第二十二話
奈々子叔母さんによって顔面を軽く陥没(全治三週間らしい)された空き巣犯は敢え無く警察の御用となり、僕は僕で警察の事情聴取を受ける事となった。
聞けばあの空き巣犯は近所でも注意を促されていたくらい話題の渦中にいた泥棒であったらしく、近所でも自警団が組まれるなどして見回りを積極的に行っていたそうだ。
「貴方達のアパートにも知らせのチラシは配っていた筈だけど」
そう言っていたのは騒ぎを聞きつけてやって来た白峰館の真向いのアパートに住んでいる大家さんだ。
「…………本当ですか?」
全く気付かなかった僕はキョトンとした顔を見せ、大家に呆れられてしまった。
だけど変だな……。郵便受けにはそれらしい知らせなんて一切無かったのに。
「白峰館の知らせは103号室に住んでいる相田さんという方に知らせている筈よ。その時に他の住人の皆さんにお知らせするよう頼みながらチラシも渡しているから、もし貴方が知らないのであれば相田さんが忘れていたのかも知れないわね」
「…………そりゃあ、僕達に伝わる訳が無い」
相田さんは多分、素で忘れていたのだろう。僕と同様、キョトンとした様子が目に浮かぶようだ。
だが、しかし。僕は後で相田さんを殴っておこうと心に誓った。
「……アパートで一番の年長者らしいから頼んだのに。本当にしょうがないわねぇ……。今度からお報せは全て貴方に伝えるようにするわ」
是非ともそうして下さい。
「……そもそも何でチラシを全員分、郵便受けに入れなかったんですか? ……いや、そうで無くとも相田さんが他の住民にお知らせを伝えない可能性を考慮すべきだったんじゃ」
ただ、僕は言うべきところはしっかりと言うべきと考え、甘かった部分に対して物言いをした。すると、
「……少し酷い言い方をするようで悪いんだけど。前に何度か102号室や201号室を訪ねた時、明らかにメーターが動いているのにも関わらず、居留守を使われた事が何度か会ったんで私も気が引けちゃってね。チラシ置いても回収された試しが無いし、それからは住人の一人に通告して皆に伝えて貰う方法に変えたのよ。…………やっぱりそういう態度取られちゃあね」
なんて事を面と向かって言われてしまったので僕は返す言葉が無かった。
菫が普通に訪ねても応対しないのは言わずもがな。黒川さんの方は恐らく締め切り前でそういう事に気を遣っている余裕が無かったのだろう。どちらにしたところで大家の言い分も尤もだったので、僕は代わりに頭を下げた。
…………いや。僕は一体誰の立場で謝っているのだろう。
こういう事をするのは元々白峰館の大家の役では無いのだろうか。
僕はそんな事を思ったが、白峰館の大家と言えばそれはそれで性質の悪いアラフォーの叔母さんなので、彼女を矢面にするよりは僕が謝った方が変にこじれずに済むだろう、と思い直し、僕はやっぱり頭を下げた。
「貴方はこのアパートに住んでいるにしては常識人らしくて助かるわ。…………それより、何か困っている事は無いかしら? 私で良ければ相談にも乗るし何だったらウチも一室空いているから安くで貸してあげるわよ」
「……………………あはははは」
僕は取り敢えず苦笑いをして場をやり過ごした。
相談するのはこの白峰館の訳の分からない住人による迷惑を彼女(三十歳前半。苦労性のようで美人薄明と言ってはあんまりだが、醸し出す雰囲気はいっそそれに近い)に背負わせるのは不憫だと思ったのと、一応何だかんだで奈々子叔母さんに恩があるからである。アパートを移るという提案にはかなり心惹かれたが僕はすんでのところで思いとどまった。
その後も僕は大家さんから白峰館が今までに犯した数々の失礼に関する愚痴を聞いて、その度に頭を下げる羽目になった。
「白峰館って言えば近所でも『ガラパゴスアパート』『外界との交友と断絶したアパート』『異次元空間(笑)』って揶揄されているわよ」と聞いた辺りで僕ももう下げる頭なんてもう擦り切れてしまったんでは無いか、と思うばかりであったが、一つでさえ反論出来ない辺りがもう末期である。
そんなこんなで僕が白峰館に返ってきた時には日も大分暮れかかった頃である。
「おかえりー! もっみじたん、どう? お腹空いてる? 空いているなら残っている肉を適当に焼いてあげるけど。空いてないんだったら、酷い目にあったねって事で私を気晴らしに抱いたって構わないわよ。今日限定でならお姉さん、一肌どころかまっぱになるまで脱いであげる」
「…………そういう事だからこのアパートは駄目なんですよ」
僕は今日一日の疲れを吐き出すように溜息を吐いた。
だが気疲れは眼前の叔母さんを見ているだけで、どんどんと入っていくので疲れが取れた気なんて微塵にも感じない。
「それはそうと、さっきの見た? 私の華麗なライダーキック。原付で思い切り引いた後に空き巣の醜い顔面にショッカー如き何のそのってくらい強烈な奴を入れてやったわ。お陰でお姉さん、足がガッタガタ。医者に『年齢考えて無茶をおやりなさい』って戯言を吐きかけられたわ。余計なお世話だっつうの、ハゲ親父め!」
「……いや正直、そのお医者さんの言う事は正しい」
四十近くにもなって原付から飛び降りて勢いそのままにとび蹴りをかますのを無茶で無いという医者が居るならそれは詐欺師か闇医者くらいのものだ。
ついでに言えばあれだけの暴力沙汰を起こした奈々子叔母さんに対して裁判官や警察官の物言いが一切入らなかったのもそれはそれで奇跡に相違無い。
苦い顔で「……せ、正当防衛です……かね?」と呟いていた若い警官の顔が引きつっていたのを僕は忘れない。いっその事、空き巣と一緒にしょっぴかれれば良かったのに……と思ったが、空き巣を捕まえてくれてそんな非道な物言いを僕は出来なかった。
閑話休題。
劇的な登場(?)であったものの、僕は奈々子叔母さんと初めて邂逅する事となった。
叔母さんは(年齢的には)若い外見で、ふわっふわなボリューム感のある茶髪のショートヘア、Tシャツにジーンズといったラフな格好をした女性であった。
目尻が少し垂れているところに年齢を感じさせたが、まあ若く見える範疇だ。
それはそれとして。
僕はまず頭を下げた。色々と世話になっていたにも関わらず挨拶が遅れていた事を謝る為である。すると、
「挨拶なんてお姉さんは気にしないよ。そんな事より大事に至らなくて良かったわね」
頭を下げる僕に対して奈々子叔母さんはそう言ってくれた。
脳内が色んな意味で散らかった人ではあるけれど、こういうところに度量の広さを感じて僕は無下には扱えない。恩とかそういうもの以前に常識とは違ったところで出来た人という印象を僕は受けた。
「そんな事よりも椛ちゃん、今日の事に御礼を言う人は他にも居るんじゃない?」
「他?」
不思議そうな声を上げる僕に対し、どうやら今日はあれからずーっと呑んだくれていたらしい相田さんが皿を掲げながら言った。
「椛よお。奈々子をトリックスターとするなら今日のMVPはあいつしかいねえだろう? ほら、良い肉はちゃーんと残して置いて今さっき焼いたばかりだから熱い内に持っていってやれよ。俺自家製のタレもたっぷりぬっておいたぜ」
「……赤ら顔してどうしたんですか、役立たず。まだ呑んでいて大丈夫なんですか?」
「…………辛辣だな、椛。本当に悪かったと思っているよ。だからこうしてちゃんと準備していたんじゃねえか」
「椛君、あたしからもお願い。持っていてあげて。あの娘、喜ぶと思うから」
「………………肉なんて持っていったらまた追い返されるかも知れませんよ」
「うーん……今日は大丈夫なんじゃないかしら?」
相田さん同様赤ら顔のまま黒川さんも笑顔で言う。僕はここまで言われて断れる訳も無く、沢山の肉が入った皿と白飯が盛られた茶碗を受け取る。
そして今日の御礼とそしてバーベキューを一緒に楽しむ為、201号室で待っているだろうあいつ――菫の元へと僕は向った。
階段を一段昇る毎に肉の香ばしい匂いが鼻腔を通り抜けた。
菫はこの肉を食べてくれるのだろうか――――いや、多分食べてくれるだろう。
根拠は無いが、そんな気がした。




