第12話 愛ちゃんとの休日
愛ちゃんとの休日
しばらく自転車を走らせた。
坂道なので結構スピードは出る。
しかも、ここは山のてっぺんに近く周りにはこの研究施設以外何もないから、車も全く来ない。
まれに来る対向車は、曲がりくねった道路を上から先に見られるので、十分注意していた。
だから、バイク並に風を切って走ることができる。
俺はこの瞬間が好きで、しょっちゅう坂道を下っていた。
愛ちゃんもスピードマニアの気があるようで、俺並にきゃーきゃー言って楽しんでいるようだ。
「すごいよ。愛こんなの初めて」
「そうなんだ。あまり外に出たことないの?」
「うん、危ないからって」
まあ、いろいろあったのだろう。
俺は少し愛ちゃんの境遇に同情した。
「せっかくだから、いいところ案内しようか?」
「えっ? う、うん」
愛ちゃんは戸惑いながらも同意した。
俺は少しコースを変え、丘のほうへと向かった。
隣の峰の峠の展望台へと進む道へ入った。
こっちは時折車が来るから、ちょっとスピードを落とした。
注意しながら自転車を運転した。
十数分走ると、前に円形の屋根の付いた見晴らし台が見えてきた。
「あっ、あんなところに何かある!」
愛ちゃんが声をあげて指さした。
「このあたりが一望できるんだ」
「見たい! 見たい!」
愛ちゃんは嬉しそうに後ろで騒いでいる。
俺は少しスピードを落とし、ゆっくりと近づいた。
時間が早いせいか、まだ誰もいない。
俺は駐輪場に自転車を止めた。
愛ちゃんは待ちきれずに先に見晴らし台に走って行ってしまった。
「先に行くねぇ~」
愛ちゃんはそう言い残すと、見晴らし台へと一目散に向かっていた。
「やれやれ、子供だよなあ」
俺はそう思いながら、自転車に鍵をかけた。
素直で無邪気でいい子だな、と思いながら。
俺が見晴らし台に着くと、愛ちゃんは手を額におき日光を遮りながら、周りを見回していた。
「すごい景色・・・・・・」
愛ちゃんは高台からの光景に見入っていた。
周囲は青と白のコントラストが美しい山々が覆い、眼下には道路が白い蛇がのたうっているように、緑の高原を切り裂いていた。
道は下の町まで続いている。
町はそこそこ大きいのだが、距離があるのでミニチュアみたいに見えた。
その先は海が空を延長して青く輝いていた。
「見て、船が!」
指さした先には、大型のタンカーがゆっくりと動いているのが見えた。
「帆船はいるのかなあ?」
「さすがにもうないよ。あれは昔の船だから」
「そうなんだ・・・」
愛ちゃんは少し寂しそうに言った。
「愛、こんな景色見るの、初めて」
そう言うと、愛ちゃんは俺のほうを向いた。
「ありがとう。連れてきてくれて」
「別に礼を言われるほどのことはしてないけど」
「ううん。愛はほとんど外に出てないから、あんまり景色見ることなかったんだ。お外ってこんなに綺麗だったんだね」
「・・・・・・・」
俺は何か妙な違和感を覚えた。
愛ちゃんが外へ出ないことは分かる。
マスコミや機密に関わるからという理由もあるだろう。
でも、それを差し引いても愛ちゃんのこの言葉は、まるで愛ちゃん自身が外へ出てはいけないと規制されているように聞こえたのだ。
「ねえ、愛ちゃん。本当に外に出ても大丈夫なのか?」
俺は不安になって、愛ちゃんにたずねた。
「・・・・・・・」
愛ちゃんは黙りこくっていた。
「愛ちゃん?」
俺はあわてて愛ちゃんのそばに近づいた。
愛ちゃんは見張り台のベンチに座っていた。
目が閉じられていて、首がうなだれ肩が落ちていた。
「愛ちゃん、大丈夫か?」
愛ちゃんの前に立ち、様子をうかがった。
全く反応がなかった。
さっきまで元気一杯だったのが、嘘のように動きが止まっていたのだ。
「愛ちゃん、どうしたんだ?」
俺は心配でたまらなくなった。
何かあったのだろうか。
まさか、心臓麻痺とか起こしたのか。
それとも出したらダメだったとか。
俺はスマホで愛ちゃんの異常を知らせようとして、ポケットから取り出したときだった。
「・・・ずずず・・・」
変な声が聞こえてきた。
愛ちゃんの顔に耳を近づけた。
「zzzzzzz・・・」
間違いない。
愛ちゃんは寝ているようだ。
俺は安堵のため息をついた。
「心配させるなよ。何かあったんじゃないかと思ったじゃないか」
俺は額の汗を手で拭った。そのまま、スマホを見たが、思わず固まってしまった。
「やべっ、もうあまり時間がないじゃないか」
どうしようか。
眠っている愛ちゃんを叩き起こすか。
でも、せっかく眠っているのに気の毒だ。
しかし、今からキャンセルのメールを送るのも失礼に当たるし。
俺がそう思ったときだった。
タクシーがこっちに向かって走ってきた。
展望台の前で止まると、外国人の観光客が降りてきた。
あまり聞いたことのない言葉で互いに何か言い合いながら、こっちに向かって歩いてきた。
「もう使わないみたいだし。ちょっと聞いてみよう」
俺はタクシーまで駆け足で近づき、運転手のいる窓ガラスを軽くたたいた。運転手が怪訝そうにこっちを見た。
「乗れますか?」
「お客さんかい。もちろんだ。ちょうど降りたところだったから、こっちにしてもラッキーだよ」
運転手の態度が急に変わり、ビジネスライクな笑みを浮かべた。
ちょっと待つように頼み、俺は愛ちゃんのもとへ戻った。
さっきと変わらないまま、よく眠っている。
俺は愛ちゃんを起こすのを諦めて、背中に愛ちゃんをおぶった。
ぴったり俺の背中にもたれ掛かっている愛ちゃんを、そのまま連れてきてタクシーの後部座席に寄りかからせた。
俺は前の座席に座り、ボランティアの場所が書かれてあるメールを見せた。
タクシーの運転手は納得した表情で、車を走らせ始めた。
町中は臨時病院の看板が目に付いた。
おそらくはコンビニの数より多いだろう。
ナイトメアハザードの後、多くの者が昏睡状態に陥った。
その被害者の数は病院の収容人数の処理範囲を大きく超えていた。
ナイトメアハザード直後は、あまりの多さに病院が被害者の受け入れを拒み、暴動騒ぎにまでなった。
この事態に各家庭の空き部屋を解放して、被害者を無償で世話するというスリープセーフ運動が起こった。
関東のみならず日本中から受け入れボランティアが名乗りをあげた。
このことは海外にも紹介され、かつての震災以来の日本人の美点として、大いに褒め讃えられたものだった。
しかし、ボランティアだけでは百万人以上の昏睡者をさばき切れなかった。
かくして、簡易医療施設が関東のあちこちに作られ、ここで数人の昏睡者を収容し、介護するような体勢が整えられていったのだった。
このような施設では医者はおらず、一人か二人の看護士が患者の面倒を見ている。
幸いなことに眠っているだけで、容態は急変することはまずないので少ない人数でも対処できた。
それでも負担は相当なものだった。
その惨状を見かねて多くの人が介護の資格を取り、自発的に赤の他人の面倒まで見るようになっていた。
俺もその一人だ。
今日は高浜医療病院での手伝いだった。
タクシーが病院前で止まった。俺は料金を払い、施設宛で領収書を切ってもらった。
まだ眠っている愛ちゃんを起こした。
目をこすりながら、「にゃに~?」とか言っている。
俺は受付でボランティアの申し込みをした。
後ろからポテポテついてきた愛ちゃんは、まだ寝ぼけた顔で俺の真後ろに立っていた。
しばらくして若い看護婦がやってきた。
会釈をしながら申し訳なさそうに言う。
「今日も来ていただいてありがとうございます」
俺は少し照れながら、状況をたずねた。
「三番の佐藤様がおしめ交換の時間です。あと、六番の近藤様は床ずれ防止のために体を動かすのを手伝って下さい」
床ずれというのは長いこと寝ていると、背中と床に当たる部分が傷つき炎症を起こすことだ。
睡眠中に人は無意識に体を動かすことで、これを防いでいるが、昏睡者には外部の人が体を動かさないといけない。
一日のうちに数回は体の向きを変える必要があった。
「愛ちゃん、悪いけど病院内で少し待っていてくれないかな」
「うん」
愛ちゃんはそう言うと、長ベンチに座って軽く手を振った。
俺も手を振って答えると、看護婦に連れられてエレベーターに乗った。
まずは三番の病室に案内された。
ベッドに俺と同じぐらいの年の少年が寝ていた。
おとなしそうな感じの華奢な身体の少年だった。
ちょっと女性みたいなあどけない顔だ。
頭には脳波を測るための計測機械が取り付けられている。
肘にはプラスティックチューブがしっかりと固定され、その上に包帯が巻かれている。
チューブの先には三分の一ほどになった黄色い溶液の入った点滴パックが備え付けられ、一定の間隔で滴が下に落ちていた。
上半身は裸で無数の電極コードが皮膚に直に張り付けられている。
その下はおむつ姿だ。
もし、意識があるなら同じぐらいの年の男の奴に自分の秘部を見られていることを知って、情けなさのあまり自殺したくなるだろう。
気持ちは分かるが、この際どうこう言ってられないだろ。
知らぬが仏だからな。
俺はそう思いながら、佐藤君のおしめを代えた。
ちょっと見えて、俺は少し優越感を覚えた。
悪いな、でも俺もお前と同じくおしめしているんだぜ。
恥ずかしいって言うんなら、俺の方がもっと恥かいてんだから。
それで無しにしてくれ。
そう心の中で思いながら。
「佐藤さんの方は終わりました」
俺がナースステーションに顔を出すと、看護婦は顔をほころばせた。
「ちょうどいいところに来てくれたわ。これから近藤様の手伝いをお願いしたいんだけど」
「ああ、床ずれの人ですね。分かりました」
看護婦と連れだって、六番部屋の病室に行く。
病室のネームプレートには『近藤昌美』との名前がかかっていた。
ドアを開けると、先ほどの病室と同じような作りで、同じような設備に取り囲まれた昏睡者の姿が見えた。
ただ違うのは、今度は女性ということだ。
しかも、年齢のほどは和泉とそう変わらないだろう。
「年頃の女性だから、作業は私が行います。あなたは足の方をお願いします」
まあ、当然の配慮だろう。
ベッドに近づくと、いやがおうにも姿が目に入ってくる。
そばかすのある少女だ。そこそこかわいらしい顔をしている。
クラスにいたら俺でも気になるレベルだ。
しかし、顔色は青白く、血管の浮き出た皮膚は不気味なほど白かった。
寝ている姿は蝋人形の少女のイメージしか浮かばなかった。
「私が前を持ちますから、後ろ足をお願いします」
俺は少女の足を持った。
できるだけ、前の方を見ないようにしながら注意深く両足を動かす。
あまり力を入れると脚が折れてしまいそうな感覚にとらわれた。
看護婦は近藤さんの体を横向きに傾ける。
すらりと伸びた脚や足の裏がこちら側に向いた。
こんな状態なのに、ドキッとしてしまう。
「もういいですよ。ありがとうございました。後は私がします」
看護婦の言葉に一抹の寂しさと安堵を感じつつ、俺は病室を後にした。




