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月の女神の後継者  作者: HARUKA


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氷の魔道具

転移門を抜けて店に戻ると、店内は天窓から差し込む夕暮れに赤く染まり、扉には青白い満月が淡く光っていた。


エナテリアスはその消えていく門を最後まで見届けると、ほんの一拍だけ目を細める。


「……なるほど」


感嘆とも確認ともつかない声を漏らした次の瞬間、彼の視線はもう店内へと向いていた。


「中へどうぞ。今、お茶を淹れるわ」


先にカウンターに入っていたエーレが店内の照明をつけると、壁に埋め込まれた光の魔石が一斉に発光し、夕暮れをかき消した。


エナテリアスは壁の照明をじっくりと見回しながら、ゆっくりと店内に歩を進める。やがて驚いたように目を見開き、扉を凝視した。扉に浮かぶ満月と天窓を交互に見やると、足早に扉の前まで進む。


「これは……なんと……」


小さく呟くその声は、アミィの耳にはよく届かない。


懐から細身の眼鏡を取り出してかけると、何やら難しい顔をして扉と天窓を眺めていた。しばらくして満足したのか、片づけようと眼鏡に手をかける。だが、その視線が店の奥へ移った途端、指先がぴたりと止まった。


カウンターに入ってヤカンに水を入れる。火の魔術具に手をかけると、小さなサラマンダー姿の焔が顔を出した。


「おかえりなさい」


アミィの手に優しく頬を当てると、台から降りるのと同時に人型へ変化する。


「ただいま、焔。お留守番は問題なかったかしら」


「うん。ほむね、テーブルをぜーんぶきれいにふいたの。えらい? ほめて」


思わず頬がゆるむ。


「えらいわ。ありがとう、焔」


焔が嬉しそうに笑う横で、エーレが声をかけた。


「エナテリアスさんは、コーヒーと紅茶ではどちらがお好みですか」


扉の前でまだ小さく呟いていたエナテリアスが、はっとしたようにこちらへ向き直る。


「失礼しました。濃い目のコーヒーを」


短く返してカウンターに座る。無表情だが、その目には強い熱が宿っているように見えた。外しかけていた眼鏡を戻したまま、視線を奥へと移す。


「これが、噂に聞いていたゴブレットですね」


指先で眼鏡の位置を押し上げながら、エナテリアスは食い入るようにそれを見つめた。


「手に取ってみます? ちょっと待ってくださいね」


「よろしいのですかっ」


ガタリと立ち上がり、前のめりになるエナテリアス。その語気の強さに、魔導具への情熱がにじんでいた。


傾けて置いていたゴブレットを持ち上げ、台座に埋め込まれた水晶に軽く触れる。水晶が淡く青白く光ると、器を満たしていた水がすっと消えた。エナテリアスの前に大きめの深さのある器を置き、その横にゴブレットを置く。


「こちらの水晶が起動のきっかけになっています。軽く触れると水があふれてきますので、こちらの器の上で作動させてください」


「では……失礼して」


先ほどまで絶え間なく冷たい水を溢れさせていたゴブレットを、まずは正面から、横から、少しかがんで下からまで観察する。ついで軽く水晶に触れると、ゴブレットの底からじわりと水があふれ出た。


「ほぉ……」


小さく感嘆を漏らしながら、しばらくして縁に達した水に手をかざし、水の落ちる軌道まで確かめている。


「こちらの水晶は魔石ではないのですよね」


「え、ええ」


「一般に知られている魔導具と同様に石はついているが、魔石ではないのと。どういう構造なのでしょうか? そしてこの水。この水はいったいどこから来ているのですか。どこかからの転移、いや……空気中から生成しているのでしょうか。いやしかし……冷たい水が湧き出ているのですから、どこかで熱を奪っているのか。器は熱くなっていないので冷却効果でしょうか。それとも最初から“冷たい水”を生み出しているのか……。む……いっぱいになると止まるのですね。あぁ……傾けて置くと流れ続けるのですか。なるほど、それで……」


「え、ええと……」


「やはり魔導具は魔術具とは根本から違う。魔石を必要とせず、動力源は不明。水晶に触れることで作動させることができるのであれば、やはりあの石に何らかの役割があるのでしょうか。では、誰の手によってどのように作られたものなのか。いつ作られたものなのでしょうか。きっと相当古いものなのでしょう。これまで発見されている魔導具は、浄化の日より前に作られたものだとか。しかし劣化の気配も薄い……。どういうことなのでしょうか。自動修復や自動洗浄の機能を有しているのでしょうか」


矢継ぎ早の問いに、アミィは思わず目を瞬かせた。


「えと……このゴブレットは、千年以上前に造られたもの……ね」


ゴブレットが生まれたときの記憶を、ぼんやりと辿ってみる。花の咲く庭の小道、銀の髪を風に揺らしたダイアナが、水晶に触れ、光の中からあの形を導き出した午後。


――石には記憶が宿る。だからこの水も、優しい気持ちで手を差し出した人にだけ応えてくれるのよ。


そんなふうに言われた気がする。けれど、幼いあの日の自分には、その意味はよくわからなかった。


「……うまく説明ができなくて、ごめんなさい。私も詳しいことはよくわからないの」


アミィが少し申し訳なさそうに言うと、エナテリアスははっとしたように顔を上げた。


「い、いえ。こちらこそ失礼しました。このような希少な魔導具に実際に触れる機会は、あまりないものですから……」


そのとき、ザクロが静かに口を開いた。


「いずれルミスカーロ様が顕現されるであろう。さすれば、そなたの求める答えも得られよう。そなたの水晶は、あの方の加護を帯びておるように見える。今はまだ宿すとまではいかぬが、いずれはわからぬ。励むがよい」


「そうですね。エナテリアスさんの水晶の青い放射線状の内包物は、ヂュモチュライトではないでしょうか。なじみ深いところで言えば記録魔石ですね。あれはルミスカーロ様の象徴石です。広く使われていますし、あなたのように熱心に魔導を解き明かそうとされる方がおられるのであれば、あるいは……」


エーレがにこやかにエナテリアスの前へコーヒーカップを置く。


エナテリアスはゴブレットを停止させてエーレに手渡すと、「ありがとう」と呟いてカップへ手を伸ばした。


「ルミスカーロ様は、神殿の書物で拝見したところによると、英知の神とされている方ですね。その方の加護……ですか……」


カップを持った手の袖口からのぞくカフスボタンに、そっと触れる。闇夜の花が咲いたような、細く繊細な内包物を持つ登録水晶はたいそう美しい。これだけの情熱を持つエナテリアスだ。今はまだ感じることはないが、定期的に意識を傾けてみることにしよう。


感慨深そうに呟くその横顔を見ながら、アミィはもう一度ゴブレットへ目を向けた。


ダイアナ様の言っていたことも、あの頃は幼くてよくわからなかった。けれど、この世界に来てから石のざわめきに耳を傾けるうちに、少しだけ見えてきた気がしている。


石の内に眠るものへ触れ、その記憶や気配を掬い上げて、あるべき形へ導いていくのだ。


――今なら、できる気がする。


「氷の魔導具、挑戦してみるわね」


店の奥にある作業台に布を敷き、その上へ箱を置いた。蓋を開けると、室内の光を受けてクリオライトの白い石肌が、かすかに青白く光を返す。


「……もし差し支えなければ、近くで拝見しても?」


エナテリアスが遠慮がちに声をかける。先ほどまでの勢いを思えば意外なくらい控えめな口調だった。


「ええ、もちろん。ただ、何が起こるかわからないから、近づきすぎないでね」


「承知しました」


白く曇った原石を、そっと両手で包み込む。ひやり、とした冷たさが掌に馴染んだ。けれどそれはただ熱を奪う冷たさではなく、どこか長い眠りの底に沈んだ静けさを、そのまま閉じ込めたような感触だった。


氷室で使うことを考えれば、作るべきは細かな氷ではない。大きな氷塊をしっかり作れるものの方がいい。必要なぶんだけ砕けば、食用にも使える。


箱型の器がいいかしら。水を満たして、しっかりと凍らせて――できるだけ大きく。人が一人入れそうなくらいかな……。


大きなものになりそうなので、アミィは作業台を寄せて床を広く空けようとした。


「こちらを動かせばいいのですね」


すぐに意図を察したエナテリアスが、反対側へ回って手を添える。


「ありがとう、助かるわ」


二人で作業台を脇へ寄せると、床の中央に十分な空間ができた。エナテリアスは一歩下がって様子を確かめ、それから作業台の向こう側へ腰を下ろす。


「では、私はじゃまにならないようこちらにおります」


そう言いながらも、その目はすでにクリオライトへ釘付けだった。


そっと床にクリオライトを置き、指先で触れながら胸の奥から湧き上がる言葉を紡いでいく。


指先が一層冷気をまとい、淡く光る。石を中心に広がっていく光が、やがて箱の形を作っていくのを見ていて、ふと妙なことが頭をよぎった。


――なんだか、地球で聞いた吸血鬼の棺みたいだわ……


しまった、と思ったときには遅かった。


組み上がりかけていた箱の輪郭に、いつの間にか寝心地のよさそうなクッションめいたものまで付いてしまっている。これでは製氷用の箱というより、立派な寝具つきの棺桶だ。


――だめだわ、違う、違うのに……


気を取り直し、乱れかけたイメージを修正するように意識を集中させる。ダイアナがそうしたように。押しつけるのではなく、石の内に眠るものへ、そっと手を差し伸べるように。


息を吸い、詠唱を紡いだ。


光が、掌の隙間から漏れた。


クリオライトが一層強く青白く輝き出し、石そのものの輪郭がふわりと揺らぐ。アミィはさらに言葉を重ね、棺じみた形をなんとか修正しようと意識を注いだ。


そのときだった。


胸元のアメジストが、じわりと熱を帯びて光り始めた。


「……え?」


異変に気づいたザクロがすっと前へ出て、光の箱の中を覗き込んだ。


「……これはもしや」


低く呟いたその声音が変わる。カーバンクルへと変化し、すぐさま導きの詠唱を紡ぎ始めた。


Mi, gardanto de la Teksanto de memoroj ŝtonaj,

kaj lumo de gvido.

Aŭdu la sanktan vokon,

sekvu la ruĝan lumon,

kaj venu al la voĉo, kiu teksas memorojn――


紅い光が細い糸のように揺れながら、箱の中心へと吸い込まれていく。ザクロが振り向き、鋭く言った。


「アミィ、これは神の気配だ。顕現の詠唱へ切り替えよ」


「え、ええ――!」


何が何だかわからないまま、アミィは反射的に頷いた。込み上げる光に押されるように、紡ぎかけていた言葉は奥に眠るものへの語りかけへと変わる。


溢れた光は一気にまばゆさを増し、白とも青ともつかぬ輝きとなって店内へ広がった。凍えるような風が吹き抜け、頬を打ち、髪をさらう。


「ひゃっ……つめたい……っ」


焔が小さく声を上げる。次の瞬間、火の粉のような赤い光を散らして、火の魔石の中へと逃げ込んだ。


強い冷気と光に、思わずぎゅっと目を閉じた。


やがて光が静かに引いていく。冷気はやわらぎ、足元を流れていった。


恐る恐る目を開いた、そのとき。


箱の中から、青白い手が一本、ゆっくりと伸びていた。


「ひっ……」


思わず後ずさる。


さっき自分で棺だの吸血鬼だのを考えてしまったせいで、幽霊めいた何かを顕現させてしまったのではないかと、背筋がぞくりと粟立った。


エーレもザクロも固唾をのんで見守っている。作業台の向こうに腰かけていたエナテリアスは、箱の中から伸びた手を見た瞬間、弾かれたように立ち上がった。後ずさることはなく、むしろ身を乗り出すようにして、その一挙手一投足を逃すまいと見つめている。


恐る恐る近づくと、箱の中から間の抜けた声がかすかに聞こえた。


「ふわぁ……あ。騒々しいな……」


あくび混じりのその声とともに、青年がゆっくりと上体を起こす。


跳ねた薄水色の髪に、雪のように白いまつげ。血の気の薄い顔立ちは美しく整っていて、どこかひどく儚い。白い長衣をゆるく羽織ったその姿は、今にも倒れてしまいそうな危うさを帯びていた。


けれど、纏う冷気だけは圧倒的だった。


青年は半分閉じかけた目でこちらを見やり、のんびりと口を開く。


「……んあ?」


そして、もうひとつ大きな欠伸をした。


「よく寝た……」


静まり返った店内で、その声だけが妙に間の抜けた調子で響く。


青年はぼんやりと瞬きをしてから、目の前のアミィを見つめ、次いでザクロ、エーレ、エナテリアスへと順に視線を移した。最後に、なおも微かに光を残すアメジストへと目を留める。


「……だれ…」


ひどく気の抜けた問いかけだった。


アミィは目を瞬かせたまま、しばらく言葉を失う。


氷の魔導具を作るつもりだった。

そのはずなのに。


目の前にいるのは、どう考えても道具ではない。


「……ええと」


ようやく絞り出した声は、自分でもわかるほど頼りなかった。


「私はアメジスト。あなたは……?」


青年はゆっくりと首を傾げる。


薄水色の髪がふわりと揺れ、白い睫毛の影が頬へ落ちる。


それから、ひどく眠たげな顔のまま、当然のことのように言った。


「私はグラシアーロ。氷の神グラシアーロだ」


そうしてまた、箱の縁にもたれかかるようにして、うとうとと目を閉じた。

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