第5話 勇者、魔王を見抜く
再び、剣と剣が交錯した。
――キィンッ!
耳をつんざくような金属音が中庭全体に響き渡る。
激突の衝撃で巻き起こった風が、辺りに散らばっていた瓦礫を一気に吹き飛ばした。
ヴェラはその勢いを利用して後方へ跳ぶ。
石像に足先が触れた瞬間、ヴェラはそこを蹴って再び勇者へと飛びかかった。
エリオスに、息をつく暇すら与えない。
魔力によって強化された身体能力は、限界を何度も超えていた。
一振りごとに、巨岩さえも両断できるほどの威力がある。
それでも――
エリオスは、いつも最後の一瞬でかわしてみせる。
剣先が肩を掠めた瞬間には、すでに身体を引いて距離を取り、
その左手には複数の風刃が生み出されていた。
「――行け!」
風の刃が、一斉に飛ぶ。
ヴェラは足を止めない。
真正面から風刃へ突っ込んだ。
先頭の一枚を剣で叩き斬る。
残りの風刃は身体の脇をすり抜け、背後の石壁へ深々とした傷を刻んだ。
次の瞬間には、エリオスが再び距離を詰めていた。
二人が、ほぼ同時に剣を振るう。
――キィン!
――キィン! キィン!
二つの人影が中庭を縦横無尽に駆ける。
あまりの速さに、その姿をまともに捉えることすらできない。
見えるのは、銀と黒の残像が幾度となくぶつかり合い、そして離れていく光景だけだった。
その戦いを見つめる獣人の長老は、次第に表情を険しくしていった。
「……まだ、決着がつかんか」
半人馬の青年が、ごくりと唾を飲み込む。
「魔王様が……こんなに早く勇者を倒せないなんて……」
だが、長老はゆっくりと首を横に振った。
「違う」
「え?」
「あの二人は、互いを見ている」
「見ている……?」
「あの少年は、まだ本気で戦っておらん」
半人馬の青年は目を見開いた。
そして、改めて戦場へ目を向ける。
言われてみれば――
エリオスが魔法を使うたび、その威力は妙に抑えられていた。
それだけではない。
魔法の軌道まで、微妙に変えられている。
周囲の建物へ被害が及ばないように。
まるで、戦っているのに――
同時に、何かを確かめているようだった。
「……気づいたのか」
「何にです?」
獣人の長老はヴェラへ視線を向けた。
その声は低かった。
「魔王様もまた、本気を出しておられん」
半人馬の青年が、はっとする。
もう一度、戦場を見る。
そこでようやく気づいた。
戦いの最初。
魔王城全体を揺るがすほどの大魔法を放ったヴェラは――
それ以降、一度も同規模の魔法を使っていない。
代わりに魔力で身体を強化し、ひたすら勇者との近接戦闘を続けている。
「勇者は……魔王様がなぜ魔法を使わないのか、探っているんでしょうか」
獣人の長老は答えなかった。
ただ、静かに戦場を見つめていた。
どうやら、あの勇者は――
彼らでさえ気づいていなかった事実に、すでに気づき始めているらしい。
その時だった。
ヴェラが再び距離を取った。
剣身に赤い魔力がゆっくりと集まっていく。
次の攻撃へ移ろうとしている。
だが、エリオスは追わなかった。
ただ静かに、目の前にいる若い魔王を見つめている。
戦いが始まってからずっと。
エリオスは意図的に魔法の威力を抑えていた。
攻撃の軌道を変え、衝撃が魔王城へ及ばないようにしていた。
そして――
ヴェラも同じだった。
最初に放った、城そのものを揺るがすほどの大魔法。
あれを最後に、彼女は同程度の術式を一度も使っていない。
使えないわけじゃない。
――使いたくないのだ。
代わりに魔力で身体を強化し、自分の得意な間合いで戦い続けている。
理由は、考えるまでもなかった。
二人が一切の遠慮なく全力の魔法をぶつけ合えば――
最初に耐えられなくなるのは、二人自身ではない。
この魔王城だ。
そして、その中で暮らしている魔族たちだ。
エリオスの口元に、苦笑が浮かんだ。
「……そういうことか」
目の前の魔王は、負けるのが怖いわけじゃない。
俺と同じなのだ。
――背中にいる者たちを守っている。
そう思った瞬間。
エリオスは、ゆっくりと長剣を鞘へ収めた。
掌に集めていた魔力も、静かに消えていく。
突然、勇者が戦うのをやめた。
ヴェラは僅かに目を見開く。
だが、警戒を解くことはなかった。
むしろ剣を握る手に、さらに力を込める。
「……何のつもり?」
低い声で尋ねる。
エリオスは、いつものように余裕のある笑みを浮かべた。
「安心してくれ。今日は魔王城を壊しに来たわけじゃない」
「……何?」
「ただ、確かめたかったんだ」
エリオスは、ヴェラの真紅の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「魔王っていうのが、どんな奴なのか」
そう言って――
彼は踵を返した。
中庭の外へ向かって歩き出す。
その場にいた魔族たちは、誰もが呆然としていた。
「待ちなさい!」
ヴェラがすぐさま一歩踏み出す。
「あなた、魔王城を何だと思っているの?」
剣を握り締める。
その声には、悔しさが滲んでいた。
「ここは、あなたが好き勝手に出入りしていい場所じゃないのよ!」
エリオスの足が止まる。
だが、振り返らない。
「……その通りだな」
小さく笑う。
「だから――またすぐ会うことになるよ」
そう言って、エリオスは軽く手を振った。
そのまま振り返ることなく、中庭を後にしていく。
残されたのは、その場に立ち尽くすヴェラと――
未だに何が起きたのか理解できていない魔族たちだけだった。
――だが。
この時のヴェラは、まだ知らなかった。
あの時の「またすぐ会う」という言葉が――
二人の長い物語の始まりになることを。
――◇――
「……魔王様?」
部下の声が、ヴェラを遠い記憶から引き戻した。
はっと我に返る。
気づけば、彼女は会議室の上座に座っていた。
円卓の周囲では、今も各種族の代表たちが激しく議論を続けている。
「東部の集落は、まだ人手が足りません!」
「いや、先に街道を修復すべきだ!」
「それより食料問題をどうする!」
「巡回隊も増やさなければならない!」
一人が言えば、また一人が反論する。
どれも、聞き覚えのある話ばかりだった。
だが、誰も相手を納得させられていない。
ヴェラは頬杖をつきながら、ふと窓辺へ目を向けた。
そこにはもう――
あの白金色の髪をした青年の姿はない。
ヴェラは、思わず小さく苦笑した。
あの頃の自分は、想像もしていなかった。
――「またすぐ会う」。
そう言って去っていった勇者が。
本当に、それから何度も魔王城へやって来るようになるなんて。
壊れた道具を直してくれたり。
面倒な問題を一緒に片付けてくれたり。
時には、ただお茶を飲みながら、いつまで経っても終わらない書類の愚痴を聞いてくれたり。
そんな日々が、いつの間にか当たり前になっていた。
ヴェラは窓の外を眺めたまま、小さく呟く。
「……本当に、すぐまた会うことになったわね」




