第41話 勇者、魔王と森で密会する
エリオスは、小蝙蝠の後を追いながら、林の奥へと進んでいた。
最初は、ただ自分のところへ戻りたくて仕方がないのだろうと思っていた。
だが、小蝙蝠の行動は、いつもと少し違っていた。
普段のように真っすぐこちらへ飛んでくるのではなく、少し飛んでは立ち止まり、振り返ってこちらの様子を確認する。
そして、エリオスがついてきていることを確かめると、また前へ進んでいくのだ。
「……いったいどこへ連れていくつもりだ?」
小蝙蝠は答えることなく、さらに奥へと飛んでいく。
エリオスも、仕方なくその後を追った。
やがて、小蝙蝠がふわりと降下した。
だが、それを受け止めたのはエリオスの手ではなかった。
黒い手袋をはめた手だった。
エリオスは足を止める。
木々の影に立っていた人物は、黒いローブをまとい、フードを深くかぶっていた。
顔の大半は隠れている。
それでも、エリオスには一目で分かった。
「ヴィラ?」
エリオスは、すぐに彼女のもとへ歩み寄った。
「どうしてここに? ここは危険ですよ」
ヴィラは顔を上げ、何か答えようとした。
だが、次の瞬間、彼女の視線がエリオスの姿に止まった。
二人の距離が、あまりにも近かったのだ。
ヴィラは、そこで初めてそのことに気づいたようだった。
慌てて、半歩後ろへ下がる。
エリオスも、わずかに戸惑った。
そこでようやく、二人は互いの姿をしっかりと見つめ合った。
そして、しばらくして――
ヴィラの顔が、真っ赤になった。
彼女は手を上げ、エリオスの耳元を指差す。
「エリオス……」
指先が、かすかに震えていた。
エリオスは首を傾げる。
「どうしたんです?」
ヴィラは、エリオスの耳飾を凝視していた。
その顔は、みるみる赤くなっていく。
「……身につけておけと言ったわけではないでしょう!」
「え?」
言葉が終わるや否や、ヴィラが突然、エリオスに飛びかかってきた。
「ちょっと――」
エリオスは反射的に一歩後ろへ下がる。
その隙に、ヴィラが彼の耳元へ手を伸ばした。
小蝙蝠は、空中で何度か宙返りをすると、慌てて再び飛び上がった。
「ヴィラ、まず落ち着いてください!」
「それを返しなさい!」
「なんでですか?」
「私のものだからよ!」
二人はしばらく、木々の間で耳飾をめぐって揉み合った。
やがてエリオスは、ようやくヴィラの手首をつかんだ。
「ちょっと待ってください。
何が問題なのか、先に説明してくれませんか?」
ヴィラはそこで初めて、二人の距離が先ほどよりもさらに近くなっていることに気づいた。
彼女が、慌てて背筋を伸ばした。
「……もちろん問題があるわ」
ヴィラは顔をそむけた。
「他人の一部を身につけている人間なんて、どこにいるのよ」
「いや、普通にいると思いますけど……」
エリオスは耳元に触れ、耳飾がまだそこにあることを確かめた。
「それより、今はそんなことを話している場合じゃないでしょう。
君がここに来るべきじゃないんです」
ヴィラは答えなかった。
俯いたまま、しばらく黙っている。
やがて、小さな声で呟いた。
「……欲しい」
「え?」
エリオスには意味が分からなかった。
「何がです?」
ヴィラは顔を上げた。
「私も欲しいの」
「だから、何を?」
「あなたの身体」
「俺の身体?」
エリオスは、ぽかんとした。
ヴィラは彼を見つめる。
「切り取って」
「……何を切り取るんですか?」
エリオスの目が、瞬時に見開かれた。
「ちょっと待ってください。
どうして急に何かを切り取る話になるんです?」
ヴィラの顔が、さらに赤くなる。
「私も、あなたの身体についているものが欲しいのよ」
「俺は君みたいに角があるわけじゃないんですよ」
エリオスは反射的に自分の頭へ手をやった。
「まさか、俺の身体から何かを折って渡すわけにもいかないでしょう?」
ヴィラはしばらく黙っていた。
「……なら、髪」
「髪?」
エリオスは困惑した表情を浮かべる。
「俺の髪なんか、何に使うんです?」
「……」
ヴィラは答えず、再びエリオスの耳元にある角――黒い耳飾を指差した。
「それを渡さないなら、返しなさい」
エリオスは彼女を見つめた。
しばらくして、諦めたように口を開く。
「分かりました。あげますよ」
ヴィラの目が、わずかに輝いた。
だが、エリオスはすぐに言葉を続けた。
「ただし、今じゃありません」
「どうして?」
「少し準備する時間をください」
「絶対よ」
「分かっています」
エリオスは、仕方なくもう一度頷いた。
「約束します。後でちゃんと渡しますから」
それを聞いて、ヴィラはようやく少し落ち着いた。
エリオスは彼女を見つめ、そこでようやく、本来の目的を思い出した。
「それはそうと……」
彼は、周囲の暗い森へ視線を向ける。
「わざわざこんなところまで来たんです。
まさか、今の話をするためだけじゃないですよね?」
「ええ」
ヴィラはようやく先ほどまでの表情を引っ込め、真剣な顔つきになった。
「西境領主からは、まだ何の知らせもないわ。
説得に向かった者たちは、すでに現地に到着している。
でも、相手からの返答はない」
エリオスも笑みを消した。
「今、あいつがどうするつもりなのか分からないんですね」
ヴィラは頷いた。
「人間の先行部隊は、すでに西部領へ入っている。
おそらく、迎撃の準備も始まっているでしょう。
西境領主が自分の領地だけで対処するのなら、
まだ取り返しのつかない事態にはならないかもしれない……
でも、もし彼がほかの魔族に援軍を求めたら……」
エリオスはしばらく黙り込んだ。
西境領主がほかの魔族に援軍を求めれば、
もともとは一人の領主を討伐するためだった戦いが、
魔族と人類の本格的な戦争へと発展する可能性がある。
「俺に、どうしてほしいんです?」
「少なくとも、彼の考えが分かるまでは、
すぐに手を出さないでほしい」
「もし、向こうから仕掛けてきたら?」
「……その時は、
あなた自身の判断に任せるわ」
エリオスは、しばらくヴィラを見つめた。
「その時は、その時で考えます。
今の段階で、あいつの結末を先に決めることはできませんから」
そう言って、腰の剣に手を添える。
「本当に遭遇したら、まずは状況を見ますよ」
ヴィラは彼を見つめていた。
やがて、静かに頷く。
「……分かったわ」
エリオスがさらに何かを言おうとした、その時だった。
突然、彼は口を閉ざした。
そして顔を上げ、ここまで来た方角へと視線を向ける。
「誰か来ます」
ヴィラも、すぐに振り返った。
「なら、私は先に行くわ」
彼女が立ち去ろうとしたところで、エリオスは首を横に振った。
「いや、いいです」
「でも――」
「今ここで離れたほうが、かえって怪しまれます」
エリオスは、遠くから近づいてくる松明の明かりを見た。
「それに、そのまま出ていったほうが、よほど怪しいでしょう?」
ヴィラは自分の黒いローブを見下ろした。
「……」
どうやら、今の自分の格好をようやく思い出したらしい。
「では、どうすればいいの?」
エリオスは彼女を見つめ、ふっと笑みを浮かべた。
「簡単ですよ。俺の隣に立っていればいいんです」




