汎神論証明
神は最善を知っており、またそれしか行わないはずだ、と仮定するのはおこがましいのではないかという疑問がある。神は本当に誠実なのか? それは人間の勝手な思いこみでは? 神が人間にひいきする必要がどこにある。宇宙の片隅にひっそりとたたずむ存在に、神がなぜ関心を持つだろうか。そういう性格の神は、もしかしなくとも人間が造りだした虚像でしかないのかもしれない。
「何もないのが一番いい」、この世をはかなんだ人々は言う。これに反論しうる人はいない。これによって数千年間人間が「よりよい世界をつくる方法」を議論して築き上げた遺産は形もなく崩れてしまう。
「何もないのが一番いい」なら、神は元から世界を創造していないはずなのだ。だが現に我々は存在している。ならば、我々は神そのものではなかろうか? これが、僕の考える汎神論の証明である。
人々は、この乱れ切った地上とは対称に、空の向こう、惑星や恒星が秩序正しく運行する、広大でかつ争いのない宇宙空間を想像する。だが、天の星々が地球にいる人間に対して模範として示されているなどと思うのはとんでもない傲慢であろう。地球がなくとも星々は当然そこに存在し続けるし、人間がいなくとも地球は存在し続ける。
確かに、地球はこの宇宙空間を凝縮した模型であるとは僕も確信する。ところがそれは宇宙全体に比べればずいぶん粗悪品だ――人類の主観からすれば。
ひょっとしたら創造主は星々の世界を優先して造り上げたのだ。物理学などで検証される世界は、恒星や銀河を規則正しく動かすために造り上げられたもので、地球上の動物など生命体が過酷な立場に置かれているのは、神の配慮がいきとどいていないからだ。
神>人>自然
という順序ではなく、
神>自然>人
なのだ。
「人間はそれほど、至高の存在を思惟できる存在なのか?」と自問した時、どうしても疑念が生じる。神は本当に人間中心に宇宙を創造しているのかどうかと。それは我々が人間であるがゆえのやむをえないことなのか?
人間が信じる神は、神の一部を少しでもとらえているのか?




