第29話 怖い顔の治癒士、別れの準備をする
その日の午前は早めに片付いた。
患者が四人。全員、軽い症状だった。グランが「午後は休め」と言った。
「……休むつもりはなかったが」
「孤児院に行くと言っていただろう。レンにも会っておけ」
「……そうします」
グランが「リエナも一緒に行く」と言った。リエナが「行く行く」と言った。
「……二人でいいか」
「儂は留守番だ。足が痛い」
「……昨日まで普通に歩いていた」
「今日から痛い」
「……そうか」
俺は何も言わないことにした。グランなりの気遣いだ。レンに会うのに、人数が多い方がいいとは限らない。
リエナと二人で治癒所を出た。
◆ ◆ ◆
王都の昼間は人通りが多い。
いつも通り、前を歩く人間が散った。左右に分かれた。露店の商人が荷物の整理を始めた振りをした。子供が母親の後ろに隠れた。
「今日も割れてる」とリエナが小声で言った。
「……申し訳ない」
「謝らなくていい。もう慣れた」
二人で石畳を歩いた。孤児院は下町の方角だ。
橋を渡ったあたりで、リエナが「あ」と言った。
「……何か」
「剣が落ちてる」
石畳の端に、剣が一本、横たわっていた。鞘に収まっている。安物ではない。柄の部分に細工がある。誰かが落としていったものだ。
俺は立ち止まった。
「……拾うか」
「ギルドに届けた方がいいんじゃない。落とし物の受付があるから」
「……そうする」
俺は剣を拾い上げた。
そのまま歩き始めた。
前を歩いていた人間が、俺が剣を持ったのを見た瞬間、一段速く散った。先ほどより明らかに散り方が速い。荷車を押していた男が荷車ごと路地に消えた。
「……逃げ方が速くなった」と俺は言った。
「そりゃそうだよ。剣持ってるから」とリエナが言った。「もともと怖い顔の人が剣を持って歩いてるんだから」
「……落とし物だ」
「それを知ってるのはカルとあたしだけだから」
「……そうか」
俺は剣を持ったまま歩いた。人が散り続けた。
◆ ◆ ◆
ギルドへの道を曲がったところで、ゴミが落ちていた。
布切れと、食べかけの何かが包まれていた。明らかに誰かが捨てたものだ。
俺は立ち止まった。
「……捨てた人間がいる」
「うん」とリエナが言った。
「……このままにしておくのは、気になる」
「……拾うの?」
「……近くに捨て場があれば捨てる」
リエナが「剣、持ってるけど」と言った。
「……持っている」
「剣を持ったまま、ゴミも拾うの」
「……そうなる」
リエナがしばらく俺を見た。
「……止めはしないけど」
俺はゴミを拾った。
右手に剣。左手にゴミ。
歩き始めた。
前方の人通りが、完全に消えた。さっきより速かった。一瞬で消えた。露店が全部閉まった。犬が全力で走って路地に消えた。
「……犬まで逃げた」と俺は言った。
「当たり前だよ」とリエナが言った。声が少し震えていた。笑いを堪えているらしい。「剣とゴミを持った怖い顔の人が歩いてきたら、犬でも逃げる」
「……ゴミを拾っているだけだ」
「それを知ってるのはカルとあたしだけだから」
「……さっきも同じことを言った」
「同じ状況だから」
俺はそのまま歩いた。
しばらく行くと、前方から足音がした。
三十代くらいの男が、小走りで近づいてきた。何かを探しているような顔をしていた。足元を見ながら歩いている。
男が顔を上げた。
俺と目が合った。
男が止まった。
俺の右手の剣を見た。
俺の左手のゴミを見た。
もう一度俺の顔を見た。
「……落ちていた」と俺は言った。
「……え」と男が言った。
「……ゴミが落ちていた。捨て場を探している」
男がゆっくりと自分の手元を見た。手ぶらだった。
「……も、もしかして、それ……俺が落とした……」
「……このゴミか」
「……は、はい……さっきここを通った時に……うっかり……」
「……そうか」
俺は男にゴミを差し出した。右手には剣を持ったまま。
男がゴミと剣と俺の顔を交互に見た。三往復した。
「……受け取ってくれ。持ち主が来た」と俺は言った。
「あ、は、はい……」
男が震える手でゴミを受け取った。
「……次からは、ちゃんと捨て場に捨ててくれ」と俺は言った。
「……は、はい……すみません……」
男がゴミを抱えたまま、来た道を小走りで戻っていった。
リエナが「……説教した」と言った。
「……説教ではない。事実を言った」
「剣を持ちながら言ったから、説教より怖かったと思う」
「……そのつもりはなかった」
「わかってる」とリエナが言った。「でも次からはちゃんと捨てると思う。絶対に」
「……それならよかった」
俺は剣を持ったままギルドへ向かった。
◆ ◆ ◆
ギルドの受付で剣を届けた。
受付の男性は最近、俺の顔を見ても三秒で言葉が出るようになっていた。成長だ。
ただ今日は剣を持っていたせいで、五秒かかった。
「……落とし物だ。届ける」
「は、はい……落とし物、ですね……剣……」
「……拾った場所はここから東、橋を渡って左の石畳の端だ」
「……記録します……ありがとうございます……」
男性が剣を受け取りながら、もう一度俺の顔を見た。
「……あの、カルディンさん」
「……何か」
「……最近、噂が出てて……やばい薬を、その……」
「……やっていない」
「……そ、そうですよね……すみません……」
「……生まれつきの目だ」
「……は、はい……」
男性が「お気をつけて……」と言いながら深く頭を下げた。
「……ありがとう」と俺は言った。
ギルドを出た。
リエナが「ギルドにも噂が届いてる」と言った。
「……広まっているな」
「うん。でもギルドの人はちゃんと受け取ってくれた。それでいいと思う」
「……そうだ」
俺は孤児院への道を歩き始めた。
◆ ◆ ◆
孤児院に着いた。
子供たちが出てきた。「カルさんだ」「こわいひとだ」「でもリエナお姉ちゃんの知り合いだからいいひと」という声が重なった。いつも通りだ。マーサが「いらっしゃい」と言って、中に入れてくれた。
ひと通り子供たちの様子を確認してから、孤児院を出た。
次に向かったのは、治癒所だった。
グランが「レンが来ている」と言った。
俺は少し止まった。
「……今日か」
「母親と一緒に来た。お前さんがいないから待っていると言っている」
レンが待合の椅子に座っていた。母親が隣にいた。前回より顔色がいい。目の下の隈が薄くなっている。俺を見て、薄く笑った。
「……来てくれたか」と俺は言った。
「来るって言ってたから」とレンが言った。「座って」
俺は床に腰を下ろした。レンと目線を合わせた。
「……足の具合はどうか」
「歩ける。前よりずっと歩ける」
「……見せてくれ」
レンが立ち上がった。部屋の中を歩いた。前回より揺れが小さい。着実に良くなっている。
「……いい」と俺は言った。「確実に届いている」
「次来たら、もっと届く?」とレンが聞いた。
俺は少し止まった。
「……一つ、話しておきたいことがある」
レンが俺を見た。
「……しばらく、ここに来られなくなる」
部屋が静かになった。
「……どのくらい」とレンが聞いた。
「……わからない。遠い場所に行く。治癒士がいない場所だ」
レンがしばらく黙った。窓の外を見た。それから俺を見た。
「……もう来ない?」
「……戻ってくるつもりだ。ただ、いつかはわからない」
「……正直だね」
「……嘘をつく理由がない」
レンがまた少し黙った。
「……完全には、まだ治ってない」とレンが言った。
「……そうだ。申し訳ない」
「謝らなくていい」とレンが言った。十歳の子供が、静かにそう言った。「カルが行かなきゃいけない場所があるなら、行けばいい。俺は待ってる」
俺は何も言えなかった。
「……待ってるか」とやっと言った。
「待てる」とレンが答えた。「その間に、もっと歩けるようになっておく。カルが戻ってきた時に、驚かせてやる」
「……楽しみにしている」
「約束ね」とレンが言った。
「……約束だ」
レンが小さく笑った。疲れた目ではなく、今日は少し明るい目だった。
「……行ってらっしゃい、カル」
俺は少し止まった。
そういう言い方をされたのは、この世界に来てから初めてだった。
「……行ってきます」と俺は言った。
その言葉が、思ったより自然に出た。
◆ ◆ ◆
レンと母親が帰った後、治癒所がしばらく静かだった。
リエナが「……泣かなかったね」と言った。
「……泣くつもりはなかった」
「レンちゃんも泣かなかった。強い子だ」
「……そうだ」
グランが何も言わずに薬草の仕分けを続けていた。その背中が、いつもより少し丸い気がした。
「……カルは」とリエナが言った。「大丈夫?」
「……大丈夫だ」と俺は言った。「ただ」
「ただ?」
「……早く戻ってきたいと思った。それだけだ」
リエナが「……それだけじゃないと思うけど」と小声で言った。
「……そうかもしれない」
「……行こう」と俺は言った。次の患者を呼びに立ち上がった。
グランが「……今日はもう患者は来ない」と言った。
「……そうですか」
「……そうだ。今日は終わりにしろ」
グランらしくない言い方だった。俺は何も言わなかった。
外はまだ明るかった。
剣を拾いました。ゴミも拾いました。同時に持って歩きました。怖かったと思います。申し訳ありませんでした。
ゴミを捨てた本人と遭遇しました。返しました。次からちゃんと捨てると思います。
レンに話しました。「行ってらっしゃい」と言われました。
「行ってきます」と言いました。自然に出ました。
早く戻ってきたいと思いました。




