恒久的平和実現のための反出生主義
人間が『争いのない平和な世界』と言う時、それは多くの場合『人間が生活しているうえで』という条件が無意識に付加されているように思われる。事実、『戦争』と言う場合、それはほとんどの場合人間同士によって引き起こされたのであり、『人間が行う戦争』を人間は嫌ってきたのである。
人間は今まで平和を模索し、さまざまな手段を講じてきた。だが現在世界を見回してみると、いまだに戦争のニュースが絶えることはなく、戦争とまで行かなくとも人間同士の不和が暴力、そして流血にいたる惨劇はどこにでもある。歴史を見てみると、人々はそういう不毛な殺しあいをうとむどころか、むしろ好んでいる風潮すら見受けられるのだから、なおさら救いようがない。
ところで、人間同士の争いを人間は嫌う。人間がいなければ、人間同士で争うことはできない。それならば、人間をこの世から消し去れば、人間にとっては争いがなくなり、人間にとっての平和が実現したことになるのではないか。
そもそも、歴史上人間が世界的な平和を実現したためしがないのに、なぜ平和を期待できるのだ。自分たちは平然と――たとえ『戦争』と呼ばれない形でも――争っているのに、自分たちの子孫にはそれを期待するのか。全くもって馬鹿げている。人間を増やさなければ、殺しあいも減ることだろうに、「出生率を増やせ」という声がところどころで聞こえるが、そんなことをすれば、未来の我々がどんな悲惨な目に遇うか分かったものではない。あれはもう二度と経験させてはならない。
たとえ彼らの人生が充実したものであれ、そのせいで苦しむ人間がどうせいるのだし、大体『死』がどれほどの苦痛をもたらすか、誰も知らないのだ。長い目で察れば人生はクソで、誰もが苦しみを与えたり、受け取ったりしている。
別に僕は虚無主義からそんなことを言っているのではない。そちらの方がよりよい選択肢であるからだ。いまだこの世に生まれない魂にとっては、この世界がどうだろうと関係のないことだし、彼らに不利益があるわけではない。「生まない」選択をすることで、人間は解脱をする義務から解放されるし、天国か地獄か選ぶ使命からも解放される。むしろ生まれない方が幸運といってよい。
もし魂が転生を繰り返しているとして、人類が地球から消え去ったらどうなるのだろう。ほかの惑星にでも転生するのか。だとすれば、魂を転生させないことは善行といえよう。そういう観点から見れば。
いずれにせよ、全体から見れば人類は増えすぎだ。減って悪い理由があるか? 人間が減って資源の使用料が少なくなれば、動物や植物に恩を売ることもできるはず。
これほど利益のあることが人間のあらゆる営みの内一つを制限することで実現できるのだ。
様々な難点がある。
まず、子を生まないとなればその人の扶養はなかなか困難だろう。そのために若手の支援が必要になるのでは本末転倒であろう。養子でもとらなきゃならないか。
もう一つ、かりに出生率を減らす努力をしたとしても、それはただ一部の地域だけのことであって、他の部分は人口が増え続けるということもあるかもしれない。そうなれば国家に生じ、あらたな社会問題や紛争のきっかけになる可能性がある。もっともこれは子孫を残さぬものに関係のあるものではない。
また、自分たちの血が滅亡すればそれは大変不名誉なことで、ほかの民族の嘲笑を買うことに違いない、と思うような人はさすがに説得が難しいのではないか。
しかしそのような問題であっても、結局反出生主義そのものの倫理的な否定にはならない。これ以上人間に嫌な思いをさせずに済むし、そもそも子を産むことが人間の目的とは決まっていないわけだし。
Ceterum autem censeo, humanos esse delendos. (とりあえず人類滅べ)
待てよ? 人類が滅びて第二の人類がその後に現れたらどうするのだ? ならあくまで人口の減少が目標とすべきであり、『絶滅』などでは決してない。
これは、本人の意思によってなされるべき選択であり、強制は不幸しか呼ばない。




