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消えた記憶

翌朝、ガルド商会、地下倉庫。


商品や資料の詰まった棚が並ぶ薄暗い倉庫内。昨夜の侵入の痕跡を調べる男たちが慌ただしく行き来している。


棚の前に立つガルド。片手には一枚の書類。険しい顔で紙面を見下ろしている。


「……どういうことだ?」


低い声。

周囲の男たちの動きが止まり、倉庫内がしんと静まる。


昨夜、何者かが商会へ侵入。見張りは倒され、奥の保管室にまで入り込まれていた。


にもかかわらず、見渡す限り盗まれたものはない。


「帳簿は?」


報告役の男が緊張した面持ちで答える。


「あります」


「記録石は?」


「全部残っています」


「壊されたものは?」


「ありません」


男の声がわずかに震える。


ガルドの眉間の皺が深くなる。


「なら――」


手にしていた紙を持ち上げる。


「これは何だ」


書類の文章、その途中だけが不自然に白く抜けている。前後には文字があるのに、本来誰かの名前が記されていたはずの箇所だけが真っ白になっている。


「……分かりません」


「分からない?」


「昨夜までは、確かに……」


男が言葉を濁す。


ガルドが書類を机へ叩きつける。


バンッ!


「何が書いてあった」


「受付嬢です」


「名前は?」


「ミーナ……」


男の言葉が止まる。


眉を寄せ、必死に記憶をたどる。


「ミーナ……」


「何だ」


しばらく詰まったあと、ようやく思い出す。


「……リード」


男が息をつく。


「ミーナ・リードです」


ガルドが目を細める。


「それだけか?」


「はい」


「他は?」


男は書類を確認し、顔色を変える。


「父親の件も……住所も……」


さらに確認し、息を呑む。


「冒険者レインとの関係も……全部ありません」


「紙だけ?」


「いえ」


別の男が記録石を両手で持ってくる。


「こちらもです」


記録石を机に置き、魔力を流す。


フワッ……


淡い光が浮かび、記録一覧が次々と表示される。


名前。職業。住所。借金。過去の記録。


情報が流れていく。


だが、どこまで探しても『ミーナ・リード』の名だけが見つからない。


「…………」


ガルドは無言で記録を見つめる。


「消去履歴は?」


「ありません」


「上書きは?」


「それもありません」


「故障か?」


「他の記録は正常です」


ガルドの指が机を軽く叩く。


トン……トン……


「なら、なぜ一人だけ消える」


誰も答えられない。


男たちは互いの顔を見るだけ。


ガルドは記録石へ視線を戻す。


昨夜の侵入者は見張りを倒し、奥まで入り込んだ。


それだけの腕を持ちながら、何も盗まず、何も壊さなかった。


残ったのは、特定の一人についてだけ綺麗に抜け落ちた情報。


ガルドの指が止まる。


「……レイン」


小さくその名を口にする。


男たちが一斉にガルドを見る。


「旦那?」


「昨夜の侵入者」


「まさか」


「他に誰がいる」


ガルドが椅子から立ち、机のそばをゆっくり歩く。


「受付嬢へ接触した直後だ」


一歩。


「その夜に侵入」


もう一歩。


机に置かれた白紙部分のある書類を見る。


「そして、その女の情報だけ消える」


一つずつ事実を確認するように言葉を置いていく。


「偶然だと思うか?」


男たちは黙り込む。


「……何かの魔法でしょうか」


一人が恐る恐る口を開く。


記録改竄きろくかいざん?」


「そんな魔法、あるのか?」


「聞いたことは……」


「俺もない」


ガルドが即答する。


再び記録石を見る。


さっきまでの苛立ちとは違い、その目にはわずかな警戒が混じっている。


「調べろ」


「何を?」


「レインだ」


「ですが、昨日も――」


「足りない」


ガルドの声がさらに低くなる。


「冒険者になる前。王都へ来る前。生まれ、家族、知人、昔の仲間」


男をまっすぐ見る。


「全部だ」


「……分かりました」


男が頷く。


「それと」


立ち去ろうとした男たちが止まる。


ガルドは記録石をじっと見つめたまま、低い声で言った。


「直接触るな」


「……はい?」


「昨日までの記録石とは様子が違う」


ガルドの表情が険しくなる。


「触ったら何が起きるか分からん。念のため、手を出すな」





同じ頃、王城、会議室。


大きな机の上に、南区の地図、聞き取り記録、借入契約の写しなど大量の資料が広げられている。


その中には、昨夜リシェルが持ち帰った記録石も置かれている。


南区担当の役人が資料を手に、リシェルへ報告している。


「確認が取れました」


リシェルが顔を上げる。


「どこまでです?」


「昨日挙げていただいた五件のうち、三件」


役人が紙を差し出す。


「返済済みだった可能性が高いです」


リシェルがすぐに受け取る。


「証拠は?」


「教会側の支援記録、それと、一件は銀行の出金記録が残っていました」


リシェルの表情がわずかに明るくなる。


「では」


「はい」


役人が頷く。


「商会側の帳簿と食い違っています」


リシェルが資料を見つめる。


「……やはり」


少し離れた場所にはクロエ。腕を下ろして静かに控えている。


「ただし」


役人の声が重くなる。


リシェルが顔を上げる。


「証言が取れません」


「なぜです?」


「本人たちが拒否しています」


リシェルの眉が寄る。


「理由は、分かりません」


役人が首を振る。


「話を聞こうとすると、急に――」


資料へ目を落とし、証言内容を読み上げる。


「『何もなかった』」


「『勘違いだった』」


「『もう関わりたくない』」


リシェルの表情が険しくなる。


「三人とも?」


「はい」


リシェルは黙って机上の資料を見る。


街で聞いた「あそこの商会に逆らうな」という言葉。


そしてレインが口にした「弱み」という言葉が頭をよぎり、指先が資料の端をぎゅっと押さえる。


「脅されている……?」


役人が顔を上げる。


「可能性はあります」


「ですが、証拠は」


「ありません」


リシェルが先に答える。


役人が申し訳なさそうに頷く。


正規の手続きを踏もうとするたび、証拠がないという壁に行き当たる。


リシェルが小さく息を吐く。


「……クロエ」


「はい」


「昨日の件」


クロエの目がほんの少し細くなる。


「どの件でしょう」


リシェルがむっとする。


「分かっているでしょう」


「たくさんありましたので」


「そんなにありました?」


「ご自覚がないのですね」


「今はいいでしょう!」


役人が二人を交互に見て戸惑う。


リシェルが気まずそうに咳払い。


「……昨夜、ある場所で」


役人の顔に疑問が浮かぶ。


「ある場所?」


「ある場所です」


クロエが淡々と口を挟む。


「ガルド商会です」


「クロエ!」


「曖昧にしても仕方ありません」


「それはそうですけれど!」


役人の表情が固まる。


「……商会へ?」


「確認です」


「夜中に?」


「確認です」


「無断で?」


「…………」


リシェルがすっと視線を逸らす。


クロエは表情を変えない。


「侵入です」


「クロエ!」


「事実です」


「言い方というものがあるでしょう!」


役人が額を押さえる。


「殿下……」


「反省はしています!」


クロエがすぐ横から返す。


「している方の声ではありません」


リシェルが口を閉じる。


「…………」


少しの沈黙。


「ですが」


クロエが何事もなかったように話を戻す。


「そこで、ガルド商会が土地以外の資料も移動していたことは確認しています」


リシェルも表情を戻して頷く。


「はい。帳簿だけではありませんでした」


机の資料を指で示しながら思い出していく。


「巻物。封書。金属箱。それと――」


少し考える。


「人に関する情報が含まれていた可能性もあります」


役人が眉をひそめる。


「個人情報?」


「おそらく」


リシェルが地図へ目を落とす。


「ガルド商会が、人の秘密を利用していると仮定すれば……証言者が突然口を閉ざすことにも説明がつきます」


「……脅迫」


役人が呟く。


「はい」


役人はなおも難しい顔。


「ですが――」


「証拠がない」


リシェルが今度も先に言う。


「……はい」


しん……。


重い沈黙が落ちる。


その中で、クロエが静かに口を開く。


「一人」


「?」


リシェルが見る。


「事情を知っているかもしれない人間がいます」


「誰です?」


クロエはわずかに間を置く。


「レインです」


リシェルの表情が変わる。


「……あの人が?」


「昨日、商会から別れたあと、彼を少し追いました」


リシェルの目が細くなる。


「少し?」


「必要な範囲です」


「それは尾行では?」


「護衛です」


「わたくしではなくレインを追っていましたよね?」


「必要な範囲です」


リシェルが身を乗り出す。


「それは単なる言葉の綾ではないですか?」


役人がまた額を押さえる。


クロエはまったく気にせず続ける。


「彼はガルド商会について、まだ何か探るつもりでした」


リシェルもすぐ真面目な顔へ戻る。


昨夜、別れ際にレインが口にした「まだ気になることがある」「土地の資料以外も動かしてた」という言葉を思い返す。


「見つけている可能性があります」


クロエが続ける。


「彼なら」


一拍置く。


「普通の冒険者ではありませんから」


リシェルがぱっと反応する。


「そうなのです!」


「え?」


役人が驚く。


リシェルが勢いよく机へ手をつく。


「三人を一瞬で倒したのです!」


「殿下?」


「それだけではありません! 廊下でも、地下でも、わたくしが通れる道を作って、すぐに追いついて、屋根の上まで――」


クロエが無言でリシェルを見る。


じーーー。


リシェルの口が止まる。


「…………」


「ずいぶん詳しいですね」


「一緒にいましたから!」


「商会の中で?」


「…………」


「殿下」


リシェルが強引に話を戻す。


「今はそれより! 問題はレインです!」


役人は完全についていけない顔。


「その方は……冒険者ですよね?」


クロエが答える。


「本人はそう言っています」


役人がリシェルを見る。


「普通の?」


「本人はそう言っています」


「……?」


役人の眉間にさらに皺が増える。




昼前、冒険者ギルド。


依頼掲示板の前にレインが立っている。


依頼書を眺めてはいるが、目はほとんど文字を追っていない。


昨夜見つけたものを頭の中で整理するように、ぼんやりした顔。


弱みの記録。記録石。地区ごとの保管場所。本庫。そして《暴露庫》。


レインが小さく息を吐く。


「面倒だな」


「何がです?」


背後から突然ミーナの声。


レインが振り返る。


受付からこちらを見ているミーナ。


「いたのか」


「ずっと受付にいました」


「そうだったな」


ミーナが呆れた顔。


「本当に周りを見てるんですか?」


「見てるよ」


「怪しいです」


ミーナはレインの顔をじっと見る。


「昨日」


少し間を置いて


「ちゃんと宿へ帰りました?」


「ああ」


「本当に?」


「ああ」


「寄り道は?」


「…………」


レインの目が泳ぐ。


「レインさん」


「そういえば散歩した」


ミーナが深いため息。


「やっぱり」


「健康のためにね」


「夜中に?」


「夜中は涼しいから」


「昨日も聞きました」


レインが首を傾げる。


「そうだっけ」


「確かに聞きました!」


その時。


ギルド入口付近がざわつく。


ざわ……


冒険者たちが何となく入口へ目を向ける。


栗色の髪に地味な服装の女性が入ってくる。


服装も髪形も目立たない。だが、自然と背筋が伸び、立ち居振る舞いには育ちの良さがにじんでいる。


レインがその姿に気づき、動きを止める。


「…………」


女性――リシェルもレインを見つける。


ぱっと笑顔。


「見つけました」


レインが露骨に嫌そうな顔。


「なんでいるんだよ」


ミーナがリシェルを見る。


「お知り合いですか?」


「いや」


「知り合いです!」


二人同時。


ミーナがぱち、と瞬き。


「どちらです?」


レインが即答。


「知り合いじゃない」


リシェルも即答。


「知り合いです」


「…………」


「…………」


ミーナの視線が二人の間を行ったり来たり。


レインが小さくため息をつく。


「リシェ」


「はい」


「目立つなって言ったよな」


「今日は目立っていません!」


レインがリシェルの服装や髪を見る。


確かに外見だけなら、街にいる普通の娘と大差ない。


「見た目はな」


リシェルが得意そうな顔。


「でしょう?」


「行動がな・・・」


「まだ何もしていません!」


「ギルド入って俺を見つけてすぐ『見つけました』って言った」


リシェルがきょとん。


「それの何が」


「目立つ」


「…………」


リシェルの得意げな顔が固まる。


ミーナは口元を押さえ、笑いをこらえている。


リシェルが助けを求めるようにミーナを見る。


「あのぉ、否定してください」


「え?」


「今の。目立っていませんよね?」


ミーナが少し考える。


「……少しだけ」


「ミーナさんまで!?」


リシェルが驚く。


「初対面で名前を!?」


「今、レインさんが呼びましたから」


「…………」


リシェルが一瞬止まる。


「初対面……そうでした」


レインが吹き出す。


「やっぱり目立つな」


「うるさいですわね!」


周囲の冒険者たちがちらっと振り返る。


レインが無言で周囲を示す。


「ほら」


「…………」


リシェルが周囲の視線に気づき、すっと肩を縮める。


小声で。


「……うるさいです」


ミーナがとうとう、くすっと笑う。


「仲がいいんですね」


「違います」


「違いません!」


また同時。


ミーナが目を丸くしたあと、何か納得したように小さく頷く。


「なるほど」


レインの顔に嫌な予感。


「何が?」


「いえ」


ミーナがにこっと笑う。


「何でもありません」


「その言い方、絶対何かあるだろ」


「気のせいです」


レインが目を細める。


「それ、俺の真似?」


「さあ」


ミーナは涼しい顔。


「運がよかったんじゃないですか?」


「誰の?」


「わたしのです」


レインが呆れ半分にミーナを見る。


「……覚えすぎだろ」


ミーナは少し楽しそうに笑う。


そのやり取りを、リシェルが黙って見ている。


「…………」


レインとミーナの間で、言葉がほとんど引っかからずぽんぽん返っていく。


リシェルの笑顔がほんの少しだけ薄れ、二人を交互に見る。


自分でも理由が分からないまま、わずかに引っかかった様子。


「それで」


レインがリシェルを見る。


「何しに来た?」


リシェルの表情から柔らかさが消える。


「あなたに聞きたいことがあります」


ミーナも笑みを引っ込める。


「ガルド商会について」


レインの目がわずかに細くなる。


短い沈黙。


「……場所変えるか」


リシェルが頷く。


「はい」


レインはミーナを見る。


「ちょっと行ってくる」


「依頼は?」


「あとで」


「またですか」


「すぐ戻る」


ミーナがじっとレインを見る。


「本当に?」


「たぶん」


「信用できません」


「即答だな」


「最近学びました」


レインが苦笑する。


リシェルと連れ立って、ギルド奥の人気の少ない打ち合わせ室へ向かっていく。


ミーナは受付から二人の背中を見送る。


「…………」


少し首を傾げる。


「リシェさん、か」


隣の受付嬢がひょこっと寄ってくる。


「知り合い?」


「レインさんの?」


「うん」


ミーナは二人が入っていった扉から目を離さない。


「……みたいです」


「珍しいね」


ミーナが隣を見る。


「何がです?」


「レインが女の子連れてるの」


「…………」


ミーナがぱち、と瞬く。


「……そうなんですか?」


「ほとんど見ないよ」


「へえ」


ミーナは再び閉じた扉を見る。


口では平静なままだが、視線だけがしばらく扉に残る。


小さく瞬きをしてから、ようやく仕事へ戻る。




同じ頃。冒険者ギルドの外。


通りの向かい側、建物の陰に一人の男。


男は人目を避けながら、ギルドの入口を監視している。


手元には小さな紙と筆記具。


先ほどギルドへ入っていったレイン。


そして、レインを訪ねてきた栗色の髪の女。


男が紙にさらさらと書き込む。


『レイン』


その下にもう一つ。


『リシェ』


カリ……


書き終えた手が止まる。


「……また増えたな」


紙を折り畳んで懐へしまう。


男は周囲を一度確認すると、何食わぬ顔で通りへ紛れ、その場を離れていく。


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