第10話 変わらない距離
会計を終えたブレムとオリヴィアは、そのまま店を後にした。
「夕食はどうする?食ってから帰るか?」
「教会の方で用意して下さるそうですよ」
「じゃあそのまま帰るか」
そんな他愛のない会話を交わして、ブレムとオリヴィアは、西に傾いた陽射しが照らす石畳を歩き出す。
しかし、ブレムの心は落ち着かないままであった。
まず、普段ならまず着ない細身の上衣。
動きに不自由はないが、慣れないものはやはり慣れない。
そして
「……見過ぎじゃないか?」
隣から向けられる視線に耐えきれず、ブレムは呟く。
オリヴィアはこちらを見つめたまま答えた。
「仕方ないです。似合っていますから」
「さっきからそればっかりだな」
「事実ですので。それに、ブレム様も少しこちらを見過ぎでは?」
オリヴィアに微笑みながらそう返され、ブレムは言葉に詰まる。
オリヴィア自身の格好も、肩口のわずかに開いた軽装のままだ。
普段の修道服とは違うその姿は、歩くたびにどうしても視界に入ってしまう。
だが、それを口にすると余計に意識してしまいそうで、ブレムは何も言えずにいた。
……ただ少しオリヴィアの露出が増えただけで、こんなに落ち着かなくなるなんて、俺は単純すぎないか、とブレムは自分の分かりやすさに半ば呆れもしていた。
そのときだった。
「……誰かにつけられていますね」
オリヴィアが視線を前に向けたまま、そう呟いた。
「つけられている?」
ブレムは反射的に周囲を見回すが、時刻が夕方なのもあって人通りが多く、それらしい人物は見当たらない。
オリヴィアは少し眉を顰めた後、すぐに表情を和らげた。
「ああ、良かったです。悪意のある人間が尾行している訳ではなさそうなので」
「分かるのか?」
「はい。勘なので、断定は出来ませんが……」
オリヴィアはそう言うと、ブレムの手を引きながら人通りの少ない脇道へ入った。
表通りの喧騒が遠のき、石壁に囲まれた細い路地をわずかな静けさが支配していた。
「……ここにその尾行していた相手がいるのか?」
「恐らく……なるほど、先ほどから尾行していたのは貴方でしたか、メイアス」
オリヴィアはそこで足を止めると、路地の奥の方に視線を向けた。
しかし、ブレムの目には人どころか猫一匹もいるように思えない。
だが――。
「やっぱりすぐバレちゃうなあ」
路地の奥ではなく、ブレムの横から、穏やかな声がした
反射的に振り向いたブレムは、思わず息を呑んだ。
つい先ほどまで誰もいなかったはずの場所に、小柄な少年が立っていた。
年齢はブレムやオリヴィアとそう変わらないだろう。
線の細い体つきに、整った顔立ち。
切れ長の目元には穏やかな印象があるが、その表情の奥はどこか掴みづらい。
紺に近い深い色の神父服は全体にゆったりとしていて、小柄な体格をさらに細く見せていた。
腰には、その穏やかな印象には不釣り合いな細身の剣――レイピアが静かに提げられている。
全体としては華奢で、身長もブレムより低かった。
「久しぶり――という訳ではないか、一ヶ月前に会ったっけ?」
「私がレメリア王国に出発する直前にお会いしたので、大体そのくらいですね。お元気そうで何よりです、メイアス」
少年は気負いのない調子でそう言い、オリヴィアも穏やかな笑みを浮かべて応じる。
そのやり取りから、やはりオリヴィアの言うとおり、害意のある相手ではないだろうとブレムは判断する。
(……様付けしていない?)
だが、それ以上にブレムが引っかかったのは、その呼び方だった。
オリヴィアは通常、どんな相手にも敬称を崩さず接していて、それはブレムに対しても例外ではない。
しかし、このメイアスという少年に対しては、敬称がなかった。
「気配は完全に隠せてたつもりだったんだけどなあ……」
「私も勘で気付いただけですよ?魔力探知では全く感知できませんでした。」
「また勘か。相変わらず……って、それはいいとして」
メイアスはそこで初めて、ゆっくりとブレムへ視線を向けた。
わずかに興味を含んだように目を細めながら、穏やかな笑みを浮かべる。
「ごめん。初めて会ったのに、自己紹介がまだだったね。僕はメイアス・モルタリス。オリヴィアとは見習い神官の時からの付き合いかな」
「……なるほどな」
何故オリヴィアに敬称を付けずに呼ばれているのか、またオリヴィアとはいつからの付き合いか、ブレムは聞きたいことがあったが、ひとまず自分も名乗り返そうとした。
「俺はブレム・シェルと言う。ブレムでもシェルでも好きなように呼んで欲しい。オリヴィアとは――」
「恋人なんだよね?」
「……知ってるのか」
ブレムは眉を顰める。
「教会で軽く噂になってるからね。でも――」
メイアスはそこで一旦言葉を区切ると――。
つい先ほどまで少し離れて立っていたはずのメイアスが、気付けば目の前まで距離を詰めていた。
「っ――!?」
「ちょっと想像と違ったかな。あ、勿論いい意味でね?」
反射的に息を呑む。
ブレムは、瞬きすらしていない。
しかし、視界の中で移動したはずなのに、まるでその過程の時間だけが抜け落ちたような錯覚すら覚えてしまう。
「メイアス、ブレム様が驚いています」
「ああ、ごめんごめん」
オリヴィアの嗜めるような声にメイアスは苦笑すると、ブレムから一歩離れる。
しかし、ブレムは何か言葉を返すことが出来なかった。
「さて、まだ話し足りないこともあるけど、そろそろ失礼しようかな。これ以上2人の時間を奪うわけにもいかないし」
「分かりました、またお会いしましょう……因みに、何故尾行しようとしていたか理由を伺うことはできますか?」
立ち去ろうとするメイアスに対し、オリヴィアが静かに問いかける。
メイアスは振り返ると、何でもないように言い放った。
「ああ、上層部から、2人の動向を把握しろって言われてね」
「……それは、私たちに伝えてもいいことなのですか?」
「勿論口止めされてるよ?」
メイアスは肩をすくめて笑った。
「古くからの友人に嘘を吐くのはどうかと思ってね。心配しなくても、多少の命令違反は許してくれるよ、あの人たちは」
そして、今度こそ踵を返す。
「じゃあね、2人とも。末長く幸せに……ってのは違うか。頑張ってね」
そう言って歩き出した背中は、数歩先で物陰に差し掛かるより早く、気付けば視界から消えていた。
「変わりませんね、彼は……」
メイアスが消えた先に視線をやりながら、呆れたように、しかし少し懐かしむように微笑むオリヴィアに対して、ブレムはふと先ほどの違和感を口にした。
「教会の人間は、大体がオリヴィアを敬って接すると思ってたんだけど、さっきのメイアス……さんは違うんだな」
「……昔は、誰もがメイアスのように私と接して下さったのですが……」
オリヴィアはそこで少し寂しさを滲ませると、それを誤魔化すように微笑んだ。
「今が悪いと言う訳ではないのですがね……そういう意味では、メイアスは私と変わらず接してくれる数少ない人です」
「へえ……」
ブレムは、メイアスが姿を消した辺りに視線をやりながら、ぽつりと呟いた。
「……良かった」
「良かった、ですか?」
「いや……」
改めてその言葉を口にしようとすると気恥ずかしくなってしまうが、ブレムは小さく息を吐いてから言った。
「……俺とかバッカスさん以外にも、オリヴィアと変わらず接してくれる人がいて、良かったってこと」
その言葉を予想していなかったのか、オリヴィアは一瞬だけ目を見開いた。
やがて、少しだけ困ったように、それでいて柔らかく微笑んだ。
「私にとっての一番は、ブレム様ですけどね」
「……それは良かった」
思わぬオリヴィアの一言に、ブレムは視線を泳がしながら、そう返すことしかできなかった。
「……帰りましょうか、ブレム様」
「ああ」
再び並んで歩き出す。
先ほどまでの喧騒へ戻る足取りは、どこか静かで――けれど、不思議と心地よかった。
次回は明後日の21:00に更新します
……多少時間が前後するかもしれません




