再度の脅迫
夕方の冒険者ギルド。依頼を終えた冒険者たちが次々と戻り、受付には報告待ちの冒険者が並んでいる。酒場側から笑い声が飛び、革靴や装備の鳴る音、受付で交わされる声が重なって、昼間よりも騒がしい。
「はい、討伐証明を確認しました。報酬はこちらです」
ミーナが討伐証明を確認し、冒険者へ報酬を渡す。
「ありがとな、ミーナちゃん」
「お疲れさまでした」
笑顔で冒険者を見送り、すぐ次の依頼書へ手を伸ばす。慣れた手つきで仕事を続けようとしたところへ、聞き覚えのない男の声。
「ミーナ・リードさんですね?」
ミーナの手が止まる。
「……はい?」
顔を上げると、受付の前に三十代ほどの男が立っている。冒険者らしい装備はなく、身につけているのは仕立てのいい服。商人にも見える身なり。
「何かご用でしょうか?」
ミーナはすぐに受付用の柔らかな笑顔に戻る。
男も人当たりよく微笑む。
「少し、お話を伺いたいのですが」
「依頼についてでしたら、こちらで承ります」
「いえ」
男がゆっくり首を振る。
「冒険者についてです」
ミーナの笑顔が、ほんのわずかに固くなる。
「冒険者の個人情報については、一切お答えできません」
「まだ名前も言っていませんよ?」
「どなたであっても同じです」
間を置かず答えるミーナ。
男はその顔をしばらく見て、わずかに目を細める。
「なるほど」
周囲の喧騒に紛れさせるように、男が声を落とす。
「レインという冒険者です」
ミーナの指先がわずかに強張る。
それでも表情を崩さない。
「お答えできません」
「どこの宿を使っているか」
「お答えできません」
「普段、誰と会っているか」
「お答えできません」
「最近、南区へ行ったことがあるか」
「お答えできません」
質問を重ねられても、ミーナは男から視線を逸らさない。
男がしばらく黙ってミーナを見つめる。
「……真面目な方だ」
「受付職員ですから」
「ですが」
男が受付台へ少し身を寄せる。
「世の中、真面目だけでは困ることもある」
ミーナの指先がぴたりと止まる。
「どういう意味でしょうか」
「例えば」
男が懐へ手を入れ、小さく折り畳んだ紙を取り出す。
カサ……。
受付台の上へ、紙を静かに置く。
「昔のことが」
ミーナの顔から、さっと血の気が引く。
「急に掘り返されることもある」
「…………」
ミーナは紙を見つめたまま動かない。
見覚えのない紙。それでも、何について書かれたものなのか察したように、唇がかすかに強張る。
父親が過去に犯した罪。
すでに償いを終えた過去。
それでも知られれば、面白半分に噂する者はいる。
自分の仕事にも、今を生きている父親にも影響するかもしれない。
「……それは……」
ミーナの声がわずかに震える。
男はその変化を見逃さず、穏やかな笑みを深める。
「怖がる必要はありません」
「…………」
「少しだけ教えていただければいい」
男が指を一本立てる。
「レインがどこに泊まっているか」
二本目。
「誰と親しいか」
三本目。
「最近、何を調べているか」
指を下ろし、何でもないことのように微笑む。
「それだけです」
ミーナは受付台の紙から目を離せない。
呼吸が浅くなり、紙へ伸ばしかけた指先が震える。
脳裏によみがえる、暗い路地。
腕を掴まれた自分。
逃げようとしても身体が動かず、震える手。
『お父さんのことを世間に知られたくないだろう?』
過去の声が重なる。
「…………」
男がさらに声を潜める。
「誰にも迷惑はかかりませんよ」
その言葉で、ミーナの指が止まる。
伏せていた目が、ゆっくり紙へ向く。
レインの宿。
親しい相手。
最近調べていること。
それを渡した先で何が起きるのか。
ミーナの震えていた指が、少しずつ紙から離れていく。
「……一つ」
ミーナが口を開く。
男の笑みが戻る。
「はい?」
「質問してもいいですか?」
「もちろん」
ミーナが顔を上げ、男を見る。
「どうして、レインさんのことを知りたいんですか?」
男の笑みがわずかに薄れる。
「それを知る必要はありません」
短い沈黙。
ミーナは受付台の紙から完全に手を離す。
「では」
「お答えできません」
「…………」
男の目から笑みが消え、冷たい視線に変わる。
「意味が分かっていますか?」
「分かっています」
ミーナの声には、まだわずかな震えが残っている。
それでも、相手から視線は逸らさなかった。
「……私が従わなければ、その紙を町中に広めると?」
「そうなるかもしれません」
つまり、これは脅しだ。
言うことを聞かなければ、その紙に書かれた内容を大勢に知らしめる
そう言っているのだ。
「そうですか」
ミーナは一度、深く息を吸った。
怖くないわけではない。
それでも、ここで怯えて相手の言いなりになるつもりはなかった。
ぎゅっ、と机の下で手を握る。
「でしたら」
一瞬だけ言葉を詰まらせ、それでも続ける。
「好きにしてください」
男の眉がわずかに動く。
「……何?」
「レインさんの情報は、お渡ししません」
「父親がどうなっても?」
机の下で握ったミーナの手に、さらに力が入る。
「父は……」
声が詰まり、唇が震える。
それでも、言葉を止めない。
「もう、償いました」
男は黙ったまま聞いている。
「昔、悪いことをしたのは事実です」
ミーナの目には恐怖が残っている。それでも男をまっすぐ見続ける。
「でも」
「それを理由に、わたしが誰かを売っていいことにはなりません」
「…………」
周囲では変わらず冒険者たちの笑い声や受付のやり取りが続いている。
ガヤガヤ、ワイワイ。
すぐ近くで行われているこのやり取りには、誰も気づいていない。
男は無言でミーナを見る。
数秒の沈黙。
やがて受付台の紙へ手を伸ばす。
スッ……。
折り畳んだ紙を回収する。
「後悔しますよ」
「……そうかもしれません」
「仕事を失うかもしれない」
「そうかもしれません」
「父親も、王都にいられなくなるかもしれない」
ミーナの唇がわずかに震える。
一度だけ目を伏せそうになり、それでも踏みとどまる。
「それでもです」
男は何も答えない。
しばらくミーナを見つめたあと、静かに身体を離す。
「忠告はしました」
男が踵を返す。
ミーナは何も言わず、その背中を見続ける。
男が人混みを抜け、ギルドの扉から出ていく。
バタン。
扉が閉じる。
「…………」
張りつめていたミーナの肩から、ようやく力が抜ける。
「はぁ……」
長く息を吐く。
受付台の下では、握っていた手が細かく震えている。
「……怖かった」
誰にも届かないほどの小さな声。
「ミーナ?」
横から同僚の受付嬢に声をかけられ、ミーナの肩がビクッと跳ねる。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
「え?」
「休む?」
ミーナは慌てて表情を整え、いつもの笑顔を作る。
「大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
明るく答える。
しかし机の下に隠れた指先だけは、まだ小刻みに震えている。
それから少し経った頃。
ギルドの扉が開く。
「ただいま」
周囲の喧騒に混じって、気の抜けた声。
レインが戻ってくる。
背中には今日採取した薬草の入った袋。
「おかえりなさい」
ミーナが反射的に笑顔を向ける。
いつも通りに振る舞ったつもりだった。
だが、レインの足が止まる。
「…………」
「どうしました?」
「いや」
レインはそのまま受付まで来て、薬草の袋を置く。
ドサッ。
「採取依頼」
「はい。確認しますね」
ミーナが袋を受け取る。
その手が、ほんのわずかに震える。
レインの視線がミーナの手へ落ちる。
「ミーナ」
「はい?」
「何かあった?」
「何もありません」
間髪入れず答える。
レインは何も言わない。
「…………」
「…………」
ミーナは視線を薬草へ落とし、一本ずつ数えていく。
「十一本ありますね。一つ多いです」
「予備」
「では十本分を――」
「ミーナ」
もう一度名前を呼ばれ、手が止まる。
「何でしょう?」
「俺の真似しなくていいぞ」
「……え?」
「『何もない』ってやつ」
ミーナの指が止まったままになる。
レインはいつもの気の抜けた表情。声も軽い。
ただ、目だけは笑っていない。
「誰か来た?」
「…………」
ミーナは答えられない。
その沈黙だけで察したように、レインが小さく息を吐く。
「商会?」
「どうして……」
「今日、二人捕まえた」
「捕まえた!?」
思わずミーナの声が響く。
近くにいた冒険者たちが何事かと振り返る。
ミーナはハッとして口元を押さえ、慌てて声を落とす。
「……何をしてるんですか!」
「話をしただけ」
「絶対違いますよね?」
「多少転んだ」
「誰が?」
「二人」
「それは転ばせたんですよね?」
「細かいことはいいだろ」
「よくありません!」
レインが少しだけ笑う。
ミーナも呆れたような顔になり、ほんの一瞬だけいつもの空気に戻る。
だが、レインの笑みがすぐに消える。
「それで」
声の調子も低くなる。
「何を言われた?」
ミーナの表情が曇る。
口を開きかけるが、言葉が出ない。
レインが何かをしに行く姿を想像したように、ミーナは口を閉じる。
「…………」
レインが小さくため息をつく。
「父親のこと?」
「――っ」
ミーナの目が大きく見開かれる。
その反応を見た瞬間、レインの表情がわずかに険しくなる。
「やっぱりか」
「どうして分かったんです?」
「他に使えそうな弱みを知らない」
「…………」
ミーナがわずかに俯く。
先ほど男が置いた紙のあった場所へ、無意識に目をやる。
「何を聞かれた?」
「……宿」
「もう知られてる」
「誰と親しいか」
「それも?」
「最近、何をしているか」
「なるほど」
レインは静かに頷く。
あまりに普段通りの反応に、ミーナが不安そうに眉を寄せる。
「怒らないんですか?」
「怒ってるよ」
「……そう見えません」
「見せてないからな」
淡々とした返事。
ミーナの表情がわずかに強張る。
怒鳴られるよりも、その静けさのほうが怖い。
「情報は?」
レインが尋ねる。
ミーナは顔を上げる。
「渡してません」
「…………」
「一つも」
レインが黙る。
ミーナは張りつめていた表情を少しだけ緩める。
「受付職員には、冒険者の個人情報を守る義務がありますから」
「……そうか」
「それに」
ミーナの声が少し柔らかくなる。
「わたしは、レインさんに助けてもらいました」
レインがすっと視線を逸らす。
「何の話だ?」
ミーナが一瞬きょとんとし、それから小さく笑う。
「ほら」
「…………」
「またそれです」
レインも小さく笑う。
二人の間の緊張が、ほんの少しだけほどける。
だが次の瞬間、レインの笑みが消える。
「ミーナ」
「はい?」
「しばらく一人で帰るな」
「え?」
「ギルドの誰かと帰れ」
「でも、、、」
「宿まで送ってもらえ」
「レインさん」
「頼む」
短い一言。
いつもの軽さがなく、ミーナは反論しかけた口を閉じる。
「……分かりました」
「あと」
「まだあるんですか?」
「父親にも気をつけろって言っといて」
ミーナの顔が曇る。
「そこまでですか?」
「ああ」
レインの目がわずかに細くなる。
「ガルドは、俺の弱みを探してる」
「…………」
「見つからないから」
レインがミーナを見る。
「周りを弱みにしようとしてる」
ミーナが息を詰める。
申し訳なさそうに目を伏せる。
「わたしが、、、」
「違う」
レインがすぐに言葉を遮る。
ミーナが顔を上げる。
「そういう意味じゃない」
「でも……」
レインは少し考え、静かに言葉を選ぶ。
「弱みになるのが悪いんじゃない」
「…………」
「人を弱みに使う奴が悪い」
ミーナは何も返せず、ただレインを見る。
少しの沈黙。
レインが依頼書を受け取る。
「じゃあ」
立ち去ろうとするレインへ、ミーナがすぐ声をかける。
「どこへ行くんです?」
「帰る」
「本当に?」
「本当に」
ミーナが疑わしそうにじっと見る。
「……信用できません」
「ひどいな」
「最近のレインさんの『帰る』は信用できません」
「今回は帰るよ」
「宿へ?」
「ああ」
レインが背を向けて歩き出す。
数歩進んだところで足を止める。
「ミーナ」
「はい?」
「ありがとな」
ミーナが少し目を丸くする。
すぐに、その表情がいたずらっぽい笑みに変わる。
「何がです?」
「…………」
今度はレインが目を瞬く。
一拍置いて、小さく笑う。
「覚えたな」
「誰かさんのおかげです」
レインが再び歩き出す。
ギルドの扉を開け、そのまま外へ。
ミーナは受付からその背中を見送る。
扉が閉じてから、心配そうに眉を下げる。
「……本当に、帰るんでしょうね?」
ギルドの外。
夕暮れから夜へ移りつつある王都の通り。
レインは《渡り鳥亭》へ向かう道を、いつもと変わらない足取りで歩いていく。
一つ目の角を曲がる。
そのまま進む。
二つ目の角。
三つ目。
次第に人通りが減り、賑やかな大通りの声も遠くなる。
レインの足が止まる。
コツ……。
「…………」
しばらく無言で立ったあと、レインが静かに身体の向きを変える。
《渡り鳥亭》とは、まったく逆の方向。
南区。
ガルド商会のある方角。
「忠告したんだけどな」
ぽつりと呟く。
先ほどまで浮かべていた気の抜けた笑みは、もうない。
「周りに手を出すなって」
静かな足音が夜の通りに響く。
コツ、コツ、コツ
レインは表情を変えないまま、南区へ向かって歩いていく。




