第26話 怖い顔の治癒士、手紙を書く
朝、アルフが紙の束を持ってきた。
「……三年分の記録だ。見てくれ」
それだけ言って、テーブルに置いた。かなりの枚数がある。折り畳まれた紙が何枚も重なっている。表情は静かだった。緊張しているわけでも、諦めているわけでもない。ただ、長い時間をかけてここまで来た人間の顔だった。
俺は受け取って、一枚目を開いた。
グランが横から覗いた。リエナも横から覗いた。
しばらく、三人とも黙っていた。
◆ ◆ ◆
一枚目には、こう書いてあった。
『マルディウス侯爵とバルド副団長の癒着について記録する。三年前より賄賂の授受を確認した。証人は当時の副官ドレク、現在行方不明。許せない。賄賂の額は毎月金貨三十枚以上と推定される。推定の根拠は帳簿の改竄痕跡で、原本は副団長室の金庫にある。金庫の番号は知っている』
俺は次の紙をめくった。
『貧民街の立ち退き命令は口頭のみで書面は存在しない。当然だ、書面に残したら証拠になる。立ち退きを拒否した住民に対して騎士団員が暴力を行使した事例が四件。うち二件は俺が目撃した。許せない』
また次をめくった。
『住民の証言を集めようとしたが、怖くて話せない人がほとんどだった。それも許せない。上層部への報告を三度試みたがすべて握りつぶされた。バルドは人間のくずだと思う』
まためくった。
『証拠として保管している書類は三点。一点目は賄賂の授受を示す帳簿の写し。二点目は立ち退き命令が記録された内部の会議録。三点目は』
まためくった。
『許せない』
一行だけ書いてあった。
まためくった。
『以上である』
そこで終わっていた。
しばらく、三人とも黙っていた。
リエナが「……途中に一枚、『許せない』しか書いてない紙があった」と言った。
「……見えていた」と俺は言った。
グランが「……そうか」とだけ言った。
アルフが「……書いていたら、手が止まった。それだけしか出てこなかった」と言った。声が少し低かった。「三年分だ。いろいろあった」
部屋が静かになった。
「……そうか」と俺は言った。
それ以上は、何も言わなかった。
しばらく間を置いてから、グランが「内容は揃っている」と静かに言った。「ただ」
「ただ?」とアルフが聞いた。
「……法的に使えない部分が、いくつかある」と俺は言った。
アルフが「どこだ」と聞いた。
「……『許せない』が三箇所。一枚丸ごと『許せない』の紙が一枚。『当然だ』が一箇所。『バルドは人間のくずだと思う』が一箇所」
「……事実だ」とアルフが言った。
「……事実かもしれない。でも、証拠文書に感想を書くと、文書全体の信頼性が下がる」
アルフが黙った。
「……『バルドは人間のくずだと思う』の後に、なぜか文体が少し丁寧になっている。感情が落ち着いたのか」
「……書いてたら少し冷静になった」
「……そうか」
リエナが「書いてたら冷静になったのに、最初から冷静に書かなかったのはなぜ」と聞いた。
「……書き始めたら出てきた」とアルフが言った。
「あるあるだ」とリエナが言った。
「……あるあるか」
「怒りながらメモ取ると、感情が先に出る。あたしも薬草の記録で『この草、嫌い』って書いたことある」
「……嫌いな薬草があるのか」と俺は聞いた。
「においがきついやつ。でも効くから使う。複雑な気持ち」
「……それは記録に書かなくていい」
「もう書いた」
グランが「話を戻せ」と言った。
◆ ◆ ◆
「書き直す」とアルフが言った。「感情を抜いて書き直す」
「……それがいい。ただ」と俺は言った。
「ただ?」
「……この文書を誰に送るかによって、書き方が変わる。どこに持っていくつもりか」
アルフが少し止まった。
「……王国の監察院に持ち込もうと思っていた。腐敗した騎士団の調査権限がある」
「……監察院は今、どういう状態か知っているか」
「……まずいのか」
「……マルディウス侯爵と縁戚関係にある貴族が、三年前から監察院の副長官になっている。王国法の文書で見た」
アルフが「……それは知らなかった」と言って、額に手を当てた。
「……もう一つ選択肢がある。王国の文書院だ。監察院より権限は弱いが、貴族派閥との距離が比較的遠い。不正の証拠を公式に受理する窓口がある」
「……そんな機関があるのか」
「……王国法を調べていた時に見つけた」と俺は言った。「エルダへの対抗策を考えていたので、関連する法律を一通り読んだ」
アルフがしばらく俺を見た。
「……治癒士が、なぜそこまで法律を知っている」
「……知らないと損をすることが、前の仕事で多かった。癖になった」
「前の仕事というのは」
「……遠い話だ」と俺は言った。「それより、文書院への提出文書を作る。内容はアルフが知っていることを全部話してくれ。俺が整理する」
「……頼む」とアルフが言った。
リエナが「あたしも聞いていていい?」と言った。
「……構わない」と俺は言った。「記録係を頼む」
「記録係、やる。ただし『許せない』とか書いてもいい?」
「……書くな」
「わかった」
◆ ◆ ◆
一刻ほどかかった。
アルフが話し、俺が整理し、リエナが記録した。三年分の不正の記録は、思ったより量が多かった。賄賂の記録、暴力の事例、書類の改竄、証人の失踪。アルフは記憶力がいい。細かい日付や金額をよく覚えていた。元騎士の几帳面さが、こういう場面で出る。
途中、二度ほどアルフの声のトーンが変わった。住民への暴力の話をする時と、仲間の騎士が命令に従っていく様子を話す時だった。俺は止めなかった。止める必要はない。ただ聞いた。
整理し終えて、俺は文書の下書きを書いた。
「……確認してくれ」
アルフが受け取って読んだ。
「……事実しか書いていない」
「……そうだ」
「……感情が全部ない」
「……全部抜いた」
「……バルドへの評価も?」
「……書いていない」
「……残念だ」
「……証拠が通れば、評価は後からついてくる」
アルフが「……そうか」と言って、もう一度文書を読んだ。それから「……これでいい」と言った。
◆ ◆ ◆
問題は、添え状だった。
文書院に証拠文書を提出する場合、本文とは別に状況説明の添え状が必要になる。俺がそれを書いた。
書き終えて、グランに見せた。
グランが読んだ。
「……カル」
「……何か」
「この添え状、内容は正確だ」
「……そうです」
「……ただ、怖い」
「……どこがですか」
グランが「全部」と言った。
アルフが「見せてくれ」と言って受け取った。読んだ。黙った。
「……カル」
「……何か」
「お前が書くと、普通の文章が脅迫状に見える」
「……そんなつもりはない」
「わかってる。でもこれ、受け取った文書院の担当者が震えると思う」
リエナが「読んでいい?」と言って受け取った。読んだ。
「……冒頭の『当職は以下の事実を誠実に申告するものである』が、なぜか怖い」
「……誠実に申告している」
「言葉は正しい。でも怖い。『誠実に』の部分が特に怖い」
「……なぜですか」
「カルが書くと、『誠実に』が『逃げ場はない』に聞こえる」
「……そんなつもりは」
「ないのはわかってる」とリエナが言った。「でもそう聞こえる。不思議」
グランが「末尾の『誠実な対応を期待する』も怖い」と言った。
「……期待しているだけです」
「脅しに聞こえる」
「……そんな」
「聞こえる」
アルフが「……添え状は俺が書き直す」と言った。「事実部分の整理はカルの文書を使う。添え状だけ、俺が書く」
「……そうした方がいいかもしれない」とグランが言った。
「……わかった」と俺は言った。「申し訳ない」
「謝らなくていい」とアルフが言った。「才能だ。向いている方向が、少しずれているだけだ」
リエナが「でも本文の方は送ってみたい気もする。文書院の担当者の反応が見てみたい」と言った。
「……見なくていい」と俺は言った。
「そうだね」とリエナが言った。「担当者がかわいそう」
◆ ◆ ◆
夕方、アルフが書き直した添え状を持ってきた。
俺が読んだ。
簡潔で、感情が適切に抑えられていて、事実が順序よく並んでいた。添え状として、よくできていた。
「……上手い」と俺は言った。
「……三年、書類仕事もやってきた」とアルフが言った。「騎士団は文書が多い」
「……そうか」
「……カルの本文と合わせて、文書院に持ち込む。明後日、動けるか確認してから行く」
「……気をつけてくれ」
「……ああ」
アルフが立ち上がりかけて、止まった。
「……一つ聞いていいか」
「……何か」
「……添え状が怖かった件だが」
「……はい」
「……カルが昔、上司に向けて書いた文書とかは、大丈夫だったのか」
俺は少し考えた。
「……前の職場では、上司から『お前の報告書を読むと、なぜか緊張する』と言われたことがあった」
「……やっぱりそうか」
「……内容は正確だったはずだ」
「……内容の問題じゃないんだ、たぶん」とアルフが言った。「才能だ。使う場所を間違えなければ、強い」
俺は何も言わなかった。
前の世界でも、誰かに同じようなことを言われた気がした。思い出せなかった。でも、悪い気はしなかった。
アルフさんのメモに「バルドは人間のくずだと思う」と書いてありました。
事実かもしれません。でも法的に使えないので抜きました。
添え状を書いたら怖かったそうです。誠実に書きました。
向いている方向が少しずれているそうです。
前の職場でも言われた気がします。思い出せませんが。




