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王女は動く

その頃、王城にて


リシェルの自室。机の上には、昨夜持ち帰った記録石が置かれている。


机につくリシェルの向かいにはクロエ。そのそばには、南区を担当する役人が一人、資料を確認できるよう待っている。


「こちらをご覧ください」


リシェルが記録石へ手をかざす。


記録石が淡く光り始める。


フワ……


机の上に光が広がり、昨夜写し取った資料が次々と浮かび上がる。


南区の地図。

土地の取得状況。

地下調査の記録。


そして、魔晶石の反応を示す資料。


そこまで目を通したところで、役人の顔色がさっと変わる。


「これは……」


「ガルド商会が作成したものです」


役人が資料からリシェルへ目を移す。


「どこで、これを……?」


「…………」


リシェルが固まる。


短い沈黙。


クロエだけが、何も言わずリシェルへ視線を向ける。


その視線に気づいたリシェルが、わざとらしく小さく咳払い。


「……コホン」


「入手経路については、今は重要ではありません」


役人が即座に返す。


「いえ、重要かと」


「今は内容を見てください」


「殿下」


クロエが静かに呼ぶ。


リシェルが嫌な予感を覚えたようにクロエを見る。


「……何です?」


クロエは真顔のまま。


「そこは非常に重要です」


「クロエまで!」


思わず声を上げるリシェル。


役人は二人の間で困ったような顔をしている。


リシェルは不満そうに少しだけ頬を膨らませる。


「では、そこはあとで説明します」


「必ずお願いします」


「……善処します」


「お願いします」


逃がす気のない役人の返答。


「分かりました!」


リシェルが観念したように答え、すぐ資料へ意識を戻す。


「問題は、この資料です」


南区の地図の一角を指で示す。


「ガルド商会は、南区の土地を集中して取得しようとしています」


役人が表情を改め、地図をじっと確認する。


「確かに……」


「さらに」


リシェルが記録石を操作する。


スッ


浮かんでいた資料が切り替わり、『地下調査報告』の文字が現れる。


「この一帯には、魔晶石を含む鉱脈が存在する可能性が高い」


役人の目が止まる。


リシェルは続ける。


「そして、ガルド商会が借金の返済を理由に土地を求めている場所と、ほぼ一致しています」


役人の表情が険しくなる。


「偶然とは考えにくいですね」


「はい」


リシェルがしっかりと頷く。


しかし、すぐに表情を引き締める。


「ですが」


「?」


役人が顔を上げる。


「これだけでは足りません」


役人は少し考えたあと、納得したように資料を見る。


「商会が土地を欲しがっていることは分かります」


「ええ」


「しかし、それだけでは不正の証明にはなりません」


リシェルは動じず、用意していた別の紙束を机へ置く。


トン


昨日、リシェル自身が南区で集めた聞き取りの記録。


「返済したにもかかわらず、未払いとされたという証言があります」


役人が紙束を手に取り、目を通す。


「複数?」


「確認できただけで五件です」


その言葉に、クロエの視線がわずかにリシェルへ動く。


昨夜あれだけの騒ぎを起こすより前に、すでにここまで調べていたらしい。


クロエは口には出さず、ほんの少しだけ目を細める。


「受領証が紛失していたケースが三件」


リシェルが指を折りながら説明する。


「商会側の帳簿のみ未払いとなっていたケースが二件」


役人が紙をめくる。


パラ……


「……同じ手口の可能性がありますね」


「はい」


リシェルが資料へ目を落とす。


「まず、この五件について正式に再調査してください」


「承知しました」


「それから、ガルド商会の貸金業務に関する帳簿の保全を」


役人の表情がわずかに曇る。


「令状が必要です」


「どの程度かかりますか?」


「早くても数日」


リシェルの手がぴたりと止まる。


「……数日」


昨夜、商会の人間たちが帳簿を運び出していた光景が脳裏をよぎる。


続いて、レインの言葉。


『間に合わなきゃ意味がない』


リシェルの指先にわずかに力が入る。


「殿下?」


役人の声で我に返る。


「いえ」


リシェルが顔を上げる。


「可能な限り急いでください」


「承知しました」


「それと、もう一つ」


「……まだあるのですか?」


役人の顔が思わず引きつる。


リシェルは、にこりと笑った。


「はい。まだあります」


「……承知しました」


役人は諦めたように答えた。


クロエは何も言わず、そっと視線を逸らす。



同じ頃、ガルド商会。


執務室では、ガルドが机の上の報告書に目を落としている。


正面には、昨日からレインの素性を調べていた男が二人。


「レイン」


ガルドが低く名前を口にする。


一人の男が報告を始める。


「冒険者ギルド所属。等級は中級」


「依頼内容は?」


「採取。護衛。討伐。偵察。雑用も」


「普通だな」


「はい」


ガルドは報告書を眺めたまま続ける。


「仲間は?」


「固定のパーティーはいません」


報告書をめくっていたガルドの指が止まる。


「いない?」


「そのようです」


「女は?」


「特定の相手は確認できません」


「家族」


「不明」


「出身」


「不明」


ガルドの眉間にしわが寄っていく。


「不明ばかりだな」


「……申し訳ありません」


男が頭を下げる。


「宿は?」


「《渡り鳥亭》」


「そこは分かったか」


「はい」


「部屋は?」


「普通です」


ガルドが顔を上げる。


「普通?」


「武器も。荷物も。衣服も。特に変わったものはありません」


ガルドが報告書を机へ放る。


――バサッ


「何もない男などいるか」


男たちは黙る。


「しかし……」


「人間には必ずある」


ガルドの声がさらに低くなる。


片手を上げ、指を一本折る。


「欲しいもの」


もう一本。


「守りたいもの」


さらに一本。


「知られたくないもの」


三本の指を折ったまま、男たちを見据える。


「それを探せ」


「はい」


「本人になければ……」


ガルドが少し考え、指先で机を軽く叩く。


――トン、トン……


「周りを見ろ」


男たちが顔を上げる。


「周り……」


「受付嬢」


男たちの表情がわずかに変わる。


「孤児院」


さらに空気が張る。


「昨日一緒にいた女」


男たちの動きが、ぴたりと止まる。


ガルドの口元だけがゆっくり歪む。


「誰か一人くらい」


薄い笑み。


「弱みになるだろう」


その日の昼。


冒険者ギルド。


ミーナはいつも通り受付に立っている。


冒険者へ依頼書を渡し、報酬を計算し、時折笑顔で言葉を交わす。


忙しく手を動かしながらも、一度だけ入口へ視線を向ける。


昨日の男たちの姿はない。


「…………」


張っていた肩から、ほんの少しだけ力が抜ける。


「ミーナ」


「はい?」


同僚に呼ばれ、すぐ振り返る。


「これ、南区の依頼」


「分かりました」


差し出された書類を受け取る。


その時。


ギルドの外、通りの向こう側に一人の男が立っている。


昨日の男たちとは別人。


何をするでもなく、ミーナのいる方をじっと見ている。


「…………」


ミーナの手が止まる。


目が合う。


男は何事もなかったように視線を外し、そのまま歩き出す。


――ザッ……


人混みの中へ紛れ、姿が見えなくなる。


ミーナは書類を胸元に抱えたまま、男が消えた方を見つめる。


気のせいだと思おうとするように、小さく首を振る。


それでも表情は晴れない。


胸元の書類を握る指に、無意識に少し力が入っている。


一方、王都の外。


森の縁で、レインは薬草採取の依頼をこなしている。


腰を落とし、摘み取った葉を指先で確かめる。


「これで十」


薬草を袋へ入れる。


――ガサッ


袋を閉じ、そのまま立ち上がる。


何気ない様子で周囲へ目を向ける。


人影はない。


「…………」


レインの視線が、一瞬だけ止まる。


少し離れた木の陰に一人。


さらに反対側にも、もう一人。


どちらも姿を隠しているつもりらしい。


レインは小さく呟く。


「……増えたな」


昨日とは別の顔。


尾行役を交代したらしい。


レインは気づいていないふりをしたまま歩き出す。


王都へ戻る道には向かわず、そのまま森の奥へ。


ザッ、ザッ……


少し間を置いて、二人分の足音がついてくる。


十分ほど歩き、人の気配がなくなったところでレインが足を止める。


「そろそろいいだろ」


森は静かなまま。


返事はない。


「出てこいよ」


シン……


レインが振り返る。


「二人いるのは分かってる」


木の陰から一人の男が姿を現す。


ザッ


反対側からも、もう一人。


「……いつから気づいてた」


「最初から」


男の顔が引きつる。


レインは呆れたように軽く肩をすくめる。


「で?」


二人を見る。


「何の用?」


男たちは答えない。


片方の男の手が、腰の剣へ伸びる。


その動きを見たレインの目が、わずかに細くなる。


「調べるだけじゃなかったのか」


「……何の話だ」


「俺の宿」


男たちの目がわずかに動く。


「依頼」


さらに反応。


「仲間」


男たちの表情が明らかに変わる。


レインはそれを見ながら、一歩近づく。


ザッ


「随分熱心だな」


さらに問いかける。


「誰に頼まれた?」


「関係ない」


「そう」


レインの口調は軽い。


けれど、目には笑みがない。


「じゃあ一つだけ聞く」


「何だ」


一拍置く。


「ミーナに何かしたか?」


「…………」


男たちが黙る。


ほんの一瞬。


それだけで、レインの表情から軽さが消える。


「……見張ってるだけだ」


男が答える。


「今はな」


レインの声が低くなる。


「今は?」


男が、しまったという顔をする。


レインの目はその変化を逃さない。


「孤児院も?」


「…………」


今度は答えない。


レインが小さく息を吐く。


「……そういうやり方か」


「何がだ」


「本人に弱みがなければ」


レインが一歩近づく。


ザッ


「周りを使う」


もう一歩。


男たちとの距離が詰まる。


「そういうの」


レインの目から、完全に笑みが消える。


「一番嫌いなんだよ」


男が耐えきれず剣を抜く。


シャキン!


「黙れ!」


男がレインへ踏み込む。


次の瞬間。


カラン!


剣が地面に落ちる。


男の手から、いつ奪われたのかすら分からない。


「え?」


男が目を見開いた時には、レインがすぐ目の前にいる。


レインの手が男の手首をしっかり掴んでいる。


「ぐっ!?」


グイッ


手首を軽くひねられただけで、男の膝ががくりと落ちる。


「ぐぁっ……!」


もう一人の男が慌てて動く。


その気配に合わせ、レインが掴んでいた男の体を押し出す。


ドンッ!


二人がまともにぶつかる。


「うわっ!」


ドサッ!


もつれたまま、二人そろって地面へ倒れる。


レインは倒れた二人を静かに見下ろす。


「ガルドに伝えろ」


男が痛みに顔をしかめながら見上げる。


「な、何を……」


「俺を調べるのは好きにしろ」


一拍。


レインの表情がさらに冷える。


「でも」


低い声。


「周りに手を出すな」


男たちは返事もできず、レインを見上げている。


レインはそれ以上何もせず、二人へ背を向ける。


ザッ、ザッ……


数歩進んだところで、足が止まる。


振り返らない。


「次は」


わずかな間。


声だけが、先ほどより冷たくなる。


「忠告じゃ済ませない」


男たちが息を呑む。


レインはもう振り返らず、そのまま王都へ向かって歩いていく。


残された二人は地面に倒れたまま、遠ざかっていくレインの背中を黙って見送る。


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