近未来SF小説を読みながら
なろうイベント「春チャレンジ2026」のお題「仕事」ということで書いてみた話。
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ヘッドディスプレイの視界の端でペットAIがご飯を要求してきた。視線をそちらに向けるとハートが浮かべて食事するペットの咀嚼音がかすかに聞こえてくる。
もう食事の時間かとヘッドディスプレイを外すと、真っ白な天井と白色灯が視界に入る。横たわっていたベッドで体を起こしても見えるのはほとんどが白一色だ。
ベッドもシーツも布団も肌着も床も壁も机も全てが白い。唯一、机の角部分だけが衝突予防で黒く染められているのが、そこに何か生物的な存在があるような錯覚を覚える。
「食事の時間です。ゆっくりと咀嚼して残さず食べましょう」
人工音声は性別も年齢も感じられないが不思議と冷たさは感じない。単に生まれてから毎日聞いているせいで慣れているだけかもしれない。
テーブルに自動配膳されたものは赤くて薄い四角と緑の球体と黒い立方体。どれも大きさはひとくちで足りるが、飲み込むには少し大きい。噛み締めると、ぱきりという乾いた音を立てて割れるような食感と塩気。繰り返し噛んでいるうちに徐々に甘さが感じられるようになってくる。他のものも同じようにゆっくりと噛んで飲み下す。
そうしている間、目を閉じているのは癖なのだろうが指摘されたことはない。
オンラインで食事をすることもあるが、お互いの顔を見たことはないし、おそらくこの先も見ることはないだろう。そもそもそんな必要もないのだから。
目を開けるとテーブルにはお湯の入ったコップがひとつ。こぼさないようにして、ゆっくりとくちをつける。先ほど飲み下したものが腹の中でゆっくりと膨れていくのがわかる。
お湯を飲み干すと人工音声が軽く体をほぐすように勧めてくる。両手をあげたり体を捻る程度のストレッチでは息も上がらないが、それ以上の運動をしようとすると警告されるためやらなくなった。
深呼吸を繰り返して、ゆっくりとまたベッドに腰を下ろす。
「これから三十分間、本日分の仕事の時間です。焦らずに、集中して業務をこなしましょう」
一日三十分という仕事の時間が長いのか短いのかはわからない。ヘッドディスプレイで流れるストーリーでは、一日に四時間や五時間という長時間を働いているようなファンタジーも少なくないが、昔はそれくらい働いている人もいた時代があったらしい。そんなに長い時間、何の仕事があったのだろうか。
壁の一部が開いてテーブルへと業務内容が流れてくる。サンプルとして置かれている捻れた金属っぽいの管と、同じく捻れた金属っぽい管が詰まった箱。それを仕分けることが仕事だ。
指先でなぞり、手で握り、回転させて眺めて同じではないものを選り分ける仕事。
何故かAIはこういう選別作業だけは人間にやらせるようにしているらしい。その方が事故の発生率が格段に下がるのだという。眺めて撫でるだけで全く違うとすぐにわかるのに、AIに尋ねると質量測定や音響測定や光子透過測定などを行うよりも効率的だと答える。
しかしAIは人間のためには嘘をつくシステムだ。仕事を全くせずにただ生きているだけの状態だと人間はすぐにおかしくなってしまうと聞いたことがある。だから適度に意味のないことでも仕事と称して携わらせることで、人間が壊れないように管理しているのだろう。
そんなことを考える隙間が入る余地もなく、集中しているうちに三十分が過ぎて振られた仕事がちょうど片付いた。壁の中へと飲み込まれていく仕分けられた金属っぽい管の山を眺めつつ、ぼんやりとそんなことを考えていた。
壁に空いていた穴が塞がって元の真っ白な壁へと戻るのを確かめる。今日も一日の労働が終わったと思うと充実感が湧いてくるが、やはり少し疲れも感じる。
「今日も一日のお仕事を無事に終えました。お疲れ様でした。それではまた明日の仕事の時間まで、ゆっくりとお休みなさい」
人工音声に促されてヘッドディスプレイを付け直してベッドへと横になる。布団を抱き寄せながら読みかけだった近未来SF小説のページをめくろうと本棚へと視線を向ける。
一日が二十四時間もあり、部屋の外へと自分で出ていくというファンタジーが、最近のお気に入りだ。
しかし読み進めるうちに繰り返すまばたきが、少しずつ鈍く重くなっていく。視界の端でペットがあくびをしているのが見えて、つられた。今日も一日よく働いたし、もう眠ろうか。そうペットに語りかけて目を閉じた。
一日を三分割して一日一食でAIに飼われる人類の世界線。でも工具類や部品類の精密さは人の手の肌感覚がまだ優越しているため仕事として量産品の精査をさせている。
皆さんはナノ単位の誤差って手触りでわかりますか?
私はたぶんミリ単位の誤差でもわかりません。




