第29話 種明かし
消失した障壁の向こうで——
メイアスとオリヴィアは距離を空けて、相手に背中を向ける形でじっと立ち止まっていた。
両者とも木刀を振り抜いたような姿で、ぴくりとも動いていなかった。
「——完敗ですね」
先んじてオリヴィアは動き出すと、苦笑しながら木刀を下げた。
いつの間に治したのだろうか、脇腹の傷からは既に血は流れ出ていない。
「そりゃあ、君があんなに魔法を制限してたらね。むしろ負けるわけにはいかないよ」
口ではそんなことを言いながら、しかしどこか嬉しそうに顔を綻ばせるメイアスは、状況が掴めずにいるブレムの視線に気付いたのか、こちらの方を向いた。
「この勝負は僕の勝ちだね。
オリヴィアは身体強化の魔法で加速して、通り過ぎざまに一撃を入れようとしたんだけど、その前に僕はオリヴィアにカウンターを決めて、追撃も回避した形かな」
「相打ちにまでは持ち込めると踏んでいたのですが……上手く回避されてしまいました」
「なるほど……速すぎて全然分からんかった」
ブレムは正直にそう告げるしかなかった。
「——少年、【聖女】が傷を負ったようだけど、放っておいて良いの?」
会話に水を差すような【人間】の言葉が投げかけられる。
血は止まったように見えるが、修道服に広がった赤い染みはそのままで、見ていて痛々しい有様である。
心配するのが恋人として当然の振る舞いだろう。ブレムは頭ではそう判断を下すが——。
「心配なさらずとも平気ですよ」
安心させるようにそう微笑むオリヴィアがそう言い切るよりも早く、傷口が瞬く間に塞がる。
傷だけではない。鮮血が広がっていた修道服も、いつの間にか新品のようにシミ一つ見当たらない状態に修復されていた。
「……誤解を恐れずに言うと、最初からあまり心配自体はしてなかった」
「そうなのですか?」
「オリヴィアなら平気かなって……」
何か気恥ずかしい気持ちになり、不思議そうに首を傾げるオリヴィアの顔から視線を逸らしてしまう。
それがすぐ治るかはともかく、恋人の負傷に心を痛めないなど、男としては最低の行為だろう。
頭ではそう理解しているが、それでもどうしても、その傷がオリヴィアの身に危険が及ぶという未来に全くと言っていいほど結びつかなかった。
これを信頼という一言で片付けてしまっても良いのだろうか?という疑問がブレムの胸に浮かぶ。
ブレムの返答を耳にしたオリヴィアは、ブレムの手を両手で握りしめる。
「遠慮せずとも大丈夫ですよ。私はブレム様が思う以上に強いですから」
そしてブレムの顔を見つめ、ニコリと微笑むオリヴィアに、ブレムは先ほどよりもさらに気恥ずかしい気持ちになりながら、なんとか口を開く。
「——そうか。じゃあ、俺も今まで以上にオリヴィアを信頼するよ。けど、どうしてもって時は俺のことを頼ってくれよ……俺に何が出来るかは分からないけど」
「そんなことありません。私も今まで以上に、ブレム様のことを頼らせて頂きます——」
「——コホン」
わざとらしい咳が2人の世界を遮る。
見ると、ニヤニヤと笑いながらこちらを眺めるメイアスと、その隣でわざとらしく空咳を続けた【人間】が呆れた表情を浮かべていた。
「なんだかさっきより暑くないですか、第一席次。気のせいですかね」
「奇遇だね、私も同じ錯覚を感じているみたい」
茶化され、ブレムとオリヴィアは互いに顔を赤くしながら距離を取る。
【人間】はため息をつくと、視線をこちらに向けた。
「話を変えようか、少年。
メイアスの“天性”について、検討はついたかな」
【人間】の言葉に、ブレムは考え込む。
届かないはずの突きが届き。
命中するはずの斬撃が身体をすり抜ける。
その二つの光景がブレムの脳裏に再び浮かび上がり——。
「——空間を捻じ曲げる能力、などですか?」
ブレムは推論を口にする。
その答えに、メイアスは【人間】の方に顔を向けると、聞いた。
「まあ、大体は正しい……と言ってもいいですかね?」
「うん。及第点と言ったところじゃないかな。限られた情報でそれだけ核心に迫れるとは、流石だね。
とはいえ、完全に的を射ているわけではない。【執行官】、実践を含めて分かりやすく説明してあげて」
そう命令すると、【人間】は唐突に立ち上がり、訓練場の外に繋がる扉の方へと歩いて行く。
「戻られるのですか?」
「うん。上層階までは【聖女】も着いてきて」
「承知しました」
そう言って、【人間】は振り向かずに訓練場を後にした。
「では、すぐ戻りますね」
その言葉を残し、オリヴィアは駆け足で【人間】の後を追った。
「あー、オリヴィアが連れていかれちゃった。
まだ殺り足りなかったのに」
「その言葉は語弊があるからやめてくれ」
「語弊?」
「……なんでもない」
首を傾げるメイアスから呆れたように視線を逸らしながら、ブレムはオリヴィアと【人間】が去っていった方に視線を向ける。
「それにしても、このタイミングで第一席次様は戻るんだな。帰るならいつでも機会はあったのに。
……人はいいんだろうけど、何だか読めない人だよな」
「第一席次殿は、読めない行動ってのを心がけているらしいよ?」
……読めない行動?
その言葉の真意を把握できず、ブレムはメイアスに訝しげな視線を送る。
メイアスは木刀をお腹に押し当てるような変な仕草をしながら、思い出すように呟く。
木刀はメイアスの身体をすり抜けるように、背中まで大きく貫通している。
「何だっけ……。
『極端に合理性に基づいた行動は、同じく合理的な思考を持つ相手から読まれやすい』とかなんとか……」
「へえ……読まれやす——って何してんだ!?」
ブレムは綺麗な二度見をして、メイアスの方に勢いよく振り向いた。
木刀の真ん中まで、メイアスの腹部を貫通していた。
「これが僕の“天性”だよ。気付かないままだったら面白かったね」
そう言いながら、ブレムの反応にメイアスは口元をにやけさせる。
「『一定範囲内の空間座標の婉曲』というのが僕の“天性”の能力でね。さっきの仕合いの種もそれさ。
他にもこんなことができるよ」
メイアスはそう言って、上空へ木刀を放り投げる。
にわかに、木刀の動きがぴたりと止まった。
そしてメイアスが腕を動かすと、それに合わせて木刀も上下左右と移動する。
「お前の腕の座標を数メートル上までにずらして、そこにある木刀を直接掴んでいるってことか……?」
「そうそう。理解が早くて助かるね」
不意に、木刀が支えを失ったように落下する。
木刀はメイアスの身体をすり抜け、地面に激突した。
「この僕の“天性”は、初代【執行官】から歴代の【執行官】へと代々受け継がれている。
僕だけじゃない。【聖女】と【人間】を除いて、【天律法位】はそれぞれ強力な“天性”を保持、利用できるんだ」
「他の【天律法位】……ってことは、バッカスさんやキキョウも?」
自ずと、昨日の礼拝堂での激闘が思い出される。
バッカスが見せた、敵の攻撃にびくともしない、虹色の障壁。
終始魔物を圧倒したキキョウの化け物じみた魔術。
確かに、それが“天性”という異能の助力があって成されたものなら腑に落ちる。
「キキョウ?何でここでキキョウの名前が出るんだい?」
しかし、メイアスは怪訝そうな顔をするだけだった。
「何でって、キキョウも【天律法位】の人間じゃないのか?」
「違うよ?確かにバッカスさんは【護人】で、その戦闘スタイルも“天性”に大きく依存してるけど、キキョウは【天律法位】には属していないし、“天性”も持っていない。あれは純粋に、キキョウの魔術が凄まじいだけだよ」
その言葉に、ブレムは戦慄する。
空間転移の魔術を自在に行使できるキキョウは、ただ自身の技量だけでそれを為しているのだ。
「やっぱりキキョウって凄いんだな」
「そりゃあ、キキョウは教会でも群を抜いての天才だし……オリヴィアを除いたらだけど」
「……ああ」
そしてそのキキョウ以上の天才性を誇るのが、【灰の神】レヴァンに対抗するための人類の象徴たる【聖女】であり、ブレムの恋人でもあるオリヴィアなのだ。
その事実に、ブレムは——
「……だからといって、俺にとってオリヴィアがオリヴィアだという事実は変わらないけどな」
ブレムの心は揺らぐことなく、そう断言した。
「それが他の人にとってどれだけ難しいことか、本当に君は分かってる?」
「出来るだけ分かろうとはしてる……けど、みんな気にしすぎな気もするんだよな。
メイアスもそう思うだろ?」
笑いながら問いかけるメイアスに、ブレムは同意を求めようと言葉を重ねた。
メイアスは、オリヴィアに対してそこまで畏怖の感情を抱いているようにはみられない。
少なくとも、オリヴィアがブレムにもしない呼び捨てをしている時点で、短くない年月を共に過ごしてきたのだろう。そうブレムは思っていたのだが——。
「——まあ、そうだね。けど僕は、君が思っているより君のような人間じゃないよ」
そう溢すメイアスの笑みは、これまでには見たことがない、寂しさを含んだものだった。
それに何を返していいか分からず、ブレムが言葉を詰まらせていると——。
「何だか湿っぽい話になりそうだね。切り替えようか。
オリヴィアが連れていかれちゃったから、ブレム君が仕合いに付き合ってよ」
「——はあ?」
「文句はなしね」
「いや何言って——おあ!?」
ブレムが後ずさろうとするが、その背中を誰かに押され、前につんのめてしまう。
「こんなところで“天性”を使うなよ!」
「大丈夫だって。僕の“天性”は消耗がないからさ」
「そういう問題じゃない!」
この後、ブレムはメイアスの気まぐれに小1時間ほど付き合わされ、その大半の時間を逃げ回ることで過ごしてしまうのだった。
次回は4日後に更新します。




