第19話 降臨
光を失いかけたシルヴィアに、転機が訪れる。それは成人の日を迎えたことだ。
イーラが例年よりも盛大な花束を持って現れた。
オルデンからも呼び出しがあり、白龍の国の一国民として、自覚を持って過ごすようにと言葉をかけられた。
イーラからの祝福は素直に受け入れられたのだが、まさかオルデンから直々に言葉をかけられると思っていなかったシルヴィアは、何か粗相があってついに父の元へ行く日が来たのかと腹を括ったほどだった。
オルデンが言葉をかけた。それ即ちシルヴィアは白龍の民として認められたということだ。あの剣幕はどこへ行ったのだろう。自分が十六になった頃の記憶を手繰り寄せて、シルヴィアは首を捻った。お父様はなぜ亡くなったのだったっけ。と。しかしそれはシルヴィア自身の努力と功績によるものだ。
「本当におめでとう、シルヴィア。」
オルデンへの謁見を終えたシルヴィアをイーラが嬉しそうに祝福する。これでオルデンが民としては認めてくれたようだが、いきなりイーラの想いに応えてもいいということにはならない。それは弁えなければならない。それがわからないイーラとシルヴィアではなかったので、相変わらずイーラはシルヴィアに何も求めない。それしかない。でも、これまでこんなにもよくしてくれたことに感謝はしている。
「ありがとう、イーラ。」
シルヴィアは初めて敬語抜きでイーラに感謝を伝えた。それを聞いたイーラは少し驚いた表情を見せたが、すぐに笑って見せた。
シルヴィアの笑顔こそ見られなかったものの、これはイーラにとっては大収穫だった。あんなにも頑なだったシルヴィアが、少しでも心を開いてくれたのなら、それだけでよかった。
一通り祝ってもらったが、シルヴィアはこの日も研究から手が離せないでいた。それというのも、シルヴィアが功績を上げれば上げるほど、この国の民が喜んでくれるからだ。シルヴィアはそれを実感することで、己の存在価値を見出すようになっていた。そうしていなければ、自分が壊れてしまいそうだった。それほどにシルヴィアは追い詰められているとは誰も知らなかった。自身でさえ知らなかった。
昼下がり、一息入れようかと研究室を出て、庭に腰掛ける。
シャラリ
と懐かしい音色が聞こえた気がした。その時だった。
激しい風が吹き荒れ、シルヴィアは飛ばされてしまいそうになる。
ドンッ
という音と共に、何かが着地した。風は上空から飛来したそれによるものだったらしい。凄まじい衝撃波が収まると、その中心にいたのは真紅の瞳を持つ一体の黒い龍だった。
「……シュラ?」
シルヴィアは信じられないものを見た気持ちだった。
庭をめちゃくちゃにされたオルデンをはじめ、イーラや他の白龍の民も集まってきた。
と、その間にシュラは姿を変えていた。
「よお、シルヴィア。待たせたな。迎えにきたぜ。」
シルヴィアにはそれだけで十分だった。涙なんてとっくに枯れたと思っていた。でも今シルヴィアはぐしゃぐしゃに泣きながら、シュラへと駆け寄っていたのだ。
「よーしよし。悪かったな、あんな別れ方で。」
言葉にならないシルヴィアの嗚咽を、シュラは受け止める。
突然のシュラの登場に、白龍の民は警戒を強める。なんと言っても、ここはオルデンの居城なのだから。武器を構える白龍の民を制し、オルデンが直接歩み出る。
「……黒龍の。何をしにきた。」
この場合、対処できるのは自分しかいない。そう考えた末の直接対決だった。
「何って。長いこと預けてたウチのシルヴィアを迎えに来たのさ。」
オルデンははっきり言ってシュラが嫌いだ。何がって、こういうところだ。飄々としていて、厚顔無恥な主張を堂々と言い切っていくこの図々しさが嫌いだ。
「その者はこの度白龍の国民となった。迎えは不要だ。」
シュラの胸に抱きとめられ、泣き続けるシルヴィアを見て、シュラはこう言った。
「これを見てよくそんなことが言えるな?俺のいない間、シルヴィアに辛い思いをさせたんじゃないのか?」
ピキ、とオルデンの何かが音を立てた。
「その娘には最大限の温情をかけて保護してきた。本来なら保護する道理もないのに、だ。」
オルデンはできるだけ冷静に対処しているつもりだったが、こいつ相手になると、どうもすぐに熱くなってしまう。安い挑発に乗るつもりはないが、嫌な言い方をしてくるせいだ。
「そうかい、それならその温情に甘えて、シルヴィアは俺が責任持って引き取る。安心してくれ。」
そういう問題ではない!オルデンは叫びそうになった。
そうではなく、シルヴィアは置いてさっさと自国へ帰れ、と言いたかったのに。シュラはどこまでも自分の都合のいいように拡大解釈していく。そういうところも嫌いだ。
さらに最悪なのは、シルヴィアが泣きじゃくっていて、何も言えない状態にあることだ。
「せっかくの別嬪さんが台無しだぞ?ほれ、お前のだ。」
シュラはシルヴィアのフードを脱がせると、その頭に当然のようにあのティアラを乗せた。
それが決定打になったように、シュラはシルヴィアを背に乗せると、再び上空へと去っていく。
「待て、話は終わっていない!」
シュラはそれが聞こえていないはずがないが、それ以上何も言わずにシルヴィアを乗せて去っていった。
オルデンは追いかけるほど愚かではない。とりあえずめちゃくちゃになった庭を元に戻すと、どっと疲れたので王座へ戻る。そして苛立ちをイーラにぶつけた。
「イーラ、あれはどう説明する気だ?」
問い詰められたイーラも顔色が悪い。
「今日この日まで、黒龍王が我々を欺いていたということだと思います…。」
イーラも正直機嫌が悪い。それもそのはず、盛大に顔に泥を塗られたのだから。そして改めて痛感させられたのだ。自分では黒龍王に力だけでなく、男としても太刀打ちできないということを。イーラはたまらなく悔しかった。五十年かけて、シルヴィアに寄り添ってきた。しかしそれを一瞬で覆されるほどに、シルヴィアの中での感情に圧倒的な差があったということだ。
自分は、黒龍王への感情を埋めるほどの男にはなれなかったのだということ。決してシルヴィアもイーラを軽んじていたわけではない。ただ、シュラへの感情が強すぎたのだ。
帰りの道中、まだ泣き止まないシルヴィアにシュラは静かに語りかける。
「本当に悪かった。あの時はあれしか選択肢がなかったんだ。」
シュラの作戦はこうだ。まず、イーラの目の前でシルヴィアを裏切る。イーラの性格的にシルヴィアを見捨てることはしないだろう、という計算のもとで。そして五十年の歳月を白龍の国に預け、白龍の国の知識や技術をシルヴィアに学ばせている間に、自分も黒龍の国で修行に明け暮れる、ということだった。もちろんシルヴィアを喪うことは絶対に避けたかったので、それなりに気を遣いながら。だが、驚くほどシルヴィアは慎ましく過ごし、イーラから恋愛感情を向けられても靡かず、シュラの元へ戻ってきてくれたのだ。
(内心、向こうへ靡かれたらどうしようかという焦りもあったが。)
それは賭けだった。イーラがもしシルヴィアを見捨てたら。オルデンがもし即刻シルヴィアを消そうとしたら。シルヴィアがもしイーラの想いに応えてしまったら。幾つもの賭けに勝利してきた。それ即ちシュラの勝ちだ。自分の強運にシュラは心の中でガッツポーズした。
そもそもシュラがそんな作戦を考えたのは、ヴィクトリアとの一戦の後だ。正体のわからない黒衣のものたちを、いくら調査させても正体がわからなかった。またいつ害を及ぼしてくるかわからない。あんな攻め込み方をされたら、身がいくつあっても持たない。それに対処するには、シュラ自身強くなる必要があった。だから、シルヴィアの面倒を誰かに見てもらう必要があったのだ。そこで思い立ったのが、白龍の国に一か八か預けるという選択肢だ。それを成し得るには、シュラの演技力が試された。
「なかなかの役者だっただろ?」
してやったり、という顔でシルヴィアに問いかける。が、シルヴィアはそれどころではない。
「シュラの、ば、ばかああ。」
それだけ抗議するのが精一杯で、また泣きじゃくっていた。シルヴィアの感情は大忙しだ。シュラへの抗議、感謝、そして安堵。いっぺんに押し寄せてきて、何が何だかわからないうちに、自分でもびっくりするほどの涙となって流れ出た。
自分は捨てられたのではなかった。その安堵が一番大きかったように思う。
五十年間蟠っていたものが、一気に溶けた。
「それにしても、シルヴィアも成長したんだな、オルデンさえも食ってかかってくるとは思わなかったぞ。あいつはスルーだと思ったんだが。」
居城の庭をめちゃくちゃにしておいて、よく言ったものだ。
シルヴィアは五十年間に起こったことを、シュラに報告しながら懐かしの黒龍の国へと舞い戻った。




