第14話 規格外
「――生きてる」
礼拝堂の天井を見上げながら、ブレムは呟いた。
死んでいない。視界は良好だし、痛みもない。
(爆風に呑み込まれた――わけじゃないよな)
視線を少し下げると、メイアスやキキョウを呑み込まんとしていた白い閃光は――その目と鼻の先で、停止していた。
さらに首だけを動かして見回すと、少し離れたところでキキョウが目を見開き、こちらの方を凝視していた。
地面に仰向けになって両手を広げていたメイアスは、ブレムの方をちらりと見ると、苦笑する。
「まさかまた君に助けられるとは思わなかったよ――オリヴィア」
オリヴィア? と疑問に思い、振り返ろうとしたブレムは、うまく身体を動かせないことに気がついた。
かろうじて動かせる頭で、顎を引くようにして足元を見ると――地面から数十センチほど、身体が宙に浮いている。
「ブレム様――そして皆様も、お怪我がなさそうで安心しました」
その声とともに浮遊感が消え、足が地面に触れる。
「オリ――」
混乱していたブレムだったが、地面に降り立つや否や、凛とした鈴の音のようなオリヴィアの声がした方に振り向き――
「――え?」
ブレムは再び、言葉を失った。
◇
最初に意識が向いたのは、正面に立つオリヴィアの姿だった。
身を純白の修道服に包み、長い銀髪がさらりと肩口を流れている。
顔には安堵したような笑みが浮かんでいた。
その姿に怪我なども見当たらず、朝見送ったときと比べて変化はない。
ブレムが息を呑んだのは、その背後に浮かぶモノを目にしたからであった。
それは、大時計だった。
全長はオリヴィアの背丈の三倍は優にあるだろう。
所々に龍の意匠が絡みつき、全体的に華美であるが、どこか神聖さも宿していた。
その時計には、針が三つあった。
長針は『12』を、短針は『3』を指したまま――微動だにしない。
だが、三本目の針だけが一定の速度で反時計回りに回り続けていた。
ブレムには心なしか、その針は少しずつ短くなっているように思えた。
「【聖女】様、その時計はもしや……?」
恐る恐る、と言った様子でキキョウが口を開く。
「そうか。あの日キキョウは不在だったから、初めてアレを見るんだね」
立ち上がったメイアスは、苦笑しながら呟いた。
「“指定した範囲の時間を止める”……それが、その魔法の効果だっけ?」
オリヴィアは、にこやかに微笑みながら頷く。
「はい。恐らく」
「……恐らく?」
「私も授かるままに行使しているだけなので、詳しくは説明できないというか……」
「……何だって?」
「はは、流石だなぁ……」
絶句するキキョウと、苦笑するメイアスをよそに、オリヴィアは歩み出す。
「到着するのが遅れてしまい、皆さんを危険な目に晒してしまったことは、本当に面目ありません。私も、礼拝堂に魔物が発生したことは直ぐに気付いたのですが……」
オリヴィアの歩みに合わせて、大時計も静かに追従するように動き出す。
「それに対処する直前、街の中にも魔物が複数出現したのを確認しました。礼拝堂に出現したものと同種の魔物がです」
――あの鯨が?複数体?
ブレムは背中が冷えるのを感じた。
あの光線、そして最期の自爆を一発でも放たれたら、街は一瞬で大惨事と化すだろう。
キキョウが慌てたように聞き返す。
「――何だって?あの鯨と同じ魔物が複数体街の中に?」
「はい。見た目も挙動も、死後の自爆も、全て同一でした」
オリヴィアはそこで区切ると、苦笑する。
「それらの討伐に時間を要してしまい、礼拝堂の魔物を後回しにせざるを得ませんでした。無論、被害は建物にも、人々にも出ておりません」
「……複数体を相手にして、被害なし……?」
キキョウは、再び言葉を失ってしまう。
オリヴィアはブレムの前で立ち止まる。
そして一瞬だけ安心させるような微笑みを浮かべながら、こちらに視線をやると、再び前に向き直る。
「――■■■■」
その呟きは、再び鳴り出した轟音に掻き消され、聞き取ることが出来なかった。
オリヴィアの背後で浮かんでいた大時計の長針が、ゆっくりと時計回りに動き出す。
オリヴィアの眼前で停止していた白い光が、後退し始める。
否、礼拝堂の中央――鯨の死骸があった場所に向かって、収束している。
(違う。収束でもない。これは……巻き戻ってる?)
白い閃光だけではない。
地面に燃え広がっていた炎が、巻き上がった粉塵が、散乱した瓦礫が、散在していた魔物の死骸が、まるで時間を巻き戻すかのように元の場所に戻っていくのをブレムは認識した。
白い光が退くにつれ、その向こう側の景色が戻ってくる。
魔術師たちは呆然とこちらを見ていた。
バッカスは、硬い表情のまま展開していた障壁を解除する。
やがて礼拝堂は、既視感のある光景へと巻き戻っていった。
それは、昨日オリヴィアと一緒に訪れたときに見かけた光景とほぼ同じだった。
巻き上がった粉塵も、散乱した瓦礫も、まるで元々存在しなかったかのように消え失せていた。
異なる点があるとすれば、礼拝に来た人々がおらず、礼拝堂の中央に再びあの鯨の魔物がぴたりと静止したまま宙に浮かんでいることだろう。
そして誰1人として声をあげない礼拝堂の中を、オリヴィアは再び歩み始める。
唐突に、宙に鎮座していた大時計が粉々に砕け散った。
オリヴィアは驚いたように肩を振るわせると、苦笑する。
「さっきも大分酷使しましたからね……今は、ゆっくり休んで下さい」
大時計が砕け散ると同時に、困惑したように身じろぎ始めた鯨に向かって、オリヴィアは微笑む。
「それでは、もう少しだけ付き合って下さいね?」
「――ォォォォォォォォォォォォ!?!?!?」
その言葉を皮切りに、鯨が悲鳴に近い咆哮をあげる。
裂けるように口が開き、その奥で赤い閃光が灯った。
それだけではない。鯨の全身から、濁った赤い光が眩きはじめる。
「さっきはごめんね、ブレム君。まさかアレが最期に自爆するなんて、想像もしてなかったよ。
命を賭けて君を守るなんて宣言したのに、格好がつかないなあ」
隣に立ったメイアスが、肩をすくめて笑う。
「いや、それはいいんだけど、それよりあの鯨が何か放とうとしてないか?」
「……心配はないでしょう、ブレムさん」
ふらつきながらも、メイアスの隣に立ったキキョウが息を整えると、顔を強張らせ、呟く。
「彼女は、【聖女】様は――化物ですから」
言い終わると同時に、鯨の全身から、赤い光線が四方八方に放たれる。
それらのうち、口から放たれた、一際眩く輝く光線が、オリヴィアに向かって飛来し――。
「――眠りなさい、迷えるもの」
直撃する直前、その赤い閃光が音もなくかき消えた。
礼拝堂内に四方へ散った赤い光線も、いつのまにか姿を消していた。
「ォォォォォォォォォォォォ!?!?」
「――鎮まりなさい、名もなきもの。
嘆きはここに置きなさい」
心なしか驚愕を滲ませた雄叫びをあげる鯨に向かって歩みを進めながら、オリヴィアは唄い始める。
(あれは詠唱……じゃない?ただ唄っているだけ?)
一連の攻防を眺めていたブレムは、理解した。
あの唄に、魔術的な構造は一切存在していない。
「――怒りはここに捨てなさい。
その牙を閉じ、
その目を閉じ、
その命を、解きなさい」
しかし現に、他にも魔術式らしい魔術式を発動していないのに、その唄に何の意味もないはずなのに、鯨の攻撃は一切オリヴィアに届かない。
「ォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」
鯨がオリヴィアに背を向けて、逃げ出すように泳ぎ出す。
それはまるで、天敵から逃げる小魚のようで――。
「主の光へ、還りなさい。
赦しは、ここにある。
祈りは、ここにある。
だから――眠れ」
そして、オリヴィアは歩みを止めると、宣言した。
「【天龍顕座】」
そう言い切ると共に。
オリヴィアの背後から現れた黄金の龍が音もなく、逃げる鯨を一口に呑み込んだ。
最期の悲鳴も、爆ぜる音もなかった。
次回は明日の22:00に更新します




