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勇者は魔王討伐より、魔国づくりで忙しい。  作者: 雪沢 凛


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第45話 勇者、一人で十分だ

 空が白み始めたばかりの早朝、遠征軍は再び隊列を整え始めた。


 休息は十分とは言い難く、兵士たちはまだ疲労の色が残っている。

 それでも、前線の状況はいまだ不明なままだ。

 これ以上待ち続ける者はいなかった。


 エリオスは馬のそばに立ち、

 すでに集合を終えた騎士たちを見渡していた。


「殿下、俺たちは先に行きます」


 第三王子が目を瞬かせる。

「僕たちが?」


「そうです」

 エリオスは、出発の準備を整えている騎士たちを指差した。

「機動部隊を率いて、先に前線へ向かいます」


 そこへ団長が歩み寄ってきた。

「勇者様、何人ほど連れていくおつもりですか?」


「百人くらい。

 それと、治療師を何人か」


 第三王子は、その部隊を見た。

「それだけか?」


「前線が今どうなっているのか、まだ分からないからな。

 人数を増やしすぎると、かえって足が遅くなる」


「だが、相手は魔族だぞ」


「だからこそ、急ぐんだ」

 エリオスは馬にまたがった。

「それに、この百人は殿下を守るためですから」


 第三王子はわずかに眉をひそめた。

「では、勇者は?」


 エリオスは自分自身を指差した。

「俺?」

 そして、当然のことを言うような顔で答えた。

「俺一人で十分ですよ」


 第三王子はエリオスを見つめ、何か言い返そうとしたようだった。

 だが、結局は何も口にしなかった。


 団長も、それ以上止めようとはしなかった。

「主力軍は予定どおりの道を進みます。

 我々も、できるだけ早く追いつきます」


「分かりました」

 エリオスは手綱を引いた。

「前線で会いましょう」


 そう言って、エリオスは第三王子と機動部隊を率い、先に出発した。



 野営地を出て間もなく、二つの隊列の距離は急速に開いていった。


 主力軍は隊列を維持しなければならず、物資や馬の面倒も見なければならない。

 行軍速度がそう簡単に上がらないのは当然だった。


 しかし、エリオスたちの部隊は違う。

 物資に足を引っ張られることもなく、騎士ばかりで構成されている。


 馬蹄の音は、すぐに森の中で一つの大きな響きとなった。


 第三王子はエリオスの隣を走っていた。

「これほど急いで、本当に大丈夫なのか?」


「俺たちは散歩に来たわけじゃないんですよ」

 エリオスはそう答えると、ふいに顔を上げた。

「前に何かいる」


 言葉が終わるより早く、森の中からいくつもの影が飛び出してきた。

 騎士たちが剣を抜こうとする。

 しかし、エリオスはすでに手を掲げていた。


「止まらなくていい」


 彼の掌に、淡い魔力が集まる。

 次の瞬間、風の刃が道の前方を駆け抜けた。

 数体の魔獣は近づくことすらできず、その場で叩き伏せられた。

 隊列は、少しも速度を落とさなかった。


 第三王子は振り返り、道端に倒れた魔獣を見た。


「……」


 エリオスは、まるで何事もなかったかのように前へ進み続けている。

 さらにしばらく進むと、森は一段と深くなっていった。


 その時、前方から重々しい咆哮が響いた。

 大地が揺れる。


「これは……」

 騎士たちが顔を上げた。


 木々の間から、巨大な影が姿を現す。

 太い腕。巨大な身体。そして、その手に引きずられた石斧。


「トロールだ!」

 隊列の中から、誰かが叫んだ。


 第三王子の表情も険しくなる。

 彼は、エリオスから聞かされていた話を思い出していた。

 魔境の奥へ進んだ後、厄介なのは魔獣だけではない。

 こうしてトロールもまた、危険な存在なのだ。


「エリオス!」


 注意を促そうとした、その時だった。

 エリオスはすでに手を伸ばしていた。


「止まらなくていい」


 次の瞬間、森の中を暴風が吹き荒れた。

 トロールが手にした石斧を振り上げる暇すらなかった。

 凄まじい風圧に押し飛ばされ、その巨体が宙を舞う。


「……」


 トロールは遠くの木の幹へと激突した。

 身じろぎすることさえできず、そのまま地面へと崩れ落ちる。


 エリオスは手を下ろした。

「そのまま進みましょう」


 隊列全体が、しんと静まり返った。

 第三王子は遠くに倒れたトロールを見てから、

 隣にいる勇者へと視線を移した。


「……これが、『大した問題ではない』というやつか?」


 エリオスは少し考えた。

 「一体だけだっただろ?」


 隊列はそのまま、馬を走らせて先へ進んでいく。

 しかし、第三王子はゆっくりと視線を戻した。


 エリオス一人だけなら、この部隊は道の掃除にそれほど時間をかける必要がない。

 魔獣に遭遇すれば、彼がその場で処理する。

 トロールが現れても、彼が叩き伏せる。

 本来なら部隊全体が警戒しなければならない危険でさえ、

 エリオスの前では一瞬の出来事にすぎない。


 第三王子は理解した。


 この部隊の本当の速度を決めているのは、百人の騎士ではない。

 エリオスなのだ。


 第三王子は、前を走る背中を見つめた。

 自分が彼についていくことに、本当に意味はあるのだろうか。


 そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。

 だが、その考えが、彼に初めて強く実感させた。

 もしかすると、自分こそが彼の足を引っ張っているのではないか、と。


 隊列は、ひたすら疾走を続けた。


 エリオスは、自分が馬や仲間たちにごく薄い風魔法をかけ続けていることを、あえて説明しなかった。

 強い魔力を使っているわけではない。

 ただ、馬の足取りを少し軽くし、長時間の行軍による疲労をわずかに和らげているだけだ。

 やがて前方の森が次第にまばらになり、遠くに人間が設置した哨所が見えてきた。


「着いたな」


 エリオスが手綱を引く。

 後ろの騎士たちも、次々に速度を落とした。


 第三王子は周囲を見渡した。

「予想していたより、ずいぶん早かったな」


「俺もそう思います」

 エリオスは笑ったが、それ以上は何も説明しなかった。


 一行はすぐに前線拠点へと到着した。


 前線の指揮を執っていた指揮官は、こちらへ向かってくる一団を見て、明らかに驚いた様子を見せた。

 そして、すぐに駆け寄ってくる。


「勇者様? 第三王子殿下?」

 指揮官は二人の背後を見た。

「どうしてこんなに早く到着されたのですか?」


 エリオスは答えず、すぐに尋ねた。

「前線は今、どうなってる?」


「現在のところ、まだ安定しています」

 指揮官の表情も、わずかに緩んだ。

「追撃部隊も、すでに戻ってきました」


 第三王子がすぐに問いかける。

「伏撃を受けた時の状況は?」


「我々が当初想定していたほど、深刻なものではありませんでした」

 指揮官は二人を拠点の中へと促した。

「鬼族はすぐに撤退を始めました。

 追撃部隊は伏撃を受けた後、ただちに停止し、それ以上は深入りしておりません。

 多少の被害は出ていますが、完全に包囲されたわけではありません」


 エリオスは頷いた。

「負傷者は?」


「すでに治療師が処置しています。

 重傷者は少なく、大半は軽傷です」

 指揮官は一度言葉を切った。

「ですので、

 前線は今のところ、まだ維持できています」


 第三王子は周囲を見渡した。

 兵士たちは装備を整え直している。

 野営地の端で休んでいる者もいれば、治療師から傷の手当てを受けている兵士もいた。

 確かに、大敗を喫した直後のようには見えない。


 エリオスも、わずかに安堵の息を吐いた。

「それならよかった」


 しかし、指揮官はどこか不思議そうな顔をした。

「ところで……主力軍は?」


 エリオスは来た道を振り返った。

「まだ後ろです」


「後ろ?」

 指揮官が目を丸くする。

「勇者様たちは、主力軍と一緒に出発されたのでは?」


「俺たちは先に――」


 エリオスが説明しようとした、その時だった。

 遠くから、慌ただしい馬蹄の音が響いてきた。

 その場にいた全員が、一斉に音のした方向へ振り向く。


 伝令兵が、哨所へ向かって猛然と馬を走らせ、

 慌てた様子でこちらへ駆けてくる 。


「報告!」

 その声には、明らかな息切れが混じっていた。

「主力軍が……鬼族の襲撃を受けました!」

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