第4話 勇者、魔王に挑む
二年前。
それは、勇者が初めて魔王城へ攻め込んだ日のことだった。
――ドォォォン!
魔王城の外で、凄まじい爆発音が轟いた。
城全体が僅かに揺れる。
窓の向こうでは黒煙が立ち上り、けたたましい轟音があちこちから鳴り響いていた。
静寂に包まれていたはずの魔王城は、瞬く間に混乱へと叩き込まれる。
「ほ、報告です!」
慌ただしい足音とともに、半人馬の青年が大広間へ駆け込んできた。
顔は青ざめ、息も荒い。
「勇者が攻め込んできました!」
その一言で、広間が騒然となった。
「もう外城を突破されたのか!?」
「第二防衛線は!?」
「たった今、連絡がありました!
第二防衛線も、すでに突破されています!」
半人馬の青年は息を整える暇もなく、震える声で続けた。
「勇者はそのまま主城へ向かっています!
途中で誰も止められません!」
その言葉を聞いた老いた獣人の長老が、ゆっくりと目を閉じた。
「……なんということだ」
重い溜息が漏れる。
広間にいた者たちの視線が、一斉に獣人の長老へ集まった。
「よりにもよって、この時代に……あれほどの勇者が現れるとはな」
「勇者になってから、まだ数年しか経っていないというのに……
奴は人間の国の国境を完全に安定させてしまった」
「昔なら、魔族が森を越えて国境の村を襲うこともあった。
だが今では、近づくことすらできん」
獣人の長老は、遠くの窓へ目を向けた。
「それだけではない。
人間どもは、国境を取り戻しただけでは飽き足らず……
古代に残された転移門まで再び使えるようにした」
「王都と国境との距離は、一気に縮まった。
勇者は少しずつ前線を押し上げ、かつて人間の領土だった土地を次々と奪い返した。
そして、新たな国境には巨大な要塞まで築いた」
獣人の長老の声が、重く響く。
「今では転移門を使って国境まで兵を送り、そこから要塞まで二日。
魔境の入口を越えれば……
最短で一日もあれば、魔王城まで兵を進められる」
獣人の長老は、力なく笑った。
「前の世代に比べれば……
魔王城は、人間のすぐ目の前だ」
大広間が静まり返った。
誰も反論しなかった。
ここ数年。
彼らは、人間の勢力が少しずつ魔境へ迫ってくる様子を、ずっと目の当たりにしてきたのだから。
魔族が弱くなったわけではない。
ただ――
あの勇者が、あまりにも強すぎるのだ。
獣人の長老は俯いた。
「もしかすると……
今日、我々の世代で魔族の歴史が終わるのかもしれんな」
「――終わらせない」
冷たい声が、その言葉を遮った。
全員が一斉に振り向く。
王座に座っていた女が、ゆっくりと立ち上がっていた。
漆黒の長髪が、動きに合わせて静かに揺れる。
鮮紅色の瞳には、微塵の揺らぎもない。
「誰にも、魔国を滅ぼさせはしない」
ヴェラは腰に差した剣へ手を伸ばした。
「来たというのなら――私が直接、追い返す」
そう言うと、彼女は一切の迷いなく大扉へ向かって歩き出した。
重厚な扉が、轟音とともに開かれる。
廊下を進むにつれて、外から聞こえてくる怒号と剣戟の音が、次第に大きくなっていく。
そして――
中庭へ足を踏み入れた、その瞬間だった。
ヴェラが足を止める。
中庭の中央。
そこに、一人の青年が立っていた。
白金色の短髪。
戦闘による砂埃で軽鎧は汚れている。
手には、抜き身の長剣。
その周囲には、傷つき、戦う力を失った魔族の兵士たちが何人も倒れていた。
それでも――
青年の蒼い瞳は、驚くほど穏やかだった。
まるで、ヴェラがここへ現れることなど最初から分かっていたかのように。
二人は、十数歩の距離を挟んで向かい合った。
その後ろから中庭へ出てきた獣人の長老は、目の前の青年を見て、思わず目を見開いた。
「……あれが?」
もっと長年戦場を駆け抜けてきた、屈強な戦士を想像していた。
だが、目の前にいるのは――
まだ少年の面影すら残した、若い青年だった。
「……随分と若いな」
半人馬の青年が頷く。
「以前、調べたことがあります」
「勇者は、十五歳になるまでの記録がほとんどありません」
「聖女に連れられて王国へ来るまでの間は、
魔境東部にある山で暮らしていたそうです」
獣人の長老の目が僅かに見開かれる。
「魔境東部の山……?」
「はい」
半人馬の青年は続けた。
「そこは――古竜アルドラス様の住処です」
獣人の長老は、改めてエリオスを見る。
「……なるほど」
そこで、ようやく気づいた。
先ほどから感じていた、どこか懐かしい気配。
「だからか……」
視線が、エリオスへ向けられる。
「奴から、古竜の気配がするのは」
半人馬の青年が苦笑した。
「俺は昔から古竜様に憧れていましてね。
それで、あの辺りの資料を調べたことがあるんです」
「まさか……」
半人馬の青年もエリオスを見る。
「勇者が、あの場所で暮らしていたなんて……」
その会話が続く中。
中庭の中央では、エリオスが僅かに首を傾げていた。
「……君が魔王?」
ヴェラは答えなかった。
ただ、ゆっくりと右手を掲げる。
次の瞬間――
――ドォォォン!
凄まじい魔力が一気に膨れ上がった。
空中に無数の紅い魔法陣が展開される。
そこから噴き出した炎が、四方八方からエリオスへ襲いかかった。
エリオスの瞳が僅かに細くなる。
「……初対面から本気かよ」
左手を前へ突き出す。
淡い青緑色の魔力が瞬時に広がった。
地面から半透明の巨大な障壁がせり上がる。
――轟!!
炎と障壁が激突した。
凄まじい爆発音が中庭全体を揺らす。
衝撃波が吹き荒れ、周囲の石柱に次々と亀裂が走った。
だが――
まだ炎が消えきっていない。
その向こうから、無数の氷槍が降り注いだ。
「っ!」
エリオスが地面を蹴る。
その姿が、一瞬で掻き消えた。
次の瞬間。
無数の氷槍が地面へ突き刺さる。
分厚い石畳が次々と砕け散った。
そして――
エリオスは、すでにヴェラの目の前にいた。
長剣を振り抜く。
――キィン!
ヴェラも即座に剣を抜き、その一撃を正確に受け止めた。
刃と刃が激突し、火花が散る。
二人は同時に後方へ跳んだ。
だが、間を置くことはない。
再び、互いへ向かって駆け出す。
剣閃と魔法が交錯する。
雷光。
炎。
氷。
次々と魔法が中庭を駆け抜け、そのたびに地面が激しく揺れた。
半人馬の青年は、もはや呆然と見つめることしかできない。
「は、速すぎる……!」
目を見開いても、二人の姿を追い切れない。
ただ白金色と黒色の影が、絶え間なく交差しているようにしか見えなかった。
獣人の長老が低い声で呟く。
「あの少年、剣の腕は魔法ほどではないな……だが―― 」
次の瞬間。
再び二本の剣が激突した。
キィン!
その一瞬。
エリオスの左手では、すでに別の術式が完成していた。
「――そこだ!」
風が唸る。
無数の風の鎖が空気を切り裂き、ヴェラへと飛びかかった。
ヴェラは身体を捻ってそれをかわす。
同時に、反対の手を振り抜いた。
雷光が走る。
「――っ!」
エリオスは咄嗟に障壁を展開した。
雷撃が障壁へ叩きつけられ、軌道を逸らされる。
そのまま二人は距離を詰める。
剣。
魔法。
再び剣。
そして魔法。
戦いは、一瞬たりとも止まらなかった。
数十回もの攻防を繰り返した頃。
エリオスは、あることに気づいた。
――おかしい。
魔王の魔法は強い。
いや、強いなんてものではない。
最初に放った魔法だけでも、並の魔導士なら到底扱えないほどの威力だった。
なのに――
それ以降、彼女は同じ規模の魔法をほとんど使っていない。
エリオスは剣を振り抜き、ヴェラを後方へ弾き飛ばす。
その隙に、思わず声をかけた。
「なあ!」
ヴェラが着地する。
「さっきみたいな魔法、なんで使わないんだ?」
ヴェラは答えなかった。
ただ静かに息を整える。
そして――
彼女の身体から、漆黒の魔力が四肢を覆っていく。
次の瞬間。
ヴェラの姿が掻き消えた。
「――っ!」
エリオスが剣を構える。
轟音とともに、ヴェラが凄まじい速度で間合いへ飛び込んできた。
その剣を、エリオスは辛うじて受け止めた。
――ギィン!
腕に衝撃が走る。
先ほどまでとは、明らかに違う。
力も、速さも、桁違いに上がっている。
エリオスは剣を押し返しながら、胸の内で疑問を深めていく。
――魔王なら、もっと強力な魔法が使えるはずだ。
最初に見せたあの魔法。
あれを連発されたら、さすがに厄介だ。
なのに、どうして……。
わざわざ自分と同じ距離まで近づいて――
剣で戦う?
エリオスには、それがどうしても理解できなかった。




