスは力なく呟いた。
「私だけは、彼らを守ってやらなきゃいけなかったのに」
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