第56話 和泉の世界・少女
気がつけば、俺は球体の思い出の詰まった部屋に戻っていた。
近藤さんが言うには、和泉は思い出の中に閉じこもっているって言ってたな。
なら、もう一つの光の強いほうか。
俺は家が写っている方の前に立った。
家というよりは、伝統ある日本家屋といった屋敷だ。
一目見て、和泉が名門の家柄だとわかる。
「どうやらこっちの思い出が本命みたいだな」
俺は口に出して自分自身に気合いを入れると、光に触れた。
そのとたんにものすごい記憶の濁流が俺を押し流していく。
たちまちのうちに光に飲み込まれて、俺は意識を失った。
風が吹いている。
どこからともなく水の流れる音がする。
顔の上に何かがかぶさっている。
何だ、これは?
俺は鼻の上にのっているものを手でつかんで目の前に持っていった。
表面は茶色で黄色の斑が混ざっている。
形は子供の手のひらのようだ。
俺はぼんやりとそれを見つめていたが、ようやく頭が目の前の状況に追いついてきた。
これは・・・枯れ葉だ。
でも、なぜこんなところに枯れ葉がある。
そもそも、なぜ俺はこんな所にいるんだ?
俺は寝ぼけながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
「和泉!」
その場で跳ね起きた。
そうだ、思い出したぞ!
俺は和泉を助けるために、和泉の心の中に入ったんだ。
なら、ここは和泉の創り出した世界か・・・。
ようやく、現状を把握した俺は、その場で立ち上がった。
バラバラと俺の体に積もったカエデの葉がこぼれ落ちた。
改めてこの世界を見回した。
辺り一面カエデの林だ。
美しい赤一色の紅葉もあれば、黄色のもみじもあった。
赤、黄色、緑、茶、黄土色。
色とりどりの葉が舞っていた。
水の音がしたのは、近くに池があるからだ。
岩で縁取りされた池に、石でできた橋が架けられていた。
ここは庭園の中か・・・。
俺はゆっくりと広い庭の中を歩き出した。
やがて、目の前に屋敷が見え始めた。
古来からの名門といった趣の屋敷があった。
これが、和泉の家なのか?
なんか、京都の観光名所にでも出てきそうな家だな。
そんなことを思いながら、俺は屋敷の玄関の前に立った。
静かだ。
人の気配はない。
俺はとりあえず「お邪魔します」と挨拶すると、屋敷に足を踏み入れた。
玄関に上がったとたん、靴が消え裸足になった。
几帳面な和泉のこと、靴のまま屋敷に上がるなんて真似は受け入れられないらしい。
俺はそのまま屋敷内をペタペタと歩き出した。
廊下の角を曲がったとたん、廊下の先に着物姿の女性のお手伝いらしき人たちが話しながら歩いてくるのが見えた。
しかも、その着物はぼんやりと輪郭が霞んでいて、はっきりとは細部が見えない服になっていた。
細かい情景がイメージできないが、曖昧にしないで見せないところが和泉らしいと言うか。
お手伝いは俺の方を向いた。
変な人がいるわ、とか大声で叫ばれるかもしれないと警戒し身構えた。
が、お手伝いたちは俺のことが見えていないのか、互いに会話をしながら自然に俺の方に近づいてきた。
顔を見てもそこまで再現できなかったのか、まるでマネキンのように目鼻立ちが分からなかった。
お手伝いたちは、そのまま真横を通り過ぎていった。
その際にはっきりと会話が耳に入ってきた。
「みずほさんは今日はお稽古事は休まれるそうですわ」
「出たくないそうよ。弓術のほうに集中したいですって」
みずほ・・・、俺は聞き覚えのある名前に耳をすませた。
聞き返そうとしたときには、お手伝いの女性は消えていた。
とにかくここにいることは間違いない。
俺は部屋をしらみつぶしに探すことにした。
屋敷はいくつもの部屋に分かれており、どこがどこだかわからなくなりそうだ。
取りあえず、奥に行けば会えるだろうと高をくくっていた俺は、すぐに音を上げることになった。
「一体どこにいるんだよ。というか、ここで屋敷の人は迷子にならないのかよ」
俺は奥の部屋に向かった。
美しい紅葉が描かれたふすまを開けると、そこには和泉の両親と思われる人が座っていた。
キツそうな女性が母親だろう。
美人だがつり目で一切の妥協を許さないという意志が顔にも現れている。
父親の方はそれほどでもない。
むしろ人の良さそうな感じの男だった。
「瑞穂はお稽古ごとは休みですか?」
「まあ、疲れているんだろう」
父親がなだめるように言う。
「また、遅れてしまいますね。そうでなくとも兄や姉に比べても劣っているというのに」
「人それぞれだから」
ここでは母がかなりの教育ママで父がそうでもなさそうだ。
気苦労しそうだな、これじゃ。
俺は少し父親と和泉に同情した。
「時は金なりと言いますわ。時間はいくらあっても足りません。日々精進し努力することが成功の秘訣だということは分かっているでしょうに」
母親はそう言うとため息をついた。
「瑞穂もわかっているはずだ。もう少し様子を見よう」
父親は何とかそう言うのが精一杯だ。
「あなたは少し瑞穂を甘やかしすぎではありませんか? それとも瑞穂はやはり違うからですか?」
「それとこれとは関係ないだろう」
さすがに穏健そうだった父親も、ムカッとして言い返した。
「あなたがそうやって大目に見るから、瑞穂が成績も稽古事も振るわないのではないですか。このままでは瑞穂は苦労する。この家の伝統を守ることができなくなるから、わたくしはあえてきつく言っているのですよ」
「しかし、すでに世継ぎは決まっているのだ。そこまで瑞穂に押しつけなくとも・・・・・・」
「たとえそうでも、将来のことを考えると瑞穂にもそれ相応のしつけとたしなみを身につけておく必要はあります。それは瑞穂にとってもいいことですわ」
なんか、なあ。
両親とも和泉のことを思うあまり、当の本人の意志を鑑みてないよな。
俺はこの不毛な言い争いに辟易して部屋を出た。
その後さんざん苦労して、ようやく和泉の部屋にたどり着いたときには一時間は過ぎていた。
部屋は異様だった。
鍵がかかっている。
それもいくつも。
ドアにはいくつも鍵穴があり、そこにさらにチェーンや南京錠まで掛かっていた。
この部屋に入って来るなと言わんばかりに。
「これ、どうやって開けたらいいんだよ?」
俺は途方に暮れた。
取りあえず、ドアをノックする。
「誰?」
和泉のか細い声が聞こえた。
「俺だ。武蔵だ。和泉に話があって来た。入れてくれないか?」
「ええっ?」
驚いたような声が響いた。
「どうしてここにいるの?」
「わざわざ和泉の心の中まで入ってきたんだ。会うためにな」
俺がそう言うと、和泉は黙ってしまった。
「・・・・・・会いたくないの」
「どうしてだよ。ひょっとして俺を弓矢で撃ったこと後悔しているのか。そのことだったら、俺はぜんぜん根に持ってないぞ」
全くとは言えないけど、夢の中の出来事だし。
「違うの。わたしは和泉じゃないから」
和泉じゃない。
どういうことだ?
「訳が分からない。和泉は和泉だろ」
「ここにいるわたしは武蔵君が思っている『私』じゃないの。だから、お願い、出ていって」
「な、何言ってんだよ? 和泉じゃないか」
「違うの。ここにいるわたしは『私』の残り。置いて行かれたのよ」
残りの和泉?
置いて行かれったって、どういう意味だ?
「とにかく会ってくれよ。会いたくないのか?」
「なら、会っても後悔しない?」
「するわけないだろ。そのためにわざわざここまで来たんだぞ」
しばらく和泉は黙っていたが、カチャ、カチャッと鍵を外す音が聞こえた。
やがてすべての鍵が外れたのか、音が止んだ。
ギイィーときしむ音をたてながら、ドアが開いた。
俺は中に踏み込んだ。
薄暗い室内に机、タンス、本棚があり、ベッドが添えつけてある。
その毛布が人型に膨らんでいた。
俺はベッドに近づくと、毛布をつかみ、取り払った。
中でうずくまっていたのは、子供だった。
「和泉・・・・・・じゃないのか?」
子供の姿をした和泉は、座り込んで震えていた。




