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逆に弱みを探る

夜の南区。


レインはガルド商会へ続く大通りを、一人で歩いている。


商会の建物が見えるところまでは行かず、少し手前の角で何気なく曲がる。


そのまま人通りの少ない裏通りへ入る。


足音が少し遠くなったところで、レインがふっと足を止める。


壁際には木箱が積まれ、周囲の店はすでに戸を閉めている。二階の窓にも灯りは少ない。


レインは積まれた木箱、閉じた店先、二階の窓、路地の先へと順に目を向ける。


「…………」


ほんの少しだけ息を吐く。


「……二人」


表情は変わらない。


大通り側に一人。


反対側の路地にも一人。


どちらも距離を取っており、昼間まで自分を追っていた男たちとは別人。


レインの口元がわずかに緩む。


商会はまだ自分を監視している。


それを確認すると、何事もなかったように再び歩き出す。


向かった先はガルド商会ではない。


夜でも灯りのついている、小さな酒場。


軒先の看板には《眠り猫亭》。


レインが扉を開ける。


カラン、と控えめに扉のベル。


「いらっしゃい」


店内はほどほどに賑わっている。


仕事帰りらしい職人たち。商人。装備を置いて酒を飲む冒険者。すでに顔を赤くした酔客。


ざわざわ、と途切れない話し声。


レインは周囲を気にする様子もなく、奥の席へ座る。


「麦酒」


「はいよ」


店主が木杯を置く。


コト。


レインは杯を持ち上げ、一口だけ飲む。


「…………」


少し遅れて、入口の扉が開く。


先ほど尾行していた男の一人が店内へ入ってくる。


レインはそちらを見ない。


何も気づいていない客を装ったまま、杯に視線を落とす。


「……やっぱり来たか」


周囲には届かないほど小さな声。


そのまま、もう一度だけ杯を傾ける。


しばらくして、レインが《眠り猫亭》を出る。


少し間を置いて、店に入ってきた男も外へ出る。


レインは振り返らない。


別の通りへ入り、そのまま夜市へ。


まだ営業している串焼き屋の前で少し立ち止まり、露店の商品を眺め、古道具店の店先を適当に覗く。


ジュウジュウ、と肉の焼ける音。


客を呼ぶ露天商の声。


行き交う人々のざわめき。


その中に紛れながらも、一定の距離を保って男がついてくる。


レインは一度も相手を確認しない。


いくつもの通りを通り、わざと遠回りしてから《渡り鳥亭》へ戻る。


宿の入口では、主人が椅子に座ったまま大きな欠伸をしている。


「おう」


「ただいま」


主人が眠そうな目でレインを見る。


「今日はちゃんと帰ってきたな」


レインが少し眉を上げる。


「俺を何だと思ってる?」


「帰ってこない客」


「宿代は払ってるだろ」


主人が鼻で笑う。


「そこだけは優良客だな」


レインは苦笑しながら片手を軽く上げ、そのまま二階へ上がっていく。


自室へ入り、扉を閉める。


カチャ


鍵をかける。


続いて室内の灯りをつける。


「…………」


レインが窓際へ近づく。


窓の外には向かいの建物。


屋根の上に一人。


下の路地にも一人。


レインの目が静かに細くなる。


「見張ってるな」


予想通り。


レインは窓から離れ、上着を脱ぐ。


剣も腰から外し、ベッドの上へ置く。


コト。


それからは何もしない。


椅子に座ったり、ベッドに腰を下ろしたりしながら、ごく普通に宿へ帰った客として時間を過ごす。


外から見れば、いつも通り宿へ戻り、休む準備をしているだけ。


やがて室内の灯りが消える。


ふっ。


暗闇。


数分、、、十分。


それから、さらにしばらく。


宿の裏手。


一階の物置。


誰もいない暗がりの中に、レインが立っている。


先ほど部屋へ置いたはずの剣も、すでに腰に戻っている。


「さて」


声を抑えて呟く。


口元に、ごく薄い笑み。


「今度はこっちの番だな」


レインが向かったのは、昼間、自分を追っていた男たちが姿を消した場所。


南区の外れにある倉庫街。


昼間なら荷車や人夫の声が飛び交う場所だが、夜になると人通りはほとんどない。


遠くで荷車の車輪が鳴る程度。


ゴロ……ゴロ……。


レインは物音を立てずに建物の陰を移動していく。


その先に、一棟の倉庫がある。


看板はない。


外から見れば、どこにでもある普通の倉庫。


だが入口には男が二人。


ただ荷物を保管しているだけとは思えない警戒ぶり。


「……商会の倉庫にしては厳重だな」


レインは身を隠したまま、しばらく様子を見る。


やがて馬車が一台やってくる。


ガラガラ……。


荷台にはいくつもの木箱。


馬車が止まり、一人の男が降りる。


レインの目がわずかに細くなる。


昼間、自分を尾行していた男の一人。


「やっぱりな」


男は懐から紙束を取り出し、入口の見張りへ渡す。


「今日の分だ」


見張りが紙束の厚さを見る。


「多いな」


「あちこち調べたからな」


「例の冒険者?」


「ああ」


レインは息を潜めたまま、その会話を聞く。


「何かあったか?」


「ほとんどない」


「本当に?」


「あいつ、宿とギルドくらいしか行ってない」


「女は?」


レインの表情は変わらない。


「受付嬢が一人」


一瞬。


目だけが男たちへ向く。


「ミーナ・リード」


男が名前を口にする。


「父親に古い件がある」


「使えそうか?」


「一度はな」


少し間が空く。


「でも、口を割らなかった」


「へえ」


「見た目より根性あるぞ、あの女」


見張りが面白そうに笑う。


「じゃあ次は?」


「別の角度からやる」


レインの指先が、そばの壁に静かに触れる。


ギッとわずかに力が入る。


だが、その場から動かない。


男たちへ飛び出すこともない。


ただ聞く。


「それより」


男が続ける。


「旦那が言ってたぞ」


「何を?」


「古い資料は全部こっちへ移せって」


「地下じゃなく?」


「あっちは土地関係だ」


男が背後の倉庫へ目を向ける。


「こっちは……」


声を少し落とす。


「人間の方」


レインの表情が変わる。


「……人間?」


誰にも聞こえない声。


男は指を一本ずつ折りながら並べていく。


「借金」


「家族」


「昔の犯罪」


「不倫」


「横領」


「密輸」


「隠し子」


「そういうの全部」


見張りが少し呆れたように紙束を見る。


「……随分あるな」


「だから使えるんだろ」


男が鼻で笑う。


「人間なんて、叩けば何か出る」


「何も出なかったら?」


「家族を叩く」


「家族もなければ?」


「友人」


「それもなければ?」


男の口元が歪む。


「作ればいい」


見張りが首を傾げる。


「?」


「噂でも流せばいいんだよ」


その瞬間。


レインの表情から、わずかに残っていた柔らかさが消える。


「…………」


冷えた目で男たちを見る。


「……なるほど」


声は低い。


「そういう奴らか」


男たちは気づかないまま倉庫へ入る。


ギィ……。


扉が閉じる。


レインはしばらくその場を動かない。


「弱みを持ってる奴を探す」


静かに歩き出す。


「なければ周りを探す」


もう一歩。


「それでもなければ……」


倉庫へ目を向ける。


「作る」


小さく息を吐く。


「……最悪だな」


倉庫の裏手。


窓は二つ。


どちらも内側から施錠されている。


裏口には見張りが一人。


屋根には換気口。


レインは距離を取りながら建物の周囲を確認していく。


中から聞こえる足音や話し声にも耳を澄ませる。


「正面二人」


裏口を見る。


「裏一人」


少し間を置き、中の気配を数える。


「中は……最低でも四」


「七か」


レインは特に困った様子を見せない。


視線だけを倉庫へ戻す。


「…………」


一度暴れれば、中にある資料を処分される可能性がある。


誰かを逃がせば、別の場所へ知らせが行く。


しばらく考えたあと、レインは裏手の壁際へ移動する。


足元の小石を蹴る。


コト。


小さな物音。


裏口の見張りが振り返る。


「誰だ?」


男が音のした方へ歩いてくる。


ザッ……ザッ……。


レインは物陰へ身を隠す。


男が角から顔を覗かせる。


「…………」


誰もいない。


「気のせいか?」


その背後。


音もなくレインが立つ。


「悪いな」


「――っ!?」


トッ。


首元へ短い衝撃。


男の身体から一気に力が抜ける。


倒れる前にレインが身体を支え、そのままゆっくり地面へ寝かせる。


ドサ……ではなく、ほとんど音のしない静かな動き。


「まあ少し寝ててくれ」


男の腰から鍵束を取る。


チャリ。


裏口の鍵を一つずつ確かめる。


カチリ。


扉が開く。


レインは周囲を確認し、そのまま倉庫の中へ入る。


倉庫内部。


木箱がいくつも積まれている。


棚には帳簿や紙束。


奥には扉が二つある。


レインは物陰を使いながら、足音を立てずに進む。


奥から男たちの声。


「これは三番棚」


「そっちは?」


「北区の分だ」


「王都西側は?」


「二階」


レインの足が止まる。


地区ごとに管理しているらしい。


一人の男が木箱を抱えて通り過ぎる。


箱には文字。


『南区・個人情報』


レインの眉がわずかに動く。


その下には、小さく、


『要注意』


別の箱。


『協力者候補』


さらにその隣。


『圧力対象』


「……分類までしてるのか」


低く呟く。


棚を眺めるレインの顔から、いつもの気の抜けた雰囲気が少しずつ消えていく。


人間の名前が大量に並んでいる。


一枚ずつ紙を確認する。


名前。


住所。


職業。


家族。


借金。


過去。


そして、その人物に対して使えそうな秘密。


紙が擦れる小さな音。


サラ……


「…………」


レインの手が止まる。


一枚の紙。


『ミーナ・リード』


レインがそれを抜き取る。


父親。


過去の罪。


現在の住所。


勤務先。


交友関係。


そして下部には、今日書き足されたばかりらしい文字。


『冒険者レインとの関係あり』


さらに、


『圧力:失敗』


『次案――父親への接触』


「…………」


紙を持つ指が止まる。


握り潰すほどではない。


だが、指先には明らかに力が入っている。


しばらく無言でその記録を見る。


やがて、紙を元の位置へ戻す。


「なるほど」


声が低い。


レインは周囲の棚を見渡す。


「これなら……証言できない奴が多いわけだ」


一枚、また一枚と記録へ目を走らせる。


借金。


土地。


家族。


過去。


逆らった人間の人生そのものを握るための情報。


レインが一つの棚へ手をかける。


「……でも」


指に力が入る。


この棚ごと壊してしまいそうになる。


「これを消したら……」


指先が止まる。


数秒。


そしてゆっくり棚から手を離す。


「いや」


表情を戻す。


「まだだ」


資料を見渡す。


ここに記録が存在していることそのものが、商会のやっていることを示す材料になる。


レインが考え込む。


「先に……」


小さく呟く。


「使える形にする」


少し間。


脳裏に誰かの顔を思い浮かべたように、レインがわずかに目を伏せる。


「…………」


リシェなら、証拠を残せと言う。


証言を取れ。


正しい手順で追い詰めろ。


そんな言葉を想像したのか、レインの口元に小さな苦笑が浮かぶ。


「面倒だな」


肩の力をわずかに抜く。


「あいつに影響されてる」


その時、奥から足音。


コツ、コツ。


レインの表情がすぐに戻る。


扉が開き、男が一人、箱を取りに入ってくる。


「おい、その箱」


男の動きが止まる。


レインと目が合う。


「…………」


「…………」


一瞬の沈黙。


男の目が見開かれる。


「侵入・・・」


最後まで声を出す前に、レインが間合いを詰める。


「――っ!」


男の口を片手で塞ぐ。


もう片方の手で身体を支え、そのまま壁際へ押さえる。


「静かに」


「むぐっ!?」


男の顔が強張る。


レインには、普段の気の抜けた表情がない。


「聞きたいことがある」


棚へ一度目を向ける。


「この資料」


男を見る。


「他にも写しがあるだろ」


男の身体が固まる。


レインの目が逃がさない。


「どこだ?」


「…………」


男は答えない。


レインはしばらく男の顔を見る。


それから、少し困ったように息を吐く。


「別に殴りたいわけじゃないんだけどな」


「…………」


男は口を塞がれたまま、目だけを動かす。


レインがほんの少しだけ笑う。


ただし目は笑っていない。


「まあ」


間をおいてから言う


「時間はある」


男の顔から血の気が引いていく。


じわ……と額に冷や汗。


倉庫の奥では、何も知らない男たちの話し声がまだ続いている。


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