第57話 和泉の世界・影
「わたしは『みずほ』。武蔵君が知っている瑞穂とは別人なの」
自らを『みずほ』と名乗った少女は、まだ小学生ぐらいだ。
愛ちゃんより小さいだろう。
「どういうことなんだ?」
「わたしはわたし。だから、わたしが本当の『いずみみずほ』」
「ええっ?」
俺はまじまじと和泉を見る。
確かに姿は和泉だが、俺の想像していた姿や性格とは全然違う。
一体どういうことなのだろう。
「そう言えば置いて行かれたとか言ってたよな。どういう意味なんだい?」
俺は子供の和泉に問いかけた。
「そのままの意味よ。わたしは瑞穂からここに閉じこめられたの。いらない子だってされて。だれもわたしには近寄ってくれないの」
「・・・・・・」
「お母さんにも、お父さんにもお前みたいな子はいらないって言われて、瑞穂がわたしをここに閉じこめた。それ以来わたしはここから出ていない。臆病で勇気のないわたしは、ここで独りぼっち」
ようやく読めてきた。
この子は和泉のもう一人の自分、認めたくないもう一つの自我なんだ。
言わば和泉の『影』か。
和泉は弱い自分をここに封じ込めて、強い自分を演じてきた。
その反動がこの子なんだ。
俺は子供の和泉に手を差し伸べた。
「大丈夫だ。俺が付いていてやるよ。だから、もう一人の和泉に会わせてくれないか?」
「本当。武蔵君、瑞穂に会ってくれるの?」
「そのためにここに来たんだ。本当の和泉に会って、和泉を元に戻すためにな」
俺の言葉に子供の和泉は悲しそうな顔になった。
「瑞穂は道場にいると思う。屋敷の左手にある離れの中だよ。でも、呼びかけても返事がないの」
「取りあえず行ってみよう。道案内を頼む」
子供の和泉はうなずくと、歩き出した。
暗闇になっていた部屋から出て。
俺と子供の和泉は、屋敷の玄関まで逆戻りした。
屋敷を外から詳しく見回す。
左の方に別の建物が見える。
あっちが離れになるのか。
なら和泉はそこにいる。
俺はそう判断すると、左の建物の方に向かった。
庭の池の橋を渡り、廊下の縁側を上がる。
さっきと同様に靴が消え、裸足で廊下を早歩きで進む。
「和泉、待っていろよ。すぐ行くからな」
俺は左側の離れにたどり着いた。
だだっ広い離れは、弓術の練習場になっていた。
だが、的があるだけで誰もいない。
「あっちに部屋があるから、そこにいるのだと思う」
子供の和泉がそでを引いた。
俺は廊下を進み、別室にある入り口のふすまを開けようとした。
しかし、固くて開かない。
ど、どうなってんだ、こりゃ?
俺は廊下を回り、右端の障子を開けようとした。
だが、まるでつっかえ棒でも咬まされたかのように、全く動かない。
どうしても中が気になった俺は、ペロリと人差し指をなめると障子の紙に穴を開けた。
できた穴から中を覗いてみた。
そこには白い羽織、黒の袴姿の和泉が、畳の上で正座している姿が見えた。
いた。
あれだ。
紛れもなく俺が見知っていた和泉の姿だ。
だが、横には中年の精悍な顔をした男が、上から目線で和泉に向かって注意をしていた。
「和泉君、君はまだ僕の言うことが分からないとみえるね。どうして、言うことを聞かないのかい?」
「でも、私は・・・・・・」
「ご両親は君のことを見限った。友達もいない。しかも君は仲間の足手まといになっている」
「そ、そんな、ことは・・・」
和泉は切れ切れの声でつぶやいた。
「君がそんな風に弱いから、リーダーもサブリーダーも亡くなってしまったのではないかな」
「・・・・・・」
な、何を言ってやがる。この男は。
ますますうつむく和泉に男は追い打ちをかけていく。
「さっきだってそうだろ。君は死に向かう仲間を説得できなかったばかりか、友人にまで弓を引いてしまった」
ビクリと和泉の肩が動いた。
体が細かく震えている。
「彼は怒っているだろうね。そりゃあ、そうだろ。信じていた仲間に矢で撃たれたんだから。どうしたらいいんだろうねえ」
それって、ひょっとして俺のことを言っているのか?
「和泉! 俺はここだ。開けてくれ」
俺は障子を開けようとして、両手で取っ手を握りしめた。
思いっきり引いたが、まったく動かない。
「わ、私はどうすれば・・・・・・?」
耳をすましてやっと聞き取れる声で和泉はたずねた。
「私の言うようになさい。和泉君。君のことを本当に考えているのは、私しかいない」
「でも・・・」
「もう君は仲間の元にいられない。誰も君を信用する人はいないからね。でも、私なら君を救える」
和泉はゆっくりと男を見た。
その目が期待であふれている。
「さあ、私と行こう。もう何も心配などする事はない」
やばいぞ、このままではあの男に和泉は連れさらわれてしまう。
俺は精神を集中した。
俺は夢を自在に操れるんじゃなかったのか。
なら、こんな戒めを壊してみせる。
俺はまたライターを念じた。
しだいに形ができ、ライターが手の中で創り出される。
こんな建物なぞ、焼き尽くしてやる。
俺は気合いを入れて、ライターの炎を吹き上げさせた。
たちまちのうちに障子が燃えた。
炎で人が入れる穴が開いたところで、燃えている炎なぞ気にせず、そのまま俺は中に飛び込んだ。
和泉が呆然として俺を見ている。
「和泉! 目を覚ませ!」
「武蔵君・・・なの・・・?」
和泉は信じられないという顔で俺を見ていた。
「ああ。俺は無事だ。それに和泉は気にしていたみたいだけど、俺は全然怒っていないぞ。さあ、早くみんなの所に帰ろう」
「で、でも、私みんなを裏切ったんだよ」
「だれも裏切ったなんて思ってないよ。みんなが帰ってくるのを待ってる。さあ、早く!」
「和泉君、だまされてはいけない! こいつは君に甘い言葉をささやいて、連れ出そうとしているだけだ。さあ、こっちへ」
男は驚愕の表情をすぐに消し去り、微笑みを浮かべた。
「お前こそ、なぜ和泉を連れ出そうとする。さっきから聞いていたら、和泉の心をえぐるようなことばかり言いやがって。とっとと消え失せろ!」
「和泉君、こんな口の悪い奴は信用するに値しないよ。さあ、私の元へ」
和泉はだまって男の方を見た。
「さっき、武蔵君が怒っているって言ってたわよね。でも、ここにいる武蔵君は怒ってないって言っているわ。どうして違うの?」
「それはこの無礼な男は、君が彼に怒られていないという望みが作り出した幻想だからだ。さあ、そんな世迷い言に耳を傾けるんじゃない」
「和泉、幻想はこいつだ。これを見ろ」
俺はライターの火を付けた。
勢いよく炎が立ちのぼる。
「この炎を操る力を見ても、俺が幻だと思うか? いま、こいつの正体を暴いてやる」
そう言うと俺はライターの炎を男に向かって解き放った。
炎は男に絡みつき、あっと言う間に男は火に包まれた。
男の体が焼け落ち、その皮膚の下から新たな姿が現れた。
「お前は、ガーベン!」
焼け焦げた皮が剥がれると、そこにいたのは泥の海で都リーダーを槍で突き刺した悪しき夢魔の姿だった。
「ほう、この我の分身に気づくとはな。この女をいいなりにしようと思っていたが、バレてしまえば仕方がない。この場で引導を渡してくれるわ」
ガーベンはそう言うなり、和泉を見た。
そのまま手を伸ばすと、和泉の体を掴み上げ空中へと舞い上がった。
「和泉ぃーー!」
俺は叫んで手を振り回した。
「さあ、どうする。我をそこからお得意の炎で攻撃するか? でも、そうしたら、この女まで黒こげになるぞ」
「く、くそおっ」
無念だ、ここまで追いつめたのに。
「武蔵君、私のことはいいから。こいつを打ち落として」
「できるわけがあるまい。そんなことをしたら、こいつまで道連れだ」
ガーベンは俺たちに向かって挑発した。
「これで勝ったとでも思っているの?」
「女、能力の足りないお前に何ができる? ここでは自慢の弓も撃てまい?」
「たしかにそうね。私はあんたに言われなくても、力は劣るし、足手まといになっているかもしれないわ。でもね・・・」
和泉はガーベンの後に自らの手を回した。
「さっきからずっと考えていたの。なぜ、あんたが私の夢の中に入ってきたのに、何も私に害を与えないのか? ようやくその答えが見えてきたわ」
「何が分かったというのだ?」
ガーベンはせせら笑った。
「私を傷つけないのはね、私の夢の中にあんたがいるから。逆に言えば、私が死んだら、この夢の中であんたも死ぬ。そうじゃないの?」
和泉はそう言うと矢を自分の手の中に生み出した。
「昔の人は、戦いに敗れて生き恥をさらすよりは、自らで死を選んだそうよ。私もあんたの言うなりになるぐらいなら・・・」
和泉は矢を自分の喉に当てた。
「このまま喉をかっ切れば致命傷になる。なら、私諸共あんたも死ぬ。どうするの?」
「和泉! よせ!」
ようやく和泉の思惑に気づいた俺は大声で叫んだ。




