第20話 怖い顔の治癒士、話を聞く
翌朝、グランがアルフに会いに行った。
俺は治癒所で患者を診ていた。グランが戻ってくるまでの間、リエナが横で薬草の仕分けをしながら「どんな人だったのかな」と言った。
「……会えばわかる」
「カルは気にならないの?」
「……気にはなる。でも、本人が話す前に詮索しない」
「それがカルのやり方だよね」リエナが薬草を束ねながら言った。「あたしはもう少し知りたくなる方だけど」
「……それがリエナのやり方だ。どちらが正しいかではない」
「……カル、たまにそういうこと言うよね」
「……そういうこと?」
「人のやり方を否定しない。自分と違っても」
「……否定する理由がない」
リエナがしばらく俺を見た。それから「……そうだね」と言って、薬草の仕分けに戻った。
午前中に患者を五人診た。
三人目は初めて来た男性で、入口で俺の顔を見た瞬間に後退りした。後退りした先に、入口のドアが閉まってきた。挟まれた。
「……大丈夫か」
「い、挟まれました……背中が……」
「……座ってくれ。背中も診る」
「はい……あの、最初から背中の痛みで来たんですが、追加で背中の痛みが増えました……」
「……申し訳ない」
「い、いえ、俺が勝手に後退りしたので……」
後退りした原因は俺の顔だ。間接的には俺のせいだ。丁寧に診た。
リエナが「ドアに挟まれるのは新しい」と小声で言った。
「……ランキングに入れるな」
「もう入れた」
「……やめてくれ」
◆ ◆ ◆
昼前、グランが戻ってきた。
「話は聞いた」グランが椅子に座った。「あの男、アルフ・ソレイユ。元聖騎士団の騎士だ。三週間前に脱走した」
俺とリエナが黙って聞いた。
「聖騎士団の腐敗は、外から見るよりずっと深い。団長以下の幹部が、マルディウス侯爵と繋がっている。名目上は王国の騎士団だが、実態は侯爵の私兵に近い状態だ」
「……それは知っていたか」
「噂は知っていた。でも、内側にいた人間の話は別物だ」グランが続けた。「アルフは三年前から内部の不正に気づいていた。民間人への恫喝、証拠の隠滅、気に入らない騎士への暴力。それを上に報告したが、握りつぶされた」
「……それで脱走したのか」
「最後の引き金は、一ヶ月前だ。貧民街の一角を立ち退かせる命令が出た。住民は老人と子供ばかりだった。アルフは命令を拒否した。その夜、仲間の騎士三人に刺された」
俺は昨夜の傷を思い出した。刃物で刺された、深い傷。あれがそうだ。
「……仲間に刺されたのか」
「そうだ。死んでいなかったのは、アルフが強かったからだ。三人を撒いて、逃げた。それから三週間、王都の中を転々としていた。昨夜、お前さんに拾われるまで」
部屋が静かになった。
リエナが「……ひどい話だ」と小声で言った。
「……ひどい」俺も言った。「でも、珍しくはないかもしれない」
「珍しくない?」
「……前の……遠い場所でも、似たような話はあった。力を持った人間が腐る。それに気づいた人間が潰される。形は違っても、同じことが繰り返される」
グランが「そうだ」と静かに言った。「五十年、この街で見てきた。繰り返される」
「……では、アルフは今後どうするつもりか」
「聞いた。わからない、と言っていた。逃げることしか考えていなかった、と」
◆ ◆ ◆
昼飯の後、俺はアルフのいる物置部屋に行った。
アルフは床に座って、壁に背を預けていた。チャが隣で丸くなっていた。昨夜からずっとそこにいるらしい。
「……具合はどうか」
「……問題ない。傷は塞がっている」
「……少し歩いてみてくれ。内部の確認をしたい」
アルフが立ち上がった。部屋の中を数歩歩いた。動作に無理がない。よかった。
「……グランさんから話を聞いた」
アルフが止まった。俺を見た。
「……全部か」
「……全部だと思う」
アルフがしばらく黙った。それから、床に座り直した。
「……責める気か」
「……なぜ責める」
「……聖騎士団の人間だ。神殿と繋がっている。お前たちに迷惑がかかるかもしれない」
「……それはそうかもしれない。でも、昨夜傷があったから治した。それは変わらない」
アルフが俺を見た。
「……なぜ、そこまで割り切れる」
「……割り切っているわけではない。ただ、順番がある。傷があれば治す。それが先だ。事情は後だ」
「……事情が先の人間の方が多い」
「……そうかもしれない。でも俺は治癒士だ。傷を見たら治す。それが俺のやり方だ」
アルフが長い沈黙の後、「……お前は変わっている」と言った。
「……よく言われる」
「褒めている」
「……そうか。ありがとう」
チャが「にゃ」と言った。アルフが「お前も変わっているな」と言った。チャが「にゃ」と答えた。
「……チャは普通の猫だ」
「夜中に治癒士の部屋に忍び込む猫が普通か」
「……扉の隙間から来る。窓からも来る」
「……普通ではないな」
「にゃ」
チャが反論した。
◆ ◆ ◆
「一つ、聞いていいか」
アルフが言った。
「……何か」
「……お前は、この国の腐敗を、どう思っている」
俺は少し考えた。
「……どう思っているか、は難しい。ただ、見えている範囲で言えば、神殿が俺の治癒所への薬草供給を止めようとした。貧民街の患者を、金がないという理由で誰も診ない。力のある人間が、力のない人間を踏みにじる。それは見ている」
「……怒らないのか」
「……怒っている。顔が変わらないだけだ」
アルフが少し止まった。それから、小さく笑った。
「……怒っている、か」
「……怒っていない人間はいないと思う。ただ、怒りを先に出すと、目の前の患者を診られなくなる。だから後回しにしている」
「後回し……ずっと、後回しにし続けるのか」
「……そうはならないと思う。後回しにできなくなる日が、たぶん来る」
アルフが俺を見た。暗い部屋の中で、じっと見た。
「……その時、お前はどうする」
「……その時になってから考える。今は、目の前のことが先だ」
「……それでいいのか」
「……今は、それしかできない。でも、できることをやり続ければ、できることが増える。そう思っている」
アルフがしばらく黙った。
「……お前の治癒は、腕だけの話じゃないな」
「……どういう意味か」
「……傷を治すだけじゃなく、何か別のものも治している気がする。うまく言えないが」
俺は何も言わなかった。
何を治しているのかは、俺にもわからない。ただ、傷に向き合い続けている。それだけだ。
◆ ◆ ◆
夕方、治癒所に戻ると、リエナが「アルフさん、どうだった?」と聞いた。
「……話した。傷の経過も問題ない」
「これからどうするんだろう」
「……本人にも、まだわからないらしい」
「カルは、どうしてほしいの?」
俺は少し考えた。
「……どうしてほしい、はない。ただ、ここにいたければいていい、とは思っている」
「ここに?」
「……物置部屋は狭い。でも、行く場所ができるまでの間なら」
リエナが「グランじいさんに言った?」と聞いた。
「……まだだ」
「言った方がいい。グランじいさん、たぶん怒らないと思うけど、一応」
「……そうする」
グランに話すと、グランは「わかった」とだけ言った。
「……問題ないですか」
「問題がないとは言わん。聖騎士団が嗅ぎつければ、ここにも圧力がかかる」
「……それでも、と言いたいところだが、グランさんに迷惑をかける可能性がある。判断はグランさんに委ねる」
グランが俺を見た。
「……珍しいな。お前さんが判断を人に委ねるのは」
「……ここはグランさんの治癒所だ。俺一人の判断で決めることではない」
グランがしばらく俺を見た。それから、「置いておけ」と言った。
「……よろしいですか」
「五十年、エルダと張り合ってきた。聖騎士団の一つや二つ、今さら怖くはない」
グランがそう言って、片付けを再開した。
その背中が、いつもより少し大きく見えた。
◆
夜、物置部屋に戻ると、アルフとチャがいた。
「……しばらく、ここにいていい」
アルフが俺を見た。
「……グランじいさんに許可を取った」
「……いいのか」
「……行く場所ができるまでの間だ。急がなくていい」
アルフが少し間を置いた。
「……世話になる」
「……ここは、行き場のない人間が来る場所だ。グランさんがそういう場所にしてきた。俺もそれに倣っている」
アルフが「……そうか」と言った。
チャが「にゃ」と言った。
「……チャも歓迎している」
「……猫に歓迎される日が来るとは思わなかった」
「……チャは正直だ。歓迎したくなければ来ない」
アルフが小さく「……そうか」と言って、チャの頭を撫でた。
俺は上着を着込んで目を閉じた。
今夜も三人と一匹だ。
後回しにしている怒りが、いつか後回しにできなくなる日が来る。その時のことは、その時考える。
今は、目の前のことが先だ。
明日も治しに行く。
患者さんがドアに挟まれました。後退りが原因です。間接的には俺のせいです。丁寧に診ました。リエナのランキングに入れられました。
アルフさんから話を聞きました。仲間に刺されて逃げてきたそうです。ひどい話でした。
「怒っているか」と聞かれました。怒っています。顔が変わらないだけです。
グランさんが「五十年エルダと張り合ってきた。聖騎士団の一つや二つ怖くない」と言いました。頼もしかったです。
チャはアルフさんを歓迎しています。正直な猫です。




