第38話 伊予恵の視点
伊予恵の視点
あたしは今まで真剣に考えて生きてきただろうか?
ガイスト審査のとき、都リーダーは自分の自我をしっかり持つようにとアドバイスしてくれた。
でも、あたしにはこれが自分だって言えるものがない。
日々、意識することなく何気なく過ごしてきたあたしにとって、自分ってなんだろう?
あたしはこれまでの人生について考えてみた。
伊予恵、17歳。
両親に弟が一人の四人家族。
家では両親も共働きで、お父さんはいつも帰りが遅い。
お母さんもスーパーのレジのパートをしてる。
家族がそろうのは土日と祝日ぐらい。
だから、あまり一緒に過ごしたって実感がない。
でも仲が悪いとか、コミュニケーション不足ってわけでもない。
なんとなくどっちかの両親がそばにいて、いつも気にかけてくれた。
お母さん曰く、あたしはよくできた子で、子供のころあまり泣いたことがなく、そのせいで世話が楽って言ってた。
でも、弟は違うよ。
いっつも泣いてて、甘えん坊で引っ込み思案で。
子供のころはあたしが弟の面倒見てた。
子供ってこんなに世話がかかるんだって、そのとき思った。
弟は言葉がうまくしゃべられないのか、何かウーウー言ってくる。
あたしは次第に弟の顔やしぐさから、何が言いたいのかわかるようになってきた。
勘が働くというか、何か感じるものがあるというか。
相手のして欲しいこと、思っていることがなんとなく読み取れるようになるんだよね。
今でも、あたし「感がいいね」って言われる。
あたしの数少ない特技だね。えへへ。
子供って大変だけど、楽しい。
手間がかかるけど、何かしてあげると喜んでくれる。
きっとあたしが手伝っているの、わかるんだろうね。
ニコニコして笑ってくれるんだ。
その笑顔が見たくて、あたしはずっと弟の世話をしてた。
だけど、いつの間にか弟はあたしの世話を断るようになって、
「姉ちゃん、うるさいんだよっ!」って口答えするようになった。
寂しいけど嬉しかったな。
ああ、あの姉ちゃん、姉ちゃんって言ってた弟が、こんなふうに一人でできるようになるなんて。
お姉ちゃんのほうが、早く弟離れしないといけないなって、そのとき思ったんだ。
あたしがネコを飼いだしたのは、そんな時だった。
家に迷い込んできた一匹のトラネコ。
雨の日にびしょんこになって軒下でニャーニャー泣いてたんだ。
体触ってみたら驚くほど冷たくて、プルプル震えてた。
急いでタオル持ってきて拭いて、でもまだふるえてたからお風呂にいっしょに入って温めてあげた。
ミルクをお皿に入れてあげたら、ペロペロペロペロずっと舐めて、何度もおかわりした。
その姿があたしに懐いてた頃の弟を思い出して、思わずしんみりしちゃったなあ。
あたしは無理言ってこのネコを飼うことに決めた。
反対する両親を説き伏せて、世話はみんなあたしがするって言って強引に納得させた。
あたしはこのトラネコに『ミンク』って名づけて、飼いはじめた。
ミンクはもともと野良だったらしく、人に懐かなかった。
あたしには手をなめてくれたり、喉を触らせてくれたけど、他の人には触ろうとしても決して体をふれさせなかった。
だから、あたし以外誰もミンクを相手にする人はいなかった。
両親も弟もミンクのことを気にしないようになり、ミンクも家には来てもあたしがいないとすぐに出て行った。
お皿に餌やミルクを入れたら、いつの間にかミンクが来て食べてる。
気がついたらいなくなっているし、ふと見たら庭に来てる。
その時は思いっきりさわる。
ゴロゴロ言って頭やのどをさわらしてくれる時もあれば、気に食わないのかすぐ逃げ出すこともある。
その時の気分でミンクはあたしに近づいたり、逆にこっちから触ろうとしたらいなくなることもあった。
でもその気まぐれさがミンクの良さで、あたしは自由に振る舞っているミンクが羨ましかった。
自分には決して真似ができない。
ミンクはまるで私のできないことを代りにやってくれているみたいだった。
そんなある日、あたしは部活で家を空けることになった。
バトミントン部の合宿で一週間合同訓練することが決まっていたから。
あたしが「行ってくるね」ってミンクに言うと、ミンクはあたしの指をなめた。
そしてさびしそうに「にぃー」と鳴いた。
一週間経ってあたしは家に戻ってきた。
ミンクの姿はなかった。
一週間ぐらい帰ってこないことはよくあったから、その時はまた気まぐれにうろついているんだろうなあって思ってた。
でも、それから二週間経っても三週間経ってもミンクは帰ってこなかった。
あたしはいろいろ探してみたけど、とうとうミンクを見つけることはできなかった。
そんなある日、あたしは見つけてしまった。
堤防の下のコンクリートの川沿いにある小さな水路。
その中に見たことのある赤い首輪を。
あたしはあわてて堤防を駆け下りた。
もう水のなくなっていた下水口の所に首輪があった。
間違いない。
首輪には『ミンク』ってあたしの字で書いてあったんだ。
じゃあ、ミンクはここで……。
あたしは声を上げて泣いた。
おかしいよね。
自分のことだってのに、思いつくのは弟のこととかミンクのことばかり。
肝心の自分のことが、一つも思い出せない。
結局、あたしが一番自分のことを知らないんだね。
これじゃ、自我なんて急に言われても、何も出てこないよ。
あたしはバトミントン部を辞めた。
ミンクのせいじゃないよ。
受験とあたし自身にもう才能がないことがわかって、これ以上しても無理だって分かったから。
高校は第一志望は落ちて、滑り止めの学校に入った。
だから、授業は簡単だったし、あたしにとっては同じことを繰り返しているようで興味が持てなかった。
今まで努力してきたことは何だったんかなって思ってた。
そんな時、都リーダーがやって来た。
「ちょっとプリントを書いてほしいの」って言って配ってきて。
あたしは適当に書いた。
たいしたことのない内容だったから。
なのに都リーダーはなぜかあたしの所だけに来た。
いっぱい生徒はいるのに、あたしの前だけに。
そして言ったの。
「あなたに興味があるの。放課後来てくれない」って。
あたしは都リーダーの説得に流されて、変な施設に入ることになった。
ここじゃ、食費も下宿代もタダ。
映画館もプールもビューティサロンも使いたい放題。
至れり尽くせりだった。
それ以上に良かったのは、ここでの生活が何の変わりもないつまらないあたしの毎日を変えてくれるって予感があったから。
ガイストってランクになったら、もっといい生活が送れてドームの中に入れるらしい。
あたしも成れたらいいかもなんて考えてた。
でも世の中そんなに甘くなかった。
あたしには才能がないなってわかった。
ガイスト審査を受けてみたけど、ただ寝ていただけで気がついたら目が覚めてた。
夢を見るテストらしいけど、あたしには何のことか訳が分からなかった。
そんなことが何度も続いて、あたしは自分がガイストなんて得体の知れないものになれる気がしなくなった。
だったらここでの生活を楽しんで、ダメだったら出て行こう。
そう思ってた。
でも、日向君は違った。
一度試験に落ちたとき、日向君はあたしみたいに諦めるものだと思い込んでいた。
でも「夢の中で見えているのに体が動かない。そんな中で和泉さんが一人で死に物狂いで戦っている。俺は何とかしてあげたいんだ」
って言って、その日から腰に剣をつけて歩くようになったの。
周りの人からバカにされたり、相手にされなくなっても日向君は気にしなかった。
「イヨカン、俺はこの審査に合格する。そのためだったらどんなことだってする」って言った。
あたしは思った。
あたしはできないんじゃない、やろうとする意思がなかっただけだったって。
武蔵君もすごかった。
遅れて入って来たのに、あっという間にあたしを追い越して行ってしまった。
きっと武蔵君には守りたい人、叶えたい望みがあるんだ。
だから、あれほど一生懸命で真剣でいられるんだなって。
そして、和泉さん。
四回も落ちてガイストになった。
あたしの目から見ても決して向いているとは思えないのに。
和泉さんも武蔵君みたいに守りたい人を助けるためになったんだと思う。
和泉さんははっきり言ってはくれないけど、そんな気がする。
結局、またあたしだけが置いてけぼり。
気がついたら、みんないなくなってた。
あたしはそのとき思った。
あの時、最期にミンクと会ったとき、あたしはミンクが何を言いたいのか、わかった気がした。
「行かないで」って思って鳴いたんだと思う。
自分が今まで慕ってきた人と別れることが、世の中で一番悲しいことだと思ったから。
あたしは考えを入れ替えた。
たとえ、受からなくても、全力を尽くさないと。
あたしは今までここまでやったことはないってくらい集中して勉強した。
そうでもしないとガイストにはなれないって思った。
久しぶりに会ったとき、もうあたしの居場所はなかった。
日向君も武蔵君も、和泉さんみたいに立派にガイストとしての任務を果たしていた。
このままだと、またあたし独りぼっちになるって思った。
だから、あたしは最後の試験を受けることに決めた。
夢の中で日向君や武蔵君、和泉さんが呼んでる。
でも、体が動かない。
声も出ない。
これが日向君が言っていたことだったんだ。
お願い、行かないで。
あたしを見捨てないで。
もう一人ぼっちはイヤ。
あたしは思わず叫んだ。
「にぃー」
◇◇◇
「ど、どういうことなの?」
「イヨカンが……消えた?」
俺たちの目の前でイヨカンの姿がかき消すようにいなくなった。
その代わりにそこにいたのは、一匹のトラネコだった。
「まさか、めぐみなのか?」
俺がそう聞くとトラネコは「にー」と鳴いて、指をなめた。




