氷晶石(クリオライト)
急いで食事を済ませ、多めに焼いていたレモンパイを手土産にと箱に入れる。
焔は、もとになった魔石からあまり離れられないというので、お留守番だ。
「じゃあ焔、ちょっと行ってくるね。お留守番よろしく」
「ほむちゃんとおるすばんする。いってらっしゃい、アミィ様」
元気に手を振る焔に軽く手を振り返して転移門をくぐると、馴染みのあるケルノマスト商会長室の空気が、ひやりと肌に触れた。
「よう来たのう、アミィ。急にすまんかったな」
執務机の向こうから立ち上がったバルメステリオが、いつもの調子で大きな手を広げる。暑さの話を聞いていただけに、室内が思ったより過ごしやすいことに目を瞬かせた。窓辺には厚手の布が引かれ、陽射しを和らげている。磨き上げられた木の床にも、どこか落ち着いた涼しさがあった。
「こんにちは、バリー。これ、よかったらヴェントルーザと食べて。」
「おお、甘味かの。急に呼び立てたうえに気を使わせて悪いの」
バリーは満面の笑みで受け取ると、給仕の商会員へと渡した。商会員は軽く会釈をして奥へと消えていく。切り分けてきてくれるのだろう。
「いやぁ、石があれば氷ができるかもしれん言うとったじゃろ。今は町じゅう、暑さで皆ひいひい言うとるからの。急いだほうがええと思うてな。まあ、座って話そうかの」
応接セットに視線を移すと、すでにアルギュメスタが来ていてさっと立ち上がった。
彼女の隣には見慣れない男がひとり。思わず目を留めると、男は浅く頭を下げた。
静かで、ひどく寡黙そうなエルフの男性だった。
肩を流れる長いシルバーブロンドはさらさらと光をはじき、雪のように白い肌と相まって、全体の色彩は驚くほど淡い。仕立てのよい紺のスーツに白いシャツを纏った細身の長身は、すらりと伸びた枝のように無駄がなく、立っているだけでどこか張りつめた静けさをまとっていた。
「アメジスト様、こちらは私どもの商会で魔術具・魔導具部門長をしております、エナテリアスでございます。お探しの鉱石は魔導具の材料とのことで、同席させていただいております」
「お初にお目にかかります。魔術具・魔導具部門を預かっております、エナテリアスと申します。以後お見知りおきを」
低く、静かな声だった。余計な抑揚はないのに、よく通る。
頭を上げたエナテリアスと目が合う。
まつ毛までもが淡いシルバーブロンドの彼の瞳は、深い夜空を思わせる、昏い紺青だった。淡い貌の中で、その色だけが不意に深く、思わず吸い込まれそうになる。
どこか近寄りがたいほど整ったその雰囲気に、ふと後ろ隣に立つザクロと見比べた。
「なにか?」
小さく首をかしげるザクロは、どこか古めかしい威厳をまとい、聖獣特有の圧を持っている。エナテリアスからはそうしたものは感じない。けれど、こちらを見つめる気配の奥に、容易には揺るがぬ静かな芯のようなものがあった。
「どうぞこちらへ」
席を示す手に視線が下がる。袖口のカフスボタンに嵌め込まれた登録水晶は、澄んだ水晶の奥に繊細な濃紺の花を封じ込めたような石だった。余計な濁りをほとんど持たないぶん、その紋様は夜空の底にひそやかに咲く花のように鮮やかで、思わず見入ってしまう。
「アメジスト様、エーレ様、ザクロ様。本日はお越しいただきありがとうございます」
「お招きいただきありがとう。お願いしていた鉱石が見つかったと聞いたわ。これで氷の魔導具が作れるかもしれないのだもの。急いで来てしまったの」
魔導具という単語に、エナテリアスの視線がわずかに強くこちらを捉えた。静かな顔つきのまま、目だけが熱を帯びたように見える。
「ふふ、エナテリアスはずいぶん楽しみにしてくれてるみたいね」
「……貴重な機会ですので」
にこりと笑いかけると、彼は小さく咳払いをして目をそらした。どうやら勘違いではないらしい。
「鉱石が届いた時、エナテリアスが一番興奮しておったからの」
バルメステリオが笑いながらテーブルの中央へ置かれた箱へ手を伸ばした。
「さて、これが例の鉱石じゃ」
彼が蓋を開くと、中には淡い布に包まれた原石が眠っていた。
拳ほどの大きさをしたその石は、白く曇った半透明で、まるで氷の塊をそのまま削り出したようだった。
「これはなんていう鉱石なの?」
「うむ。氷晶石とか、クリオライトとか呼ばれとる」
そっと箱の中を覗き込む。
クリオライトは地球でも名だけは知っている鉱石だった。天然のものは希少だったはずだ。もちろん、現物を見るのは初めてである。この世界でのクリオライトがどれほど貴重なのかまでは、わからないけれど。
「ずいぶん探させてしまったのではないですか?」
「そうじゃの。これも北の山脈のドワーフどもが、偶然見つけてくれたんじゃ」
バルメステリオはやれやれと肩をすくめたが、その顔にはいつものようにどこか楽しげな色があった。
「もともと氷室なんかに使う氷は、冬のうちに山の湖や川が凍りついたところから切り出しておる。じゃが、そういう場所はたいてい底が深い。鉱石が氷に閉じ込められることはほとんどないし、仮にあったとしても、今の時期では溶けてしもうとることが多い」
「なるほど……それは、鉱石が長年氷に埋まるというのは難しいですね」
エーレが小さくうなずく。
「そうなんじゃ。長く氷に埋まっていた鉱石など、探せと言われても夏には溶けとることが多い。ところがだ。今年はこの異様な暑さじゃろう? 山頂近くの氷壁がずいぶん緩んで、亀裂が入っての。千年以上閉じとった洞窟の入口が現れたそうじゃ」
「千年以上……それは付近への影響も大きかったのではないの」
地球で見た氷山の崩壊の映像が脳裏をよぎる。驚きと焦りが顔に出ていたのだろう。アルギュメスタが静かに後を引き取った。
「亀裂の入った氷壁は崩壊したわけではございませんのでご安心ください。調査に入ったドワーフの方からは、北の山脈の環境には今のところ影響はないと聞いております。発見された洞窟は、過去千年分の資料のどこにも記されておりませんでしたので、千年以上前、それこそ建国前に氷壁によって閉ざされたものだろうと結論づけております」
特に大きな影響は出ていないと聞き、安堵の息をついた。
「ドワーフの調査隊がその洞窟に入ったんじゃがな。洞窟の壁は氷に覆われておったとか。最奥部の氷床に、六花模様がちらちらと光る部分を見つけた。最初は霜か何かかと思われたようじゃが、その中心付近だけ、光の返り方が妙に違って見えたとか」
「それで掘り出した、と。」
「ああ。やつらは鉱石や鉱物が大好きじゃからの。長く氷中に閉ざされていた鉱石があれば優先的に買い取りたいと依頼も出しておったこともあって、丁寧に掘り出してくれたんじゃ」
六花模様。
その響きに地球での雪の結晶を思い出して、箱の中の石を見つめ直した。目の前の白く曇る石にはそんな模様は見られない。
「こちらをご覧ください」
そう言ってアルギュメスタが、横に用意されていたガラスの器にゆっくりと石を沈める。
すると、石の輪郭がぼやけて見えなくなると同時に、見えていなかった六花模様が水の中に浮かび上がる。
光の魔石を器に近づけて発光させると、模様を形作っている線が反射し、より幻想的に揺らめいた。
「……きれい。氷の結晶みたい」
「あそこはほれ、氷のやつの住処があっただろ」
不意に、ヴェントルーザがぽつりと口を挟む。
いつの間にかすぐ後ろに現れていたヴェントルーザは、切り分けられたレモンパイをもぐもぐと口に運びながら、神妙な顔で覗き込んでいた。商会長室の者たちも、もはや彼の現れ方には少し慣れてしまったらしい。エナテリアスだけが、一瞬だけ目を見張ったが、声は上げなかった。
「ちょっと、ヴェントルーザ……パイの屑が落ちるじゃない。お皿に乗せて座って食べてよ」
美しい水中の輝きにうっとりしかけた感動は、たちまちどこかへ消えた。頭の上や肩にぱらぱらと落ちるパイの破片をさっと払い、ヴェントルーザを隣に座るよう促す。
「おぉ、すまんすまん。アミィ様よ、これうまいな。甘さと酸味が爽やかで良い。新作か?」
「地球で夏のお気に入りだったの。ランチのデザートに、少し前から出してるのよ」
「ほう、それはよいな」
ヴェントルーザがドカッと隣に座り、最後のひとかけらを口へ放り込む。
「氷のやつというと……グラシアーロ様ですか」
「そうそう、グラシアーロ。あいつは怠惰な引きこもりだからな。よくあの辺の洞窟を氷漬けにして、何十年、何百年と寝とった」
「……その名残、ということですか」
ヴェントルーザは給仕に追加のレモンパイを皿に乗せてもらいながら、エーレの問いかけに肩をすくめる。
「さあな。そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。氷の中に妙な紋様が残っとるってんなら、まるきり無関係でもあるまいよ。あやつのよだれの塊かもな」
器から石を取り出すと、がっはっはと冗談めかして笑い飛ばす。
石を見つめて、そっと息を吐く。そんないわくがあるところから産出された石。
今までのことがあるから、声が聞こえないかじっと集中して観察してみたが、特に何かは感じない。
――なんだかぴったりと蓋をされているような…うーん......
石をじっと見つめていると、バルメステリオの少しだけ真面目な声が聞こえた。
「……代金じゃがの」
どうやらこの世界でも希少な石らしい。きっとお高いのだろう。高額請求を覚悟して、息をのむ。
「今回はいらん」
「はえ?」
予想外の申し出に拍子抜けしてしまい、素っ頓狂な声が出た。
「その代わり、と言うたらなんじゃが……氷の魔導具がうまくできたら、各ギルドにも氷を融通してもらえんかの」
「各ギルドに?」
「うむ。食品も酒も、この暑さじゃ保管が危うい。氷室だけでは追いつかんところが増えてきとる。商会だけで抱え込むつもりはないが、あちこちで困りはじめておってな」
珍しく、冗談の色をほとんど混ぜずにバルメステリオは言った。
大きな体を椅子に預けたまま、指先で肘掛けをとんとんと叩く。その顔には、この街の流通を預かる者としての現実的な焦りが滲んでいた。
「食べ物が駄目になれば、値も跳ねます。暑さが続けば酒蔵も困るでしょうし、ポーションの保存にも影響が出るかと」
アルギュメスタが補足する。
――ん…ポーション??
なにか聞き捨てならないファンタジーな単語か聞こえた気がする。
「そういうことじゃ。できるだけ早う、どうにかしたい」
エーレと顔を見合わせた。
この暑さの中で困っているのは、私たちだけではない。街全体が少しずつ、でも確実に疲弊し始めているのだ。まだ季節は始まったばかり。例年なら六の節までは暑さが増していくと聞いている。
「わかったわ」
「おお」
「どんな魔導具になるかはわからないけれど。うまく作れたら、できるだけ融通できるように考えるわ」
「助かる」
バルメステリオが短く呟いて深くうなずく。その横で、ずっと静かだったエナテリアスの視線が鋭くなった。
「……創造の場に、同席させていただけないでしょうか」
静かな声だったが、そこに宿る熱は隠しようがない。
瞬くと、アルギュメスタが淡々と補足する。
「エナテリアスは少々……こほん……いえ、かなり魔導具に関心が深く。今は古代の遺物を残すのみとなっている魔導具が創られる場を目にしたいと考えているのです」
「ああ、そういうこと」
アルギュメスタが言い直す様子に、言葉以上のものを感じる。真顔のまま、わずかに前のめりになっているエナテリアスを見て、小さく笑った。
「ええ、もちろん。この後、店に戻ってさっそく取りかかるので、エナテリアスさんも一緒にどうぞ」
軽い気持ちで誘ったのだが、エナテリアスの紺青の瞳が潤むのが見えた。
「おぉ……転移門を通れる」
かすかに震える声になぜかとられる神官の礼。かすかに天を仰いで動く口元は「神に感謝を」と動いたように見えた。
呆れのようにアルギュメスタがわずかにだけ目を細め、エナテリアスの肩を叩く。
はっとした様子で居住まいを正すと、また元の寡黙な面持ちで「ありがとうございます」と頭を下げた。
「じゃ、もう行きましょうか。ヴェントルーザ、石を返してちょうだい」
いまだに石を握りしめているヴェントルーザに言うと、すまんなと笑いながら丁寧に箱に戻してくれた。
箱を受け取り、席を立つ。ふと、ヴェントルーザの皿に残るレモンパイが目に入り、小さく笑う。
「そのレモンパイ、しっかり冷やすともっと美味しいのよ。魔導具が完成したら、冷え冷えのパイも食べにきて」
「おぉ、それはいいな! 必ず行くぞ」
嬉しそうに目を輝かせるヴェントルーザに、くすりと笑ってブレスレットを壁にかざした。
詠唱とともに、転移門がひらく。
先頭で門をくぐると、後ろから漏れ聞こえるエナテリアスの感嘆の声が遠くなっていく。
さらにその向こうで、
「ちょっとルーザ様、パイ食べ過ぎじゃ。わしの分も残しておいてくれんか」
と、バリーの情けない声が響いて、思わずくすりと笑みがこぼれた。




