消すものと消さないもの
男は口を閉ざしたまま、何も答えない。
レインも急かさず、男の腕を押さえたまま待つ。逃げようと動けばすぐ分かる程度に、しっかりと手を添えている。
「…………」
「…………」
倉庫の静けさだけが続く。
男の額にじわりと汗が浮かぶ。沈黙に耐えきれなくなったように、先に口を開く。
「……何が知りたい」
「この資料のこと」
レインが棚へ目を向ける。
「全部ここにあるのか?」
「…………」
男は答えない。
「黙るなら、それでもいいけど」
レインの手に、少しだけ力が入る。
「ぐっ……!」
男の腕が強張る。
「俺、自分で探すから」
「分かった!」
男が反射的に声を上げ、すぐに周囲を気にして声量を落とす。
「分かったから……!」
レインが手の力を緩める。
「じゃあ教えて」
男は押さえられていた腕を気にしながら、小さく息を吐く。
「……ここにあるのは、南区を中心にした分だ」
「中心?」
「ああ」
男が棚を見る。
「全部じゃない」
レインの表情はほとんど変わらない。ただ、その答えを予想していたようにすぐ次を尋ねる。
「他は?」
「北区、西区……地区ごとに分けてる」
「場所は?」
「知らない」
「本当に?」
「本当だ!」
男が焦ってレインを見る。
「俺はここの担当しか知らない!」
レインはしばらく男の顔を見つめる。
男は視線を逸らさず、必死な表情のまま。
レインはそれ以上追及せず、棚へ手を伸ばす。
「じゃあ、ここの資料は」
一枚の紙を抜く。
紙の擦れる小さな音。
サッ……
「これだけ?」
「…………」
男の視線が一瞬だけ別の場所へ逃げる。
ほんのわずかな反応。
レインの目が、その動きを追う。
「写しがあるな」
「……ない」
「今、目逸らしただろ」
「…………」
「分かりやすいな」
「うるさい……」
男が苦々しく吐き捨てる。
レインは抜いた紙を棚へ戻す。
「どこ?」
「…………」
「ここで時間かけると、仲間が来るぞ」
「脅してるのか?」
「忠告」
「同じだろ!」
レインは軽く肩をすくめる。
「俺としては」
倉庫の奥へ目を向ける。
「お前が喋ってくれた方が静かに済む」
男が唇を噛む。
しばらく黙ったあと、諦めたように肩から力を抜く。
「……記録石だ」
「どこに?」
「奥の部屋」
「何が入ってる?」
「帳簿と……」
男が言葉を切る。
「弱みの記録」
レインの目がわずかに細くなる。
「全部?」
「ここの分はな」
「なるほど」
レインは棚に並ぶ紙を見てから、奥の部屋へ視線を移す。
紙と魔法具。
片方を失っても記録そのものは残る仕組みだと察し、わずかに眉を寄せる。
「随分慎重だな」
男が苦い顔をする。
「旦那は、情報が一番大事だって言ってる」
「ガルドが?」
「ああ」
「金より?」
「金なんて」
男が鼻で笑う。
「情報があれば、いくらでも作れるってさ」
レインは答えず、棚に並ぶ資料へ目を走らせる。
人の名前、借金、土地、取引記録。
人間を縛るための情報が、所狭しと並んでいる。
レインの表情からわずかに温度が消える。
「他にもあるだろ」
「何が」
「保険」
男の身体がぴたりと固まる。
「紙と記録石だけじゃない」
「…………」
「ガルドみたいな奴が」
レインが男との距離を一歩詰める。
「倉庫を一つ潰されたくらいで、全部失うようにしてるとは思えない」
「……知らない」
「またそれ?」
「本当に知らない!」
男の声が思わず大きくなる。
レインはすぐ、口元に人差し指を立てる。
「静かに」
「…………」
男が口を閉ざす。
「じゃあ」
レインが少し考え、
「聞いたことは?」
「何を」
「商会が潰れたらどうするとか」
男の表情が、ごくわずかに強張る。
レインはその変化を見逃さない。
「あるな」
「……噂だ」
「聞こうか」
男は迷い、周囲を気にする。
やがて、さらに声を落とす。
「……《暴露庫》」
「何それ」
「俺も詳しく知らない。旦那が持ってる魔法具だ」
「魔法具?」
「ああ」
「何をする」
男の喉が動く。
「……秘密をばら撒く」
レインの表情が止まる。
「どういう意味?」
「そのままだよ」
男は周囲を警戒しながら、囁くように続ける。
「もし旦那が捕まったり、商会が潰されたり……一定期間、連絡がなかったりしたら」
男が一度、唾を飲み込む。
ゴクリ……
「記録してある情報が、勝手に外へ送られる」
「どこへ?」
「知らない」
「王都中?」
「……たぶん」
レインの目がゆっくり細くなる。
「噂じゃ……新聞屋、役所、ギルド、貴族、教会、関係者の家……」
男が指を折りながら数える。
「そういう場所に、一斉に」
レインは黙ったまま動かない。
棚に並ぶ大量の資料へ、もう一度目を向ける。
その中にある名前や記録を追ううち、ミーナのことを思い出したように目が止まる。
ガルド本人を捕らえても駄目。
商会を潰しても駄目。
何かあれば、握られている秘密そのものが外へ流れる。
レインの拳がわずかに握られる。
資料には借金だけでなく、過去の罪や家族関係、知られれば人生そのものを壊しかねない記録まで混じっている。
「……最悪だな」
低い呟き。
男が乾いた苦笑を浮かべる。
「だから誰も逆らわない」
「…………」
「旦那に何かあったら、自分の秘密まで出る。だったら、何も見なかったことにする。証言もしない」
「土地を取られても?」
「生きていけるならな」
レインの表情がさらに冷える。
「それで、旦那はずっとやってきた」
男が言う。
「誰にも止められなかった」
「そう」
レインは短く返し、男の腕から手を離す。
「……え?」
突然解放され、男が戸惑う。
「もういい」
「いいのか?」
「ああ」
レインは奥の扉を見る。
「必要なことは聞けた」
「…………」
男が様子をうかがいながら一歩下がる。
さらに一歩。
逃げられると判断し、身体の向きを変えかける。
「ただ」
レインの声に、男の足が止まる。
「一つだけ」
「な、何だ」
「ミーナ・リード」
その名前を聞いた瞬間、男の表情から迷いが消え、緊張が戻る。
「今後」
レインは静かに男を見る。
「本人にも、父親にも、近づくな」
男が唾を飲む。
「それは俺が決めることじゃ――」
「じゃあ」
レインが遮る。
「決める奴に伝えて」
「…………」
「次に手を出したら」
短い沈黙。
「俺が止める」
声を荒らげることもなく、レインはただ男を見ている。
男は返す言葉を失い、やがて小さく頷く。
「分かった?」
「……分かった」
「よし」
レインが男の肩を軽く叩く。
ポン。
「じゃあ寝てて」
「は?」
男が目を丸くした直後
ガクッ。
身体から力が抜ける。
レインが倒れる男を受け止める。
「悪い」
意識を失った男を、音を立てないよう床へ寝かせる。
「話したって知られたら、お前も困るだろ」
そのまま男の身体を木箱の陰まで移動させる。
襲撃者に不意を突かれて気絶しただけに見えるよう、男の身体と周囲を軽く整える。
「さて」
レインが奥の扉を見る。
「記録石」
少し間を置く。
「……それに、《暴露庫》か」
場所すら分からない新たな問題に、レインが小さく息を吐く。
「面倒なのが増えたな」
それでも迷わず、奥へ進む。
奥の部屋へ続く扉。
レインが先ほど手に入れた鍵束を取り出す。
ジャラ……
一つ目の鍵を差す。
ガチャ。
開かない。
二つ目。
ガチャ。
これも違う。
三つ目。
カチリ。
レインの手が止まる。
「当たり」
扉を開ける。
中は狭く、棚と机が置かれている。
壁際には十数個の記録石。
一つ一つに札が下がっている。
『南区・第一』
『南区・第二』
『債務者』
『商人』
『冒険者』
『役人』
『教会関係者』
「…………」
レインが順に札を確認していく。
想像していたよりも数が多い。
棚の下に、一枚の紙が置かれている。
レインが拾い上げる。
『使用時注意』
さらに下へ目を走らせる。
『記録石の破損、紛失時は本庫へ報告』
レインの指が止まる。
「本庫……」
もう一度、部屋に並ぶ記録石を見る。
ここも末端の保管場所にすぎない。
さらに紙を読む。
小さな文字で、
『暴露庫との同期は毎月一日』
レインの指が、その一文の上でぴたりと止まる。
「同期……」
記録石を見る。
次に日付を確認する。
月末近く。
レインの顔から余裕が消える。
ここで集められた情報は、一定の周期で《暴露庫》へ送られている。
まだ同期されていない記録なら、間に合う可能性がある。
ミーナ。
孤児院。
そして、自分自身。
それらに関する新しい情報まで送られる可能性がある。
レインはしばらく紙を見つめたあと、小さく笑う。
「なるほど」
笑っているが、目は笑っていない。
「期限まであるのか」
その時――
倉庫の表側から声が響く。
「おい!」
レインが顔を上げる。
バタバタバタ……!
複数の足音。
「裏の奴がいないぞ!」
「探せ!」
レインの表情が引き締まる。
気づかれた。
並んでいる記録石へ手を伸ばしかけ――止める。
一瞬だけ考え、首を振る。
「まだだ」
ここで記録そのものを消せば、敵に異常を察知される。
それに、この資料はガルドたちを追及するための証拠にもなる。
「証拠は残す」
レインが小さく呟く。
その目が、一つの記録へ止まる。
『ミーナ・リード』
「でも」
記録石へ指先を触れる。
「これは別」
指先から、ごく淡い反応。
記録石の中にある文字と情報を確かめる。
対象を一人だけに絞る。
ミーナ・リード。
その名前。
父親の過去。
住所。
関係者。
レインとの接点。
それらに該当する記録だけを狙う。
「《イレイサー》」
小さく唱える。
フッ……
記録石の光が一度だけ淡く揺らぎ、すぐ元に戻る。
レインが確認する。
『ミーナ・リード』
反応なし。
もう一度確かめる。
やはり、何も出ない。
「よし」
続いて紙の資料。
ミーナに関係する文字だけが、音もなく白く抜け落ちていく。
スゥ……
他の名前や記録は、そのまま残る。
レインが指を離す。
「今夜は」
扉の向こうへ目を向ける。
ドタドタドタ……!
足音が近づいてくる。
「これくらいにしとくか」
部屋を確認する。
逃げ道になる窓はない。
出入口は一つだけ。
「……面倒だな」
「ここだ!」
バンッ!
扉が勢いよく開く。
男が三人、部屋へ入ってくる。
「いたぞ!」
レインは三人を見て、小さくため息をつく。
「静かに帰りたかったんだけどな」
一人が剣を抜く。
シャキン!
「捕まえろ!」
三人が動いた瞬間――
シュッ!
レインがその場から姿を消す。
「え?」
最初の男が目を見開く。
次の瞬間、レインの手が男の手首をつかんでいる。
グイッ!
「っ!?」
カランッ!
剣が床へ落ちる。
二人目が勢いよく踏み込む。
レインはその動きを受け流し、勢いを殺さないまま身体の向きを変えさせる。
ドンッ!
男が壁へぶつかり、そのまま崩れる。
「なっ・・・」
三人目が慌てて振り向く。
すでにレインがすぐ後ろにいる。
「悪いな」
ゴンッ!
一撃。
男の身体から力が抜け、床へ崩れ落ちる。
ドサッ。
「…………」
静けさが戻る。
レインは床に倒れた三人を見下ろす。
「今日は本当に」
小さく呟き、
「調子いいな」
何事もなかったようにその場を離れ、倉庫のさらに奥へ進んでいく。
足音だけが小さく遠ざかる。
コツ、コツ……
やがて、その音も倉庫の静けさに消える。




