第15話 あたらしい世界
シルヴィアはなかなか目覚めなかった。それでも、生きることはやめなかったらしい。時間はかかったが、目を覚ますと、いつもの部屋ではない部屋でもう一度現実を振り返り、さめざめと泣き始めた。
そんなシルヴィアの様子が悲痛で、イーラはなんと声をかけたらいいのか迷った。
「…服を用意させたから、とりあえず着替えようか?」
イーラは正直なところ、布面積の少ない黒龍の国の衣装に身を包んだシルヴィアに対して、目のやり場に困っていた。
シルヴィアはおとなしく従ってくれたが、言葉を発することはしなかった。シルヴィアが着替え終わるのを待ち、再びシルヴィアに寄り添う。
イーラはシルヴィアと黒龍王の間に何があったのかは知らない。でも、あの攻撃は完全に不意打ちだった。それだけシルヴィアは黒龍王を信頼していたに違いない。
何があったのか聞きたい気持ちはあるが、今はまだ触れないでおこう。聞き出すにはシルヴィアの傷が深すぎるようだから。
「シルヴィア、君を今日から僕が預かる事になった。何かわからないことがあったら僕に聞くといい。徐々に慣れていけばいいからね。」
イーラはできるだけ優しくシルヴィアに接する。目の前のシルヴィアは目に見えない傷に深く打ちのめされているからだ。
「…ありがとう、ございます。」
まだ涙の止まらないシルヴィアだが、イーラに感謝を伝えることは忘れなかった。
「そんなにかしこまらなくてもいい。それも慣れかもしれないけど、僕には敬語は不要だ。」
イーラは遠い日にシルヴィアとお茶をした時のことが忘れられずにいた。明るく可愛いシルヴィアに、少しドキドキしたのが本音だ。しかし、今のシルヴィアからはあの時のような生気が感じられない。
(ここまで傷ついてるとなると、ただ事じゃないな。)
イーラは本当に何があったのか、早く知りたかったが、シルヴィアの様子がそれを許さない。
「今はゆっくり休んで。気持ちが落ち着いたら、色々と案内してあげる。」
シルヴィアは、もう一度イーラに礼を言うと、ベッドに身を預け、そのまま泣き疲れて眠ってしまった。そんな様子がしばらく続いた。
(このままではいけないな…。)
イーラは、何とかシルヴィアに元気になってもらいたかった。そこでイーラは毎日シルヴィアに花を差し入れするようになった。
たちまち元気になってもらえるわけじゃないだろうが、少しでも外に興味を持ってもらえたら。もう少し気も紛れるのではないか。そんな考えだった。
それが功を奏したのか、シルヴィアはそのうち花について質問するようになった。それを見計らって、イーラはシルヴィアを庭にある温室へと案内する。そこには様々な花だけでなく、主に薬草類が植えられており、それはとてもシルヴィアの興味を引いた。薬草というものは、魔法でなくとも人を癒す効果があると聞いたからだ。もちろん魔法で何でもかんでも癒せるものではないということは、父アルヒから教育されて知っている。が、薬草の類に触れる機会が少なかったシルヴィアからすれば、それはとても興味深いものだった。
「そんなに興味があるのなら、ここで薬草の研究でもしてみたら?」
そうイーラから提案され、シルヴィアはそうする事にした。とはいえ、気持ちが晴れたわけではないが。
シルヴィアはどん底にいた。それはもちろん、シュラから突然捨てられたことに由来する。あの時、心が通じ合ったと思っていたのは自分だけだったのか。シルヴィアはとんでもない勘違いだったのだと自分を恥じ、責めた。思い返せば、そういうやり取りがあったわけでもなかった。勝手に思い上がって舞い上がっていただけ。シルヴィアはそう思うとやるせなくなった。
でももうこの感情からは引き返せない。シルヴィアは考える。シュラがいてこそ、自分はもっと生きる努力をしようと思えたのだ、と。シュラがいないのならば、この先何のために生きていけばいいのかわからない。そう思ったほどだ。
思い詰めるシルヴィアに、イーラは優しく接してくれるが、それもどういう感情で接して暮れているのかわからず不安になる。あの時居合わせた事に対するただの同情?そんなものいらない。少しの時間、お茶をして意気投合した、それは理由にならない。シルヴィアは他人の感情の動きに過敏になっていた。それほどシュラからのあの仕打ちはショックだった。何か意味があっての事だったのだろうか?それとも、本当に捨てられたのだろうか。シルヴィアはわからないまま堂々巡りをする。
それはシルヴィアの表情にも暗い影を落とし、笑うことができなくなっていた。いつまで経ってもニコリともしないシルヴィアを、イーラは心配したが、疑心暗鬼になっているシルヴィアに真意は伝わらなかった。
揺れる長い銀の髪を見つめながら、イーラはシルヴィアを慮った。まだ三十年しか生きていないのに、あまりに不幸が多すぎるのではないか、と。白龍側からは疎まれ、黒龍側でうまくいっていると思ったらあんな帰郷の仕方だ。しかも初めから黒龍でうまく受け入れてもらえてませんでした、というのなら仕方ないと思う。だが、シルヴィアの反応を見ればそうでなかったことは容易に想像がつく。
おそらく、黒龍王の庇護というのは相当なものがあったのだとイーラは考えていた。最悪、恋仲でした、とか言われても驚かない準備をしなければ。
だとしても、あの仕打ちを見れば、もう庇護する気がないというのは明白だ。要するに、恋仲だったとしても、過去形になる、ということだ。シルヴィアも早くそれに気づいて、前を向いてくれるといいのだが。自分ならあんなことは絶対にできないな、と思う。やっぱり黒龍の国のものは野蛮でいけない。
ふと、そう思い立ち、シルヴィアに今までの魔力訓練についての経緯を聞いてみる。
「魔力訓練?えーと、戦闘訓練ですか?」
シルヴィアに話を聞いてみて、イーラはダメだこりゃ、と思った。それもこれも、シルヴィアから聞こえてくる話といったら、筋肉の使い方だとか、体の動かし方だとか、挙句それに全力の魔力を叩き込んで戦うとか、蛮族の戦いを聞かされたからだ。
「うーん、そうじゃなくて。例えば、そうだな。まずこの積み木を魔力で動かしてみて。」
イーラにとってそれは息をするくらい簡単なことだ。が、それはシルヴィアにとっては新しい挑戦で、どうすればいいのかすらわからない。
イーラはそんなシルヴィアに呆れることなく、根気よく丁寧に教えた。まず、深呼吸して呼吸を整えてから、目の前の積み木の形状や重さを考慮して、弾き飛ばすでもなく、ただ少し動かすだけ、と。
それはイーラが鍛錬されているから簡単なだけであって、初心者のシルヴィアにはすぐには難しいことだ。それはイーラもわかっている。イーラが思うに、黒龍の国で習った魔力の使い方(拳に乗せるとか野蛮な)は、身体の内側に魔力を巡らせるやり方なのではないだろうか。対してこの国でいう魔力の使い方、とは、外側にエネルギーを放出し、外部のものに干渉する力である。ここまで違いがあると、一朝一夕に習得するのは難しいだろうが、イーラは諦めない。だって目の前にいるのはシルヴィアなのだから。はっきり言おう、イーラはシルヴィアに初めて会ったその時、一目惚れしていた。そしてお茶をして意気投合した時、もうこの子しかいないと思っていた。だからこそオルデンの凶刃が及ばないように行動した。たとえ自分に何か害があったとしても。目を瞑ることができた。イーラが惚れっぽい性格だったわけではなく、シルヴィアがとても可愛く素直ないい子だったというだけなのだが。権力闘争に疲れたアルヒやイーラのようなものにとって、ミナやシルヴィアのようにスレていない純朴な女の子が魔法抜きでどれだけ癒し効果を持っているかというのは、計り知れないのだ。だからこそ、イーラは黒龍の国で筋肉にものを言わせた修行をしてきたシルヴィアを見て、少しだけ夢が壊れた。




