第21話 イーラ、来る
シルヴィアとシュラは、鍛錬を欠かすことはなかったが、お互いの気持ちを確かめ合いながら、幸せな日々を送っていた。
が、すっかり忘れていたのだ。シュラに至ってはスルーしていただけだが。
二人でいることに慣れ、余暇を楽しんでいる時だった。
城内がざわついたのが感じられて、シュラたちのいる玉座の間の扉が開いた。シルヴィアに膝枕してもらっているシュラは、わずかに顔を上げてその主を確認する。
「なっ…!」
シュラではなく、来訪した主が声を上げた。というのも、シルヴィアがシュラを膝枕しているせいだ。
「なんだ、節穴か。」
妙なあだ名をつけられたのは、イーラだ。
「シルヴィア、なんてことをしているんだ、今すぐおやめ。」
なんて破廉恥な、と言いたそうなイーラをシュラが制する。
「お前、文句つけられる立場なのか?」
お前とか、節穴とか、色々失礼な対応をされているイーラだが、ここでの立場はシルヴィアよりも弱いのだ。
よっこいしょ、と起き上がったシュラに、イーラは詰め寄る。
「シルヴィアになんてことをさせてるんだ。恥というものを知らないのか?」
当のシルヴィアは、なんのこと?という顔をしている。
「ばーか。お互い成人してるのに、膝枕くらいでごちゃごちゃ言うな。」
シュラは、要所要所を押さえるのが上手い。シルヴィアが成人するまでは、決してこんな真似はしなかった。
「くっ…!」
成人というワードでだいぶ許される範囲が増えたことを、利用しないシュラではなかった。イーラはあれよあれよとシュラのペースに飲み込まれている。
「で、何の用だ?用もないのに来るとは思えんのでな。」
シュラは用件はわかりきっているが、一応聞いておく。
「父オルデンに代わって来た。シルヴィアについて話があるということで、中間の島へ明後日までに来て頂きたい。」
やっぱりな、とシュラは頷く。オルデンを振り切る形でシルヴィアを連れ帰ったが、あの様子では納得しそうにないことはシュラも織り込み済みだ。
「もちろん君もだよ、シルヴィア。」
イーラは少し厳しい口調でシルヴィアにそう告げる。急に矛先を向けられたシルヴィアは、びくりとしつつも、わかりました、と答えた。
(そんなびっくりしなくても。ショックだなあ…。)
イーラはまだシルヴィアを嫌いになれたわけではなかった。黒龍王に対する反応を見て、自分に対する思いの深さとの歴然たる差を見せつけられたが、諦めきれていたら、こんなところへ来たりはしない。
と、そこへ何かを知らせる鐘が鳴った。それを皮切りに、シルヴィアはそそくさと出かける準備をしている。
「どうしたの、シルヴィア?」
イーラが疑問を口にすると、シルヴィアは嬉しそうに
「いつもの日課なの、イーラも食べていく?」
と答えた。なんのことだかわからないイーラだったが、ああまあ、じゃあ。という曖昧な返事をした。
そんなシルヴィアを送り出すシュラを見て、シルヴィアに一人で行動させる気なのかと憤慨する。
「どういうことなんだ、シルヴィア一人で城下へ行かせるなんて。危険にも程がある。」
諌めるイーラをシュラは、はいはいと生返事で追いやった。
「これはシルヴィアを認知させる為でもあり、シルヴィア自身の修行でもあり、そしてシルヴィアの楽しみの為でもあるんだ。保護者気取りはやめてもらおうか?それにこれは日課だとシルヴィアも言っただろう。今や城下町のほとんどの民がシルヴィアの存在を認めていて、滅多な事がない限り手出しなぞされん。誰だって怪我はしたくないだろう。」
心配になったイーラが城から見ていると、シルヴィアは小躍りしながら薄紫色の衣装を翻し、シャラリシャラリと音を立てて城下町をするすると抜けていく。
「な、心配は無用だ。それよりシルヴィアに聞かれちゃまずい話でもあるんじゃないのか?」
シュラはイーラの心を見透かしたように投げかける。
「別にまずいわけじゃないが、あんたには負けない。そう言おうと思ってた。」
イーラは意地にも近い感情だった。絶対にシルヴィアには自分の方が相応しいに違いない。そう思っていた。少なくとも自分なら公衆の面前になりかねない場所で彼女に膝枕をお願いしたりしない。この男には節度というものがない。イーラは不満でいっぱいだった。
「へえ、楽しみだな。」
シュラは挑発するようにイーラを眺めながら言った。
そういう余裕綽々なところがイーラの神経を逆撫でする。イーラからのピリピリとした空気を感じ取って、シュラも構える。一触即発になったその時だった。
「ただいま〜。」
シルヴィアが機嫌よく帰ってくる。見れば、白龍の国にいた時からは考えられない満面の笑みで、イーラからすれば女神みたいな存在がそこにはあった。
「今日は早かったな。何事もなかったか?」
そんなシルヴィアをシュラが迎え入れる。頭をなでなでされて、ご満悦のシルヴィアを見て、イーラはまた悔しさを噛み締めるのだった。
「今日は平和だったよ。イーラにはどれがいいかな、って迷っていたら、店主さんが親切に色々勧めてくれたの。」
そう言ってシルヴィアが差し出したのは、ケーキだった。イーラは驚いた。この国にはケーキを販売する店があるのか、と。何せ白龍の国にはケーキという文化がないのと、シルヴィアの過去を思うとき、イーラが作ることは憚られた為、シルヴィアは五十年間ケーキというものを口にしなかった。黒龍の国の文化には疎いイーラだが、ケーキというものが標準装備されているのだろうか。
「あの店主もなんでケーキにハマったかは知らないが、おかげで毎日シルヴィアのケーキに困らなくて済む。ありがたいことだ。」
先程までの緊張感はシルヴィアの帰還によって弛緩したが、イーラはまだシュラを許したわけではない。勝手にシルヴィアの頭をなでなでするな、羨ましい。
「はい、イーラも。みんなで食べましょう?」
シルヴィアにケーキを勧められ、イーラもついそれに応えてしまう。流されてはいけないと思いつつも、可愛いシルヴィアに勧められては、断れなかった。
「なんだ、この真っ黒い飲み物。」
お茶という文化に慣れ親しんだイーラは、真っ黒な飲み物から立ち上る匂いにまず顔を顰めた。
「なんだ、コーヒーも知らんのか。世間知らずのお坊ちゃんめ。」
シュラが嘲るように言う。こいつ、どこまでも挑発してくるのか。嫌なやつ。とイーラが思っている間に、シルヴィアの白い手が視界に入る。
「このシロップ入れると、飲みやすくなるよ。」
そう言って自分の分に入れ、続いてイーラの分にも注いでくれる。
「あ、ありがとう…。」
たったそれだけのやり取りなのに、イーラは舞い上がるほど嬉しかった。何がって、目の前のシルヴィアが笑顔を見せている事が。
(こんな顔で笑うんだな…。)
目の前のシルヴィアは、白龍の国にいた時とはまるで別人のように、鼻歌を歌いながらコーヒーなるものをかき混ぜている。
残念ながらイーラは先の五十年間でシルヴィアの笑顔を勝ち取ることはできなかったが、こんな風にいずれ自分にもその笑顔を向けてくれたら、と思った。そう、負けはしない。絶対に。
「これはいつものモカケーキ。シュラの。私のは今日はフルーツたくさんのケーキ。それでね、イーラには爽やかな柑橘のケーキがおすすめだって教えてもらったから、はい、これ。」
目の前でケーキを配膳してくれるシルヴィアがイーラは愛おしかった。
「ありがとう、いただくよ。」
若いとはいえ、人間の寿命よりは長生きしているイーラが初めて口にするケーキという食べ物は、とても新鮮に感じられた。柑橘の甘酸っぱさがケーキの甘味を緩和し、甘すぎず食べやすい味に仕上げてくれている。
「美味しい…!」
イーラはあまりの感動に思わず素直な感想を口にした。
すると、シルヴィアの笑顔が弾ける。
「よかった、お口に合わなかったらどうしようと思っていたの。でもやっぱりあのケーキ屋さんの見立ては確かね。」
イーラはこんな笑顔見せられたら、毎日でも食べさせてあげたくなるよな、とシュラの気持ちを少し理解した気がした。
その後は、他愛もない話をするシルヴィアとイーラを、シュラは特に止めるでもなく、見守っていた。というのも、ティアラに変化がないことをシュラは知っていたからなのだが。
「この国ではケーキは一般的な食べ物なの?」
というイーラの疑問に、シルヴィアは答える。
「ううん、この国でもケーキ屋さんはあのお店ただ一軒なの。昔、人間の国に降り立った時に食べたケーキに感動した店主さんが、独自に修行を積んで今のお店を出したんですって。」
などなど。世間話なので、シュラは干渉しない。そこそこにおしゃべりをして、時が過ぎ、思い出したようにイーラは帰ると言い始めた。
「じゃあ、明後日、中間の島で。」
その要件だけは忘れていなかったらしい。
「オルデンがここまで食ってかかってくるとか、シルヴィアは何をしたんだ?聞いた限りじゃ薬草の研究だったが。」
その夜、シュラとシルヴィアは話し合っていた。どうやらシュラは、振り切ってさえしまえば、オルデンのことだからあえて干渉してはこないだろうと思っていたらしい。
「そんな大したことはしてないよ、本当に。薬草の研究で一定の成果は出たかな、くらいで。その他は大人しくしてさえいればいいかなって思っていたくらいだよ。」
(その薬草とやら、どんだけ有益な開発したんだか…。)
おそらくオルデンが引っかかっているのはそこなのだ、とシュラは思う。が、見込みは甘かった。




