第64話 敗北の瞬間
俺の左足が咬み切られて、ガーベンの口の中に入っていた。
あれは俺のものなんだ。
俺の足じゃないか。
なぜ、ガーベンが咥えているんだ。
俺は呆然とした頭でそんなことを思った。
ガーベンは口にくわえていた俺の足を無造作に、何の価値もないゴミのごとく地面に放り捨てた。
愕然とした俺を前に、ガーベンは四つんばいの体勢のまましゃべってきた。
「お前が自分の左肩を取ろうとするのは、簡単に予想できる行為だった。だから、投げ飛ばされたときにすぐに体勢を立て直し、そこに向かうだけでよかった。腕に気を取られて隙ができたお前など、敵ではない。本当の戦士なら腕よりも俺の命を奪うことに集中するだろう。その地点でお前の負けは決まっていた」
ガーベンは静かに言った。
「・・・・・・・」
俺はただ黙ってその言葉を聞いていた。
負けたのだ。
肉食動物に襲われ、負けた獲物のように、俺はこのまま四肢を引き裂かれ動けなくされ、内蔵を食われて死ぬのだ。
それが自然界における戦いの結果だ。
この大いなる摂理の前に、俺の運命はもう決まったようなものだった。
ガーベンは静かに俺の前にたたずんでいた。
「最後に言いたいことはあるか?」
ガーベンは俺の顔をのぞき込んでたずねた。
「こんな最後に満足できるか!」
ガーベンは真剣な顔で俺を見つめた。
「ならば、来世では強くなることを目指せ」
ガーベンは大きく顎を開けた。
このまま、首を食われて引き千切られるのか。
みんな、ごめん。
任務に失敗したようだ。
和泉、すまなかった。
俺は勝てなかったよ。
俺はそう思い、和泉がいると思われる所を見た。
だが、和泉はあきらめずに弓を引き、ガーベンの頭にねらいを付けていたのだ。
ダメだ!
奴はかなうような相手ではない。
和泉は殺される。
俺はそう言おうとするより早く、和泉の矢がガーベンに向かって飛んだ。
ガーベンが和泉の気配に気付かないはずもなかった。
矢が放たれたのを知って、その場から飛び退いたのだ。
矢は空しく離れたところを飛び去っていった。
ガーベンは矢の飛んできた方角を向いた。
和泉がいることに気づき、うなり声をあげた。
「神聖な戦いを邪魔する愚か者が! お前ごとき下賤な女が、我らの戦いを汚すことは万死に値する! その代償を払うがいい!」
ガーベンは和泉に激怒の表情を露わにし、ゆっくりと歩き出した。
「待て! 和泉は関係ない。なぜ、俺の方へ来ない!」
俺の必死の呼び掛けにも応じず、ガーベンは一歩ずつ和泉へと迫っていった。
恐怖で和泉はこわばりつつも弓を引いた。
しかし、狙いの全く合ってない矢は、ガーベンのいる所とはあらぬ方向へと飛んでいくだけだった。
「愚かだ、全くもって愚かにもほどがある」
ガーベンはさも軽蔑した目つきで和泉を睨んだ。
「このような意味のない攻撃が何の役に立とう。戦いの邪魔をするにあきたらず、まともに狙いさえつけられぬとは。これは我を愚弄するものだ」
ガーベンはそう言いつつ、恐怖を印象づけるためか、わざとゆっくりと歩いていった。
かなわないと悟った和泉は、前を見ながら少しずつ後ろに退いている。
その姿は熊と目のあった哀れな村人のようだった。
俺は立ち上がった。
ガーベンは和泉に気を取られて、こっちに気付いていない。
右足だけを元に戻す。
左肩を気にしている余裕はない。
俺は動ければいいと割り切った。
ガーベンが和泉の元にたどり着く前に、間に合わないと。
「和泉ぃーーー!」
俺は足を引きずり走り出した。
和泉はまだ俺が来ていることに気付いていない。
ガーベンの進行を食い止めるため、俺は先回りして奴の前へと出ようとした。
全速力で駆けていく俺がガーベンの前へと回り込んだときだった。
突如、体を突き抜ける痛みが走った。
腰からどろりとした暖かいものが流れていた。
手に何かがついている。
血だった。
腹を触った俺の右手から血が滴り落ちていた。
俺はおそるおそる自分の腹を見た。
俺の腹に何かが食い込んでいた。
背中から俺の内蔵を貫き、腰から出ているもの。
矢尻だった。
俺は後ろを向いた。
愕然とした表情の和泉が俺を見つめていた。
俺は一瞬で理解した。
和泉の矢が俺を射抜いたのだ、と。
「い、ず、み・・・・・・」
俺はその場にうつ伏せに倒れた。
和泉の絶叫が場を切り裂いた。
「なんたることだ。こんなくだらない結末を迎えるとは」
ガーベンが苦々しげにつぶやいた。
「戦いを邪魔したあげく、よりによって味方を射抜くとは。あまりにも愚かすぎる。味方からの攻撃で戦いが終わりとは、敵方のこちらにしても呆れかえる話だ」
ガーベンは倒れた俺を見て、言った。
和泉は完全に戦意を失い、弓を地面に落としていた。
地面に四つんばいになって、ぼろぼろと涙をこぼしている。
「私が、私がよけいなことをしたばかりに・・・・・・」
俺にも和泉の泣きながら謝る声が聞こえていた。
まさか和泉に止めを刺されるなんてな。
こんな最期なら、まだガーベンになぶり殺しにされた方がマシだったかもな。
俺は次第に意識が薄れていった。
全身が気怠くなり、寒くなっていく。
このまま意識がなくなれば、死を迎えるのだろう。
和泉を助けようとしたあげく、和泉から撃たれて死亡か。
どこかのアメリカ映画でこんなシーンあったな。
フレンドリーファイアーで味方から殺されてジ・エンドの結末だったっけ。
俺はぼんやりとしたままそんなことを考えた。
もう目の前が見えなかった。
何か和泉が言っているのだろうが、耳には入ってこない。
ただ、体から暖かいものだけが流れているのが分かった。
血が出ていってるのか、俺の命の滴が流れ出していく。
俺はそのまま死ぬのだと思った。
血は腹からではなく、上から流れているようだった。
上からも血が出ているのか。
俺はぼんやりした意識でそう思った。
「女、どけ。この者はお前などには相応しくない勇者だ」
「・・・だったら、私も、ここで殺して・・・」
上から声が聞こえた。
これは、ガーベンの声、じゃあ、俺の上にいるのは和泉なのか?
「どけと言っている」
「どかない。武蔵君は私が守るもの」
「哀れなものだ。無能で勤勉な味方は、敵よりはるかに恐ろしいとは言うが、実際に目の当たりにすると実感できる。女よ、お前の行為はこの者にとって何の意味も持たぬ」
「どかないわ。それが私にできるたった一つの償いだから」
和泉の声がすぐ真上からした。
俺の背中で暖かい滴が落ちて流れていった。
これは・・・、血じゃない。
和泉の涙だ。
和泉は俺のために泣いているんだ。
まだ、俺は死んでいない。
確かにこの傷ではリアルでは生きていない。
現実なら外傷性ショック死か、出血多量による死を迎えているはず。
だが、夢幻界では致命傷をうけないことには死ぬことはない。
逆に言えば、この状態でも自分が死ぬと思わなかったら、俺は死なないんだ。
和泉は俺が死んだと思っている。
自分の攻撃で死んだと思いこんでいるのだ。
なら、ここで俺が死んだら、戦意を無くしている和泉は死を受け入れてしまうだろう。
二人とも死ねば、戦いには勝てず、作戦は失敗に終わる。
ナイトメアハザードの犠牲者は見捨てられ、日本中が大混乱の憂き目にあうことは確実だ。
そんなことをさせてたまるものか。
まだ、俺が生きたいと思う限り、希望が残っている。
ここでおめおめと和泉を殺させてたまるか!
俺は自らに気合いを入れた。
たとえ周りが致命傷だと思っても、俺がそれを認めない。
こんな傷ごときで、俺は死ぬわけにはいかない。
俺はうめいた。
うめきながら最後の力を振り絞った。
矢が突き刺さっているから、死にそうなら矢を取り出したらいい。
矢尻を掴んだ。
無理矢理に俺の体から押し出す。
痛いなんてものじゃない。
痛みだけで死にそうだ。
でも、死にそうでも生きている。
痛いということは生きているということだから。
俺は矢を体から引き抜いた。
ともかく傷がふさがるイメージを思い浮かべる。
時間が経ち、自然に傷が治るのを早めるんだ。
ビデオの早送りのように。
和泉が驚いて、俺を見た。
「武蔵君が、生きてる」
和泉は傷を治そうとする俺の両手を押さえた。
「私も手伝う」
和泉は俺の手を優しく包んだ。
「早く治って。こんなところで死んだらダメ。私のせいで死んだら、生きていられないよ」
和泉は俺を見ながら言った。
傷口が熱く感じられた。
それは痛みではなく、治っていくために細胞が必死で動いているように思えた。
傷口が内側から盛り上がり、赤いかさぶた状になり穴はふさがった。
俺は貧血でふらつきながらも地面に自分の足で立った。
戦いはまだ終わっていない。
これからが本番なんだ。




