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顔が怖すぎて患者が逃げる治癒士、それでも今日も癒しに行く  作者: おっさんず


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第24話 怖い顔の治癒士、王都を歩く

 「カル、王都をちゃんと歩いたことある?」


 朝のハーブ茶を飲んでいると、リエナがそう聞いてきた。


 「……治癒所と神殿の往復は毎日している」と俺は答えた。


 「それは歩いたうちに入らない」とリエナが言った。「市場とか、広場とか、橋とか。ちゃんと見て回ったことは?」


 「……ない」と俺は言った。


 「じゃあ今日行こう」とリエナが言った。「今日はグランじいさんが一人で診られる患者数だし、たまには休んでもいい」


 グランが「儂は五十年一人でやってきた。一日くらい問題ない」と言った。


 「……では行くか」と俺は言った。


 リエナが「やった」と言った。それからすぐに「ただし」と続けた。


 「……ただし、何か」と俺は聞いた。


 「人が逃げた数を、こっそり数えてもいい?」とリエナが言った。


 「……数えるな」と俺は言った。


 「わかった」とリエナが言った。


 数えることにしたのが、後でわかった。


◆ ◆ ◆


 王都の朝市は、活気があった。


 野菜、果物、干し魚、香辛料、布。色とりどりの露店が並んでいる。商人たちの呼び込みの声が飛び交っている。これが毎朝の王都の日常だ。


 俺とリエナが市場に入った瞬間、呼び込みの声が一つ止まった。


 隣の店の声も止まった。


 その隣も止まった。


 波が引くように、市場全体の呼び込みが静まった。


 「……すごい」とリエナが小声で言った。「声が連鎖して止まってる」


 「……申し訳ない」と俺は小声で言った。


 静まり返った市場の中を、俺とリエナが歩いた。商人たちが左右の壁や台の端に張り付いている。通路だけが、ぽっかりと空いている。


 「まるで海が割れてるみたい」とリエナが言った。


 「……そんな大げさな」と俺は言った。


 「大げさじゃない。見て」とリエナが言った。


 振り返ると、俺たちが通り過ぎた後ろで、商人たちが少しずつ元の場所に戻りながら「はあ……」と息を吐いていた。集団で一斉に脱力していた。


 「……本当に海だ」と俺は言った。


 そのまま歩き続けると、市場の奥に家畜と動物を扱うコーナーがあった。


 俺が近づいた瞬間、鶏が三羽、柵を越えて俺の足元に集まってきた。


 「……なぜ」と俺は言った。


 「動物だから」とリエナが言った。


 隣の柵の羊が、柵に顔を押しつけて俺の方を見ていた。目が潤んでいる。


 「……羊が何かを訴えている」と俺は言った。


 「なでてあげれば」とリエナが言った。


 俺が羊の頭を撫でた。羊が「めええ」と鳴いた。


 店主の男性が「な、なんでうちの羊が……この方には懐くんですか……?」と恐る恐る聞いてきた。


 「……動物は逃げない」と俺は答えた。


 「ひ、人間は……?」と店主が聞いた。


 「……逃げる」と俺は答えた。


 店主が「そ、そうですか……」と言いながら、自分も少し後退りした。


 羊だけが名残惜しそうにしていた。


◆ ◆ ◆


 次に向かったのは、王都の中心を流れる川にかかる橋だった。


 石造りの古い橋で、欄干から川と街並みが一望できる。リエナが「景色がいいから」と言っていた場所だ。


 「……確かにいい景色だ」と俺は欄干に手をついて言った。


 「でしょ」とリエナが隣に並んで言った。


 二人で川を眺めていた。


 しばらくして、背後で足音がした。


 「ちょっと待ってください!」


 振り返ると、中年の男性が走ってきた。息を切らしている。


 「どうされました、危ないですよ、話を聞いてください!」と男性が言いながら近づいてきた。


 俺の顔を見た。


 男性が止まった。


 「……川に飛び込もうとしていると思ったか」と俺は聞いた。


 「……そ、そういうわけでは……」と男性が言いながら、明らかにそういうわけだった顔をした。


 「……景色を見ていた」と俺は言った。


 「そ、そうでしたか……! 失礼しました……! ただ、後ろ姿が、その、少し……」と男性が言いながら、何とも言えない顔をした。


 「……心配してくれてありがとう」と俺は言った。「親切な人だ」


 「い、いえ……! でも顔を見たら、その、心配とは別の意味でどきっとしまして……!」と男性が言った。


 「……申し訳ない」と俺は言った。


 男性が「お気をつけて……!」と言いながら、来た道を早足で戻っていった。


 「心配してくれた人まで怖がらせた」とリエナが言った。


 「……悪いことをした」と俺は言った。


 「でも、カルが『親切な人だ』って言ったの、よかったと思う」とリエナが言った。「怖がらせたけど、ちゃんと見てた」


 「……心配してくれたのは事実だ」と俺は言った。


 リエナが「そういうとこだよ」と言った。


 「……そういうとこ?」と俺は聞いた。


 「怖がられても、相手のいいところを見てる」とリエナが言った。


 俺は何も言わなかった。川が光を反射してきらきらしていた。


◆ ◆ ◆


 昼時になって、リエナが「せっかくだから外で食べよう」と言った。


 「……外食か」と俺は言った。


 「したことない?」とリエナが聞いた。


 「……グランさんの昼飯か、自炊しかしていない」と俺は答えた。


 「じゃあ行こう。あたしがよく行く食堂がある」とリエナが言った。


 食堂は小さな店だった。木のテーブルが四つ。昼時で半分ほど埋まっている。


 俺が扉を開けた瞬間、店内の客が全員こちらを向いた。


 次の瞬間、全員が料理に視線を落とした。


 全力で料理を見ていた。誰も俺を見なかった。


 「……見ないようにしているのか」と俺は小声でリエナに言った。


 「そう。でもそれって、ちゃんと気を使ってくれてるってことだよ」とリエナが小声で答えた。


 カウンターの奥から、四十代の女性店主が出てきた。リエナを見て「いらっしゃい」と言った。俺を見て、一瞬止まった。それから「……いらっしゃいませ」と言った。一拍遅れたが、言ってくれた。


 「……ありがとうございます」と俺は言った。


 二人で席に着いた。店主がメニューを持ってきた。


 しばらくして、料理が来た。


 リエナの皿は普通の盛りだった。


 俺の皿は、山盛りだった。


 「……これは」と俺は言った。


 「特別サービスです」と店主が言った。目が少し泳いでいた。


 「……なぜ」と俺は聞いた。


 「……大きい方には、たくさん食べていただいた方が、その、いいかなと……」と店主が言いながら、はっきりとした理由を言えなかった。


 リエナが「怖いから早く満足して帰ってほしかったんじゃない?」と小声で言った。


 「……リエナ」と俺は言った。


 「冗談だよ。たぶん、体が大きいから気を使ってくれたんだよ」とリエナが言った。


 「……どちらにせよ、ありがとうございます」と俺は店主に言った。


 「い、いえ……! ゆっくりしていってください……!」と店主が言って、カウンターに戻った。


 料理は美味かった。山盛りでも残さず食べた。


 帰り際、店主が「また来てください」と言った。声が少し震えていたが、言ってくれた。


 「……また来ます」と俺は言った。


 店主が「……お待ちしています……!」と言った。顔が引きつっていたが、待っていてくれるらしい。


◆ ◆ ◆


 午後、王都の中央広場に出た。


 噴水がある。ベンチが並んでいる。子供たちが走り回っている。休日の広場は人が多い。


 俺が広場に入った瞬間、子供の一人が俺を見て叫んだ。


 「ゆーれいだー!」


 連鎖した。


 「ゆーれい!」「こわい!」「おばけだ!」


 子供たちが四方八方に散った。ベンチにいた大人たちが立ち上がった。広場が一瞬、騒然とした。


 「……治癒士だ」と俺は言ったが、騒音にかき消された。


 そこへ、人込みの中から小さな声がした。


 「このひとしってる!」


 孤児院の男の子だった。七歳の、「リエナお姉ちゃんの知り合いだからいいひと」と言った子だ。


 「このひとはいいひとだよ! なおしてくれるひとだよ!」と男の子が大声で言った。


 騒いでいた子供たちが少し止まった。


 「ほんとに?」と一人が聞いた。


 「ほんとだよ! こわいけど、わるいひとじゃない!」と男の子が言った。


 子供たちがゆっくりと俺を見た。大人たちも見た。


 誰も近づいてはこなかった。でも、散らばった人が少しずつ、元の場所に戻り始めた。


 「……ありがとう」と俺はその男の子に言った。


 「どういたしまして」と男の子が言った。「おにいちゃん、今日はおやすみ?」


 「……そうだ。王都を歩いている」と俺は答えた。


 「たのしい?」と男の子が聞いた。


 俺は少し考えた。


 「……色々ある。楽しいかどうかは、まだわからない」と俺は答えた。


 「そっか」と男の子が言った。「またね」


 男の子が母親の手を引いて歩いていった。母親が俺に会釈した。俺も頭を下げた。


 「あの子、すごいね」とリエナが言った。


 「……そうだ」と俺は言った。「七歳で、あれだけはっきり言える」


 「カルのことを信じてるから言えるんだよ」とリエナが言った。


 俺は何も言わなかった。


 噴水が光を受けてきらきらしていた。


◆ ◆ ◆


 夕暮れ前、治癒所に戻る道をリエナと歩いた。


 「今日何人に逃げられたか、数えてたんだけど」とリエナが言った。


 「……数えるなと言った」と俺は言った。


 「数えてしまった。市場で十七人、橋で一人、食堂の客が六人、広場で子供が九人と大人が十二人」とリエナが言った。


 「……合計は」と俺は聞いた。


 「四十五人」とリエナが答えた。


 「……多い」と俺は言った。


 「でもね」とリエナが続けた。「戻ってきた人の数も数えてた」


 「……戻ってきた人?」と俺は聞いた。


 「逃げたり張り付いたりした後で、結局ちゃんと接してくれた人。市場の店主が四人、橋の男性、食堂の店主、広場の子供たちと大人たち」とリエナが言った。「全部で三十一人」


 「……四十五人逃げて、三十一人戻ってきたのか」と俺は言った。


 「七割近く戻ってくる」とリエナが言った。「最初は逃げても、最終的には戻ってくる人の方が多い」


 俺はその数字をしばらく考えた。


 「……知らなかった」と俺は言った。


 「カルは逃げられることしか見てないから」とリエナが言った。「戻ってくる人を、ちゃんと見てなかった」


 「……そうかもしれない」と俺は言った。


 二人でしばらく歩いた。


 「今日、楽しかった?」とリエナが聞いた。


 俺は少し考えた。


 「……楽しかったかどうかより」と俺は言った。「色々見えた一日だった」


 「何が見えた?」とリエナが聞いた。


 「……逃げる人の顔と、戻ってくる人の顔と、動物の顔と、七歳の子の顔と」と俺は言った。「……人の顔ばかり見ていた気がする」


 リエナが少し笑った。


 「王都を歩きに行って、人の顔を見て帰ってきた」とリエナが言った。


 「……そうなった」と俺は言った。


 「それがカルらしい」とリエナが言った。


 治癒所に着くと、グランが「どうだった」と聞いた。


 「四十五人逃げて、三十一人戻ってきた」とリエナが答えた。


 「……数えるなと言ったのだが」と俺は言った。


 「数えてよかったでしょ」とリエナが言った。


 グランが「七割か」と言った。「悪くない数字だ」


 「……そうですか」と俺は言った。


 「最初から七割戻ってくる人間は、そうはいない」とグランが言った。「お前さんが思っているより、人は戻ってくる」


 俺は何も言わなかった。


 でも、その数字が、しばらく頭の中に残った。



 夜、チャが来た。扉の隙間からだった。


 「……今日、王都を歩いた」と俺はチャに言った。


 「にゃ」とチャが答えた。


 「……市場で海が割れた」と俺は言った。


 「にゃ」


 「……橋で飛び込もうとしていると思われた」と俺は言った。


 「にゃ」


 「……食堂で山盛りにされた」と俺は言った。


 「にゃ」


 「……広場で幽霊と言われた。七歳の子が助けてくれた」と俺は言った。


 「にゃ」


 「……四十五人逃げて、三十一人戻ってきたそうだ」と俺は言った。


 チャが「にゃ」と言って、俺の膝に来た。足を伸ばして座っていたので、面積は問題なかった。


 「……お前は最初から逃げない」と俺はチャに言った。


 チャがごろごろと鳴いた。


 (……七割が戻ってくる)


 逃げられることしか見ていなかった。リエナに言われるまで気づかなかった。


 明日からは、戻ってくる人の顔も、ちゃんと見よう。


 明日も治しに行く

王都を歩きました。

市場で海が割れました。羊になつかれました。

橋で飛び込もうとしていると思われました。心配してくれた人を怖がらせました。親切な人でした。

食堂で山盛りにされました。残さず食べました。

広場で幽霊と言われました。七歳の子が助けてくれました。

四十五人逃げて、三十一人戻ってきたそうです。数えるなと言いましたが、数えてよかったです。

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