第21話
「行方知らず……ですか。それは、教会の探知網から姿を消したということですか?」
「そうだね――おっと」
目を細めてそう尋ねるオリヴィアに【人間】は答えようとして、その直前、話についていけないブレムに目をやった。
「本当は、部外者に聞かせる話ではない……けど、君は【聖女】の恋人だからね。いずれは関係してくることかな。
うん。一から説明しようか」
「はあ……」
未だ困惑しているブレムに対して、【人間】は向き直る。
「【灰の神】レヴァンについて、君はどれくらい知っている?」
(【灰の神】レヴァン……ここに来てから、よく聞く名前だな)
確か……と、ブレムは頭から記憶を引っ張り出す。
幸い、すぐに欲しい情報は思い出せた。
「……確か数年前に、人類側の……軍隊?連合軍?を壊滅させて、最終的にバッカスさんに撃退された魔族の一人……でしたっけ」
「そうだね。じゃあ、大雑把にだけど説明しようか」
【人間】は頷くと、口を開いた。
「【灰の神】レヴァン。
5年前、神律スペア聖教会と中央諸国の精鋭達の連合軍、総勢五万。
魔族領の辺境のある都市に向かっていた彼らの前に、彼は立ち塞がり……瞬く間に連合軍は殲滅された。
彼を称える二つ名は数多く存在するけど、そのどれもが、彼の規格外ぶりの欠片も形容できていない。
代表的なものとしては、『魔族最強』、『魔術最強』、『機巧王』、『異界の神』、『文明喰い』、『天井知らず』、『史上最強』……。
そして、『魔法使い』」
……魔法使い?
【人間】が最後に付け足した二つ名に、ブレムは眉を顰める。
魔法とは、魔術式なしで行使する魔術のことを指すが――。
「もしかして、【灰の神】って……」
「うん。魔術式なしで発動する魔術――魔法を部分的に行使できる、数少ない魔術師の1人だよ」
咄嗟に、ブレムは横に座っているオリヴィアの方に目をやる。
「……私は、魔術式を一切介さずに魔術を発動できます。それに対し、【灰の神】殿は、完全には魔術式を排することは出来ないようです。その点では【灰の神】殿に勝っていると言えるでしょう。しかし――」
オリヴィアは神妙な面持ちで、頷く。
「【灰の神】殿が連合軍と接敵した時、彼は魔術理論を一切知らない状態であったそうです」
「……は?」
ブレムは、オリヴィアが何を言っているのか理解できなかった。
魔術理論とは、要するに魔術に関する知識のことである。魔術師であれば誰でも知っている――どころか、魔術を一切使用できないブレムでさえも、魔術式の組み立てに必要のため、ある程度の知識はある。
「何言ってんだ?【灰の神】ってのは、長年に渡って魔術の研鑚を積んだ魔族じゃないのか?」
【人間】は、肩をすくめた。
「彼は異世界人だよ。連合軍と会敵したのは、この世界に来訪してから数時間以内の出来事だったんだ」
「異世界人……?」
「君には馴染みがない言葉かもね。ごくたまに、こことは違う世界の住民がやって来るんだ。本当に稀だけどね」
再びの重大な情報の氾濫に、ブレムは頭痛を覚える。
「薄々察したとは思うけど、【灰の神】は規格外の人間だよ。その凄みは【聖女】の天才性に匹敵すると、私は睨んでる」
……オリヴィアに、匹敵する人間。
先程、礼拝堂で起きたような馬鹿げた真似を起こせる者が、オリヴィア以外にも存在するのか。
ブレムの背中に、冷たいものが走る。
「連合軍には【護人】をはじめとして、複数の【天律法位】が同行していた。
最初は、我々が圧倒していたんだ。むしろ、相手にもしていなかったのかな。何せ相手は魔術の素人だったから。
だけど【灰の神】は、規格外の学習能力で、連合軍の魔術師達が行使する魔術を模倣し始めた。圧倒的な速度でね。
十数分後には、その場に立っていたのは【灰の神】だけだった」
【人間】は続ける。
「【灰の神】は、決して悪人じゃない。
悪人じゃないんだけど……色々と当時は巡り合わせが悪くてね。
私が彼の怒りを買ってしまって、彼は私の殺害を第一目標にして、魔族側に付いた。
【聖女】が600年ぶりに任命されたのは、魔族側に突如として現れた【灰の神】という圧倒的な脅威に負けないような、人類側の象徴が必要だったからでもある」
一番の理由は、彼女の天才性によるものだけどね、と、【人間】は肩をすくめる。
「話を戻そうか。
つい先日から、【灰の神】はここから少し離れた、人間の都市に滞在していた。
前述の通り、【灰の神】は危険な存在だ。だから魔術と尾行の両方で動向を監視していたんだけど……気付いたら、姿を消していたらしくてね」
「……尾行にメイアスを使わなかったのですか?」
「【執行官】は他に任務があったからね」
……何故、ここでメイアスの名が出てくるのだろうか、とブレムは疑問に思う。
「メイアスは【天律法位】の第十法位を務めているのですよ」
「……あいつも【天律法位】なのかよ。まあ、そんな気はしてたけど……」
ブレムの様子を見て、オリヴィアがこっそりと耳打ちする。
言動や雰囲気といったものがどこかズレていたので、もしかしたらとは思っていたが……。
2人のやり取りも気にせずに、【人間】は淡々と視線を滑らせ、オリヴィアを見た。
「彼が姿を眩ましたのが、ここに襲撃をかけて来るためなら、【聖女】には【天使】が戻るまでの時間稼ぎをしてもらうことになる。そうなる可能性は低いけれど、一応聞いておくね。その覚悟はある?」
「無論です……ですが」
オリヴィアは、何かを続けようとして、躊躇っている様子だった。
【人間】は視線で、続きを促す。
オリヴィアは意を決したように、小さく息を吸った。
「ブレム様……と、私、の命が危うくなることがあるのならば、その役目を全うできないかもしれません」
「そう。まあ、それは仕方ないかな。可能な限り、教会のためによろしくね」
【人間】は、何回か小さく頷くと、ブレムの方に視線を向ける。
「昔の【聖女】だったら、仮に命を捨てろなんて命令でも、躊躇いなく従っていただろうね。今の【聖女】を上層部の一部は扱いにくくなったと言うけれど、私に言わせれば、【聖女】は成長してる。間違いなくね。
これも全部、君という大切な人が【聖女】の拠り所になってくれたからだ」
そして、【人間】はほんの少しだけ表情を緩めて、微笑む。
「これは、1人の“人間”としての願いだ。どうか【聖女】――いやオリヴィアのことを、君だけは1人にしないで欲しい」
そして再び頭を下げた【人間】に対して、ブレムは慌てて否定しそうになるのをぐっと堪えて、
「……わかりました」
そう言い切った。
◇
「……話は終わったのか」
「バッカスさん」
別館を出て、本館の廊下を進んでいたブレムに、バッカスが声をかける。
「はい。第一席次……様?殿?から僕への用事は済んだみたいです。あとの話は機密情報になるので、僕は席を外して欲しいということです」
「……そうか」
「あ、あとバッカスさんに話があるので、見張りはやめて居間に戻ってきてとも伝えられました」
「承知した」
ブレムは小さく会釈をして、バッカスの横を通り過ぎる。
「ブレム君。あの化物――第一席次に対して、君はどんな印象を抱いた?」
唐突に、バッカスから疑問が投げかけられる。
ブレムは立ち止まって、少し考える。
1番鮮明に思い浮かぶのは、最後にほんの少し微笑んだ、表情だった。
「冷酷ではあるんでしょうけど、人の温かみも知っている人……みたいな印象です」
ブレムは返事を待つが、バッカスは声を発さない。
やがて、廊下に足音が鳴り響き、それも遠ざかっていったので、ブレムは慌てて振り返る。
しかし、バッカスの背中は既に廊下の奥の方にしか見えなくて、ブレムはそれが遠ざかっていくのをただ見守ることしかできなかった。
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