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第30話 天才性

「酷い目にあった……」


 ぼやきながら、ブレムは教会の廊下を歩く。

 小1時間ほどメイアスの仕合い——という名の気まぐれに付き合わされた挙句、一方的に終了を告げられたのだ。


「やっぱり飽きた。もう帰っていいよ」


 そう言って、『付き合ってくれてありがとうー』と笑うメイアスに対して中指を立て、ブレムは別館へと戻ろうとしていた。


 とはいえ、散々な目にあったが、怪我を負ったわけではないので、上層階を歩く足取りはそこまで重くない。肉体的な疲れもない。

 しかし、ブレムの精神状態は穏やかではなかった。なぜなら——


(トイレってどこにあるんだ?)


 ブレムの頭をある切実な問題が支配しているからだった。

 2日程度はこの本教会で過ごしているとはいえ、まだまだ知らない場所も多い。

 別館に戻る途中に、『トイレに行ってから帰ろう』と、ふと考えが頭をよぎってしまい、初めて足を踏み入れる区画を彷徨っているのだ。


(——あった)


 幸いなことに、すぐに目的の場所を発見することができた。

 本教会の水回りというのは完全に水道式である。ブレムの故郷であるレイラルクも、部分的には水道式だが、本教会では蛇口を捻るだけで新鮮な水が出てくる。ここに来て3日とはいえ、本教会との技術力の差というのには未だに慣れない。


 ブレムは迷わず男性用のトイレに入り——

 

 そこである人物を見つけた。


「——バッカスさん?」

「……ブレム君か」


 手洗い場の鏡の前で、大理石の洗面台に両手をついて項垂れていたバッカスの背中に、ブレムは声をかけた。


 何をしているのだろうとブレムは気になったが、今のバッカスはどこか話しかけづらい空気を醸し出しており、何よりブレムの膀胱がそろそろ悲鳴をあげていたので、バッカスの背後を通り過ぎて便器へと向かった。


 用を済ませたブレムはバッカスの隣の洗面台で手を洗う。

 なんとなく口を開ける空気ではなく、そのままブレムはその場を去ろうとしたのだが——。


「——オリヴィアの挨拶を見に行ったのか?」

 

 バッカスの発した問いに、ブレムは立ち止まって答える。


「見に行きました。挨拶の後にも、オリヴィアと少し話しました——メイアスのせいであまり長くは話せませんでしたけど」

「どうだった?オリヴィアは、堂々と人前に立つことができていたか?」

「もちろんです」


 バッカスはそこで、それまでのやつれた表情をふっと和らげると、安心したように呟いた。


「……良かった。心配はしていなかったが、それでも昔のあの娘の姿を思い返すと、どうしても気にかけてしまう」


 その言葉に、ブレムは自身の内にあった疑問が浮かんでくるのを感じた。

 そして、思い切って訪ねた。


「前から気になっていたんですけど、昔のオリヴィアは、今みたいに才能があるというか……」

「規格外の天才性を発揮していなかったのか、ということか」

「まあ、はい」


 ブレムは頷く。

 オリヴィアの幼少期の話では、勉強が苦手で、机に向かうのが億劫といった趣旨の話を本人から聞いていた。

 ただ、ブレムの魔術のミスを一瞬で見抜いたことからも分かる通り、今のオリヴィアは優れた知性を備えているように思える。ブレムは例外だが、魔術式の造詣が深い者は、大抵はその他の学問にも長けている。


 遠い日々を思い返すように、バッカスは顔を上げ、前を見据える。

 その視線は、鏡に映った己の姿のその向こうを見つめているように思える。

 

「昔の彼女は、そうだな……言葉を選ばなければ、何もできない子供だった。

 勉強に限らず、魔術や体術、神官としての礼儀作法……何をやらせても、周りの子供たちよりも一回り、いや二回りは上達が遅れていた。メイアスと並び、教会でも指折りの劣等生だった」

「……そうなんですか」


 ブレムは何と返せばいいかわからず、黙り込むしかなかった。

 

「今のオリヴィアからは想像ができないだろう?」

「ですね。俺が知るオリヴィアは、何でもできるどころか、出来ないことを探すことが難しいです。

 そんな子供が、どうして今は——」


 そこまで口にして、ブレムは先ほどのメイアスの言葉を思い出した。


 ——【天律法位】はそれぞれ強力な“天性”を保持、利用できるんだ——


「もしかして、【聖女】の“天性”が、オリヴィアの天才性に関係しているんですか?」


 “天性”がどういったものか、ブレムはいまだによく把握できていない。

 ただ、その“天性”ならば、非才の少女に規格外の才能を与えることも可能なのだろうか?そのような疑問をブレムは抱いていた。


「いや、全く。そもそも、【聖女】と【人間】は原則として、受け継がれる“天性”が存在しない」


(……そういえばメイアスも、【聖女】と【人間】は例外みたいな話をしてたな)


 自分がメイアスの話を半端に聞き流していたことに気づき、ブレムは少し恥ずかしい気持ちになる。


「……“天性”の話は誰から聞いた?」

「えーと……第一席次様です」

「……なるほど」

 

 ブレムは一瞬だけ名前を出すのを躊躇ってしまう。

 事情は分からないが、バッカスは【人間】に対して良い感情を抱いていないようなので、余計な波風を立てたくなかったのだ。

 案の定と言うべきか、バッカスははっきり嫌悪感のようなものを顔に滲ませる。

 

「では、“天性”によるものでないのなら、オリヴィアの天才性は何によって得られたものなんですか?」


 立ちこめた重苦しい空気を誤魔化すように、ブレムはバッカスに尋ねる。

 沈黙の後、バッカスは口を開く。

 


「分(・)か(・)ら(・)な(・)い(・)」

「……分からない?」


 バッカスの予想だにしない言葉に、思わずブレムは聞き返してしまう。

 バッカスは淡々と言葉を続ける。

 

「……私は最初、教会の上層部が、オリヴィアに何か禁忌の術でも施したのではないかと考えた。【灰の神】が台頭した後の話であったから、余計に私の疑念は深まった。

 しかし、調べれば調べるほどに……オリヴィアの天才性が、自然に発生したものだと明らかになった」

「……自然発生?」

「ああ。信じられないだろうが、恐らくその可能性が高い」


 ブレムは絶句するしかない。

 才能とは、つまり言ってしまえば『伸び代と成長率』だ。

 原則、先天的に身につくもので、努力によって伸ばせるものではない。

 バッカスも先程話した通り、実験か何かを施すことで、脳や魂そのものを後天的に作り変えることであれば、可能かもしれないが……。

 だが、何の外的要因もなく、ある日突然才能そのものが自然に生まれるなど、聞いたこともない話だった。


「……ここで話すことではないな。場所を変えよう」


 ここでバッカスはそう言うと、トイレの外に向かって歩き出した。


 ブレムも慌てて、その早足で歩く巨躯の背中についていった。

次回は3日後に更新します

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