第13話 病院にて
病院にて
ナースステーション前の長いすに座った。
さっきまでの緊張感が溶け、静寂が周りを包んでいた。
誰もいなければ、ここはこんなに静かなんだな。
俺がそんなことを考えながら、ぼんやりと平穏さを堪能していたときだった。
不意に俺に声がかけられた。
「武蔵君じゃないの?」
声をした方を見ると、和泉が目を丸くしてこっちを見ていた。
「和泉さん? なんでここに?」
「ちょ、ちょっと友達の様子を見にね」
ふだんクールで冷静な和泉にしては、思いがけない場所であったせいか声がいつもよりうわずっていた。
相変わらず髪は邪魔にならないようにくくってあった。
丸くて厚い黒縁眼鏡をかけている。
服も黒と茶色を基調とした単純なものだ。
特殊な隊員だからあまり現実世界では目立たないようにしているのか、それとももともとがこんな地味子なのか、ちょっと判断がつきかねない。
ただ、ほんのわずかだが目が現実のほうが細い。
眼鏡かけているせいで細く見えるのかも知れないけども。
あと、言っちゃったら本人は怒るのは間違いないが、胸は夢幻界のほうが大きく見えるんだが・・・。
しかし、着痩せという線もある。
実際の水着姿を見ないことには、断定は不可能だ。
だが、日向という前例がある以上、夢幻界詐称という線も否定は出来ない。
そんな俺の知られたら激怒されるであろう印象を知らずに、和泉はおどおどとたずねてきた。
「そう言う武蔵君は、どうしてここにいるの?」
「俺はボランティア。今日はここで手伝うように指示されてさ」
「そ、そうなの。すごいわね」
和泉はちょっと意外そうに俺を見た。
「まあ、そんなところで立ってないで座ったら」
俺の言葉に長いすの端っこのほうに控えめに座った。
右手を膝の上に置き、左手を右手の上にかぶせていた。
夢幻界での無双っぷりと実生活との差に、俺はすごい場違いな思いにとらわれた。
これが本当の和泉なのかよ?
まさか双子の妹ってことはないだろうな?
そんな口に出せないことを考えていると、和泉は俺の方を見ずにたずねてきた。
「いつもボランティアに出てるの?」
「たまにな。訓練施設でじっとしてるのが性に合わなくってさ」
「あら、奇遇ね。私もよ」
和泉もクスリと笑った。
いつもの訓練では見たことのない笑顔だった。
こいつ笑ったらこんなふうな顔もできるんだ、と思った。
もったいない。
普段からそんな顔見せていたら、だいぶ印象変わるだろうに。
「和泉さんも介護資格を持っているのか?」
「私はまだね。いずれは取りたいと思っていたんだけど、今は仕事の方が優先」
和泉は寂しそうに言った。
なぜか俺は悪いことを聞いた気がした。
「ああ、悪い。気を悪くしたなら謝る」
「気にしなくていいわ。単に私もボランティアしたいのにできないから、ちょっと残念だっただけ」
和泉は気を取り直したように、微笑んだ。
「あなたは人のために手伝えることができるわ。それはとってもすばらしいことだと思う。これからもがんばってね」
和泉って俺が思っていたより、お高くないんじゃないかな。本当はもっと気がいいのかもしれないな。
そんなことを考えていたときだった。和泉は急に席を立った。
「ちょっと、電話だから出るわ」
いつもの冷静な口調に戻ると、病院の外に出て行った。
しばらくして戻ると、俺に命令調で言った。
「施設から連絡。今日の1時に訓練室に集合。今行かないと間に合わない」
「チャリは?」
「そんなの後で取りに来たら。タクシー呼んで」
「おっと、その前に愛ちゃんを探して来なきゃ」
俺がそう言ったとたんに、和泉の動きが静止した。
ぎごちないロボットがこっちを見るかのように動き、俺を凝視した。
「愛ちゃんって言わなかった? さっき」
「ああ、愛ちゃんが来たいって言ったから連れてきた」
俺がそう言うと、和泉の顔が般若の顔になった。
「何てことをしてくれたのよ!」
「ど、ど、どうしたんだよ?」
あまりの和泉の変わりように、俺は腰を抜かしそうになった。
「あなた、何も知らないの?」
「だから、何がだよ?」
「愛ちゃんは病気なの! だから、絶対に一人にしたらいけないのに!」
「な、何の病気なんだ!?」
「『ナルコレプシー』よ。あなたも睡眠学の授業受けたんだったら知ってるでしょう!」
『ナルコレプシー』とは、簡単に言えば『眠り病』のことだ。
なんだ眠ってしまうだけか、俺なんか睡眠不足でもっと眠りたいと思っているのに、などと最初俺は考えていた。
しかし、授業を聞くととんでもないことだと分かった。
ナルコレプシーの患者は、どんな所でもいきなり眠ってしまう。
たとえそれが階段を上がっている途中でも、交差点の真ん中であっても。本人の意思とは関係なく、いきなり眠気に襲われ、熟睡してしまうのだ。
だから、必ず側に誰かが着いていないといけない。
俺は愛ちゃんを連れてチャリに乗っけているときに症状がでなくて、心底ホッとした。
もし、あの時に発症していたら愛ちゃんは自転車から振り落とされていただろう。
幸いにもベンチに座っていたときに、発作が起きたから一大事にならなかっただけなのだ。
今思うと、とんでもないことをしていたのだと足が震えた。
どうりで愛ちゃんをうかつに施設から出せないわけだ。
俺の青ざめた表情を見て取った和泉は、何をしていたか感づいただろうが、とりあえずそれ以上は聞かなかった。
「すぐに愛ちゃんを見つけないと!」
「わかった!」
俺たちは手分けして愛ちゃんを探した。
ナースステーションにも呼びかけて事情を説明した。
すぐさま、手の開いている看護士さんたちも手伝ってくれた。
それでも愛ちゃんの姿は見つからなかった。
10分ほど経って、戻ってきた和泉は俺に聞いた。
「いたの?」
「いや、まだだ」
「一階から四階まではくまなく見て回ったけど、いなかったわ」
「上の病棟かな。俺も一応は見たんだけどな」
「あっ! そう言えば幼児病棟がまだだったわ」
「あそこは感染防止のため、入室許可がいるんだけど」
俺がそう言うと、和泉は俺をにらんだ。
「看護士さんに頼んだらいいじゃないの。こんな事態なんだから」
俺はナースステーションに連絡して、幼児病棟での確認を依頼した。
しばらくして看護婦さんが駆け寄ってきた。
「おられましたよ」
「無事なの?」
和泉が真剣な表情でたずねた。
「はい、テーブルで眠っているそうです」
「よかった」
和泉がふぅーと大きな息をもらした。
俺も大事になってなくて、ほっとした。
「誰か一人に入ってきてほしいそうです」
「あ、俺が行きます。一応介護士の資格もありますし」
「なら、許可を得てから、お願いします」
ナースステーションで、外来者入室許可証の用紙に記述した。
乳幼児は風邪やインフルエンザなどの感冒にかかりやすく、ここにいるということは体力も弱っていることが多いので、当然の処置だ。
いくつかの設定項目に疾病なしのチェックをみんな入れて、俺はようやく入室許可をもらった。
スライドドアのスイッチを押し、区画に入った。
看護婦さんが俺を見つけて、手を振った。
俺が案内されたのは、リラクゼーションルームのコーナーだった。
子供用のおもちゃやクッションで囲まれたスペースに小さなテーブルがあった。
そこで絵本を枕に愛ちゃんが口からよだれを垂らしながら眠っていた。
「お姉ちゃん、絵本を読んでくれるって言ったのに、読み出したらすぐに寝ちゃったんだよ」
そばにいた子供が不満そうに声をあげた。
「お姉ちゃんはね、お仕事が大変なんだ。みんなを守る大切な仕事をしてて疲れているんだよ。だから、寝かしてあげよう」
俺がそう言うと、子供はうんとうなずいた。
「お姉ちゃん、これからもがんばってね」
子供はそう言うと、部屋に戻っていった。
俺は愛ちゃんを背負った。
愛ちゃんはううんとつぶやき、そのまま眠り続けた。
「お休み、愛ちゃん」
俺はそう呼びかけると幼児病棟を後にした。




