第21話 怖い顔の治癒士、騎士に対峙する
アルフが物置部屋に来てから、四日が経った。
傷の経過は順調だった。毎朝確認しているが、内部の修復も問題ない。あと三日もすれば完全に動けるようになるだろう。
アルフは昼間、物置部屋で静かにしていた。外には出ない。グランとリエナとも、少しずつ言葉を交わすようになってきた。チャは相変わらずアルフの膝の上が定位置になっていた。
「チャ、最近俺の部屋より長くアルフのところにいる気がする」
朝、治癒所でリエナにそう言うと、リエナが「膝が広い方が快適なんじゃない?」と答えた。
「……俺の膝は狭いのか」
「カル、ずっと正座してるから。アルフさんは足を伸ばして座ってるから、面積が広い」
グランが「猫に面積で負けるな」と言った。
「……面積の問題だったのか」
「にゃ」
チャが物置部屋の方から鳴いた気がした。気のせいかもしれなかった。
◆ ◆ ◆
事態が動いたのは、その日の午後だった。
治癒所の扉が、ノックもなく開いた。
鎧を纏った男が三人、入ってきた。聖騎士団の紋章。剣を腰に下げている。先頭の男は四十代、顎に傷跡がある。目が鋭い。後ろの二人は若い。
俺は患者の足首に手を当てていた。治療の途中だった。
「……少し待ってくれ。治療中だ」
俺が言うと、先頭の男が「待てない」と答えた。
患者の女性が俺と騎士たちを交互に見て、顔を青くした。俺は女性に「……大丈夫だ。もう少しで終わる」と小声で言い、光を続けた。三十秒ほどで足首の処置が終わった。
「……終わった。今日は安静にしてくれ」
女性が「あ、ありがとうございます……」と言って、騎士たちの横をすり抜けるように出ていった。
治癒所に俺とグランとリエナ、そして聖騎士団の三人が残った。
先頭の男が俺を見た。
「カルディン・ヴァルゼ。治癒士として神殿に登録されている者か」
「……そうだ」と俺は答えた。
「この施設に、聖騎士団から脱走した騎士が潜伏しているという情報がある。捜索への協力を求める」
グランが「情報の出所は?」と静かに聞いた。
男がグランに視線を移した。「貴様は?」
「この治癒所の所有者だ。五十年ここで治癒士をやっている」グランが動じずに答えた。「情報の出所を聞いている」
「それは答える義務がない」と男は言った。
「では、捜索への法的根拠は?」
今度は俺が聞いた。
男が俺を見た。
「……なに?」
「……私有地への立ち入りには、令状が必要なはずだ。令状はあるか」
男が少し間を置いた。後ろの若い騎士二人が顔を見合わせた。
「緊急の捜索には令状は不要だ」と男は言った。
「……緊急の定義は何か」と俺は続けた。「王国法では、緊急捜索が認められるのは、犯罪が現在進行中の場合、または逃走中の被疑者が直接追跡されている場合に限られる。四日前に脱走した人間の捜索は、どちらにも当たらない」
部屋が静かになった。
リエナが作業台の端で息を詰めているのが、横目に見えた。
◆ ◆ ◆
先頭の男が、俺の顔をじっと見た。
「……治癒士が、法律に詳しいとは珍しい」
「……前の仕事で、規則を読む機会が多かった」と俺は答えた。「令状を持っているなら見せてくれ。持っていないなら、出直してもらう」
男が黙った。
長い沈黙だった。男の後ろにいる若い騎士の一人が、俺の顔を見てから目を逸らした。威圧しに来たはずが、逆に押されている形になっている。
男がゆっくりと口を開いた。
「……今日のところは引く。だが、この施設は監視下に置く」
「……それは構わない」と俺は言った。「ただし、患者の出入りを妨害するなら、それも法的に問題になる。治癒所への妨害行為は、王国医療法の範囲で訴えることができる」
男が俺を見た。今度は値踏みする目だった。
「……お前、何者だ」
「……治癒士だ」と俺は答えた。「患者を診ている」
男が鼻から息を吐いた。それから後ろの二人に「行くぞ」と言って、扉に向かった。
扉を開ける直前、男が振り返った。
「……顔だけは、本物の悪人だな」
「……生まれつきだ」と俺は答えた。
三人が出ていった。扉が閉まった。
◆ ◆ ◆
しばらく、誰も何も言わなかった。
最初に動いたのはリエナだった。作業台に手をついて、大きく息を吐いた。
「……怖かった……!」
「……そうか」と俺は言った。
「カルは怖くなかったの?」リエナが聞いた。
「……怖かった」
「全然そう見えなかった」
「……顔が変わらないだけだ。前の世界でも、怖い上司に同じ顔で向き合っていた」
グランが「お前さん、よく知っていたな。王国法の話」と静かに言った。
「……神殿の文書を読んだ時に、関連する法律も調べた。エルダへの対抗策を考えていたので」と俺は答えた。「役に立ってよかった」
「役に立ったどころじゃない」リエナが言った。「完全に追い返した。しかも法律で」
「……ただ、監視は続く。アルフのことが、いずれ知られるかもしれない」
グランが「それはその時だ」と言った。「今日は追い返した。それで十分だ」
グランの言葉には、揺らぎがなかった。五十年、様々なものと向き合ってきた人間の、静かな確かさだった。
◆ ◆ ◆
夕方、物置部屋のアルフに今日のことを話した。
アルフが黙って聞いた。俺が話し終えると、しばらく天井を見ていた。
「……来たか」とアルフが言った。
「……そうだ」
「……俺のせいで、危険な目に遭わせた」
「……法律で追い返した。危険な目ではなかった」と俺は言った。
「今日は、な」アルフが続けた。「令状を持って来る日もある。その時は、俺はここにいられなくなる」
「……その時はその時だ」
「……お前は、グランじいさんと同じことを言うな」
「……グランさんに育てられているからかもしれない」
アルフが小さく笑った。それから、真剣な顔になった。
「……一つ、決めた」とアルフが言った。
「……何を」
「逃げ続けるのをやめる。どこかで、向き合わなければならない」
俺はアルフを見た。四日前、路地の壁に背を預けて、出血しながら「誰の差し金かわからない」と言っていた男が、今はこんな目をしている。
「……向き合う、というのは」
「聖騎士団の腐敗を、外に出す。証拠がある。俺が三年間、記録してきたものがある。隠してある」アルフが静かに言った。「逃げている間は使えなかった。でも、今は……少し違う気がする」
「……何が違う」
「……背中があると、前に出られる気がする」
俺は何も言わなかった。
背中、という言葉が、少し胸に刺さった。悪い意味ではなく、重いものを受け取った時の感覚だった。
チャが「にゃ」と言った。
アルフが「お前も背中か」と言うと、チャがもう一度「にゃ」と答えた。
◆
夜、俺は物置部屋の床に横になった。
「……一つ聞いていいか」と俺はアルフに言った。
「何だ」
「……今日の騎士。顔に傷のある男だ。知っているか」
アルフがしばらく黙った。
「……知っている。バルド副団長だ。腐敗の中心にいる人間の一人だ。俺を刺した三人に、命令を出した男でもある」
「……そうか」
「……怖かったか」
「……怖かった」と俺は答えた。「でも、患者が治療中だった。治療を止める理由にはならなかった」
アルフが長い沈黙の後、「……お前は本当に変わっている」と言った。
「……よく言われる」
「……褒めている」
「……知っている」
チャがごろごろと鳴き始めた。
今夜も三人と一匹だ。
外では、聖騎士団が監視しているかもしれない。令状を持って来る日が来るかもしれない。
でも今夜は、ここが静かだ。
明日も治しに行く。
聖騎士団が来ました。
令状がないことを指摘して追い返しました。怖かったです。顔が変わらなかっただけです。
「顔だけは本物の悪人だな」と言われました。生まれつきです。
アルフさんが「逃げ続けるのをやめる」と言いました。「背中があると前に出られる」とも言いました。
チャはアルフさんの膝の面積が広いので、そちらが定位置になっています。面積で負けました。




