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勇者は魔王討伐より、魔国づくりで忙しい。  作者: 雪沢 凛


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第25話 勇者、王都に足止めされる

 エリオスは勢いよく目を覚ました。

 陽の光が、すでに窓から部屋へ差し込んでいる。

 ほとんど反射的に身を起こした。


「まずい……」


 昨夜、宿舎へ戻った時は、すぐに王都を出るつもりだった。

 城外に待たせてある小蝙蝠を見つけさえすれば、魔王城へ知らせを送ることができる。


 昨夜の国王の言葉で、エリオスにも分かっていた。

 王国の次なる目標は、もはや単なる失地の奪還ではない。

 各地の領主を討伐する段階へ入ったのだ。


 このことは、魔王にも伝えなければならない。

 ただ警告して備えさせるためだけではない。


 王国が方針を変えた今、魔王がこれからどう動くつもりなのか――それを知りたかった。


 だが、結局エリオスは王都を出ることができなかった。


 昨夜、国王との話が終わった後も、国王は彼を帰そうとはしなかった。

 それどころか、笑いながら肩を叩いた。


「今宵は出陣前の壮行会だ。主役が先に帰ってどうする?」


 エリオスが口を挟む暇もなく、国王は彼を再び宴会の人々の中へ連れていった。


「ほら、余と一杯付き合え」


 それから一晩中、ほとんど休む暇はなかった。

 国王に連れられて宴会場を回り、各地の貴族たちに一人ずつ挨拶をする。


 時折、西部遠征の話をしたり、これから第三王子を支えてほしいと頼んだりもしていた。

 当然、エリオスも人々の中心に置かれた。


 乾杯。

 挨拶。

 祝福。

 一杯、また一杯。


 何とか抜け出す隙を探していたが、そのたびに誰かが声を掛けてくる。

 第一王子、第二王子も次々と加わった。

 三人の王子が一堂に会する機会など滅多にない。

 貴族たちが次々と挨拶や乾杯に訪れたのも当然だった。


 ようやく解放された時には、すでに夜も深くなっていた。

 少し休んでから、夜のうちに王都を出よう。


 そう思っていた。

 だが、次に目を開けた時には――もう朝だった。


 エリオスは急いで着替え、佩剣を掴むと宿舎を飛び出した。

 小蝙蝠が城外にいるのなら、今から急げばまだ間に合うかもしれない。


 しかし、城門へ到着したところで、二人の守衛騎士が駆け寄ってきた。


「勇者様」


 エリオスは足を止める。

「ちょっと王都の外へ出たいんだけど」


 二人の騎士は顔を見合わせ、困ったような表情を浮かべた。

「申し訳ございません」


「陛下より昨夜、遠征が正式に出発するまで、勇者様を単独で王都から出してはならないとの命令を受けております」


 エリオスは僅かに眉を寄せた。

「近場も駄目なのか?」


「はい」


「陛下のお言葉では、勇者様の当面の最優先任務は、第三王子殿下を無事に国境要塞までお送りすること。

 そのため、遠征開始前に陛下、もしくは三人の王子殿下全員からの許可がない限り、勇者様を王都の外へお出しすることはできません」


 エリオスはしばらく黙っていたが、それ以上二人を困らせることはしなかった。

「分かった」


 城門に長居はしなかった。


 国王が俺を先に王都の外へ出すことを許さないのなら、別の方法を探すしかない。

 エリオスは踵を返し、そのまま魔導塔へ向かった。


 早朝の魔導塔は、相変わらず忙しかった。

 若い魔導士たちが分厚い資料を抱えて行き交い、エリオスの姿を見ると次々に足を止めて頭を下げる。


「勇者様」


 エリオスは笑って頷き、勝手知ったる様子で螺旋階段を下っていく。

 まだ扉まで辿り着いていないというのに、扉のほうが先に開いた。


 魔導塔の主が、まるで彼が来ることを知っていたかのように、茶杯を手に立っていた。

「どうやら今日は、お茶を飲みに来たわけじゃなさそうね」


 エリオスは苦笑する。

「やっぱり先生には何でもお見通しか。転移陣を借りたい」


「残念だけど、駄目よ」


 エリオスは目を瞬かせた。

「……どうして?」


 魔導塔の主はすぐには答えず、机の前まで歩いて茶杯を置くと、一通の封書を手に取った。


「昨夜、届いたものよ」

 そう言って、封書を差し出す。


 エリオスは受け取ると、封蝋に刻まれた王家の紋章を見て、すぐに察した。


「つまり……」

 魔導塔の主がようやく彼を見る。

「あなた、もともとどこへ行くつもりだったの?」


「国境要塞」

 エリオスは平然と答えた。

「正式に出発する前に、西部の状況を見ておきたかったんだ」


 書状の内容は簡潔だった。


 ――遠征開始まで、魔導塔は転移陣を使用し、勇者を王都の外へ転送してはならない。

 署名は、第二王子。


 エリオスは思わず苦笑した。

「昨日は、魔導塔にできることなら何でも支援すると言っていたのに。

 どうやら、何でもってわけじゃなかったみたいだな」


 魔導塔の主は彼をちらりと見る。

「あなたを助けたくないわけじゃないわ。

 陛下が第三王子をあなたに託した以上、あなた一人で先に西部へ行かせるわけにはいかないでしょう」


 エリオスは反論しなかった。

 第二王子の立場からすれば、この命令は確かに筋が通っている。


 ただ――。


 エリオスはしばらく黙り込み、無意識に左耳の耳飾りに触れた。


 魔導塔の主は、静かに彼を見つめていた。

 どうも、目の前の弟子はまだ何かを隠しているような気がする。


 だが、彼女は追及しなかった。

 長年付き合ってきたからこそ分かる。

 エリオスが話したくないことを、いくら聞いたところで答えは返ってこない。


 エリオスは手を下ろし、静かに息を吐いた。



 魔導塔を出た後、エリオスはすぐに宿舎へ戻らず、庭園の小径をゆっくり歩いていた。

 しばらくすると、背後から聞き慣れた声がした。


「勇者様」


 エリオスが振り返る。

 ソフィアが、数名の神官を連れてこちらへ歩いてきていた。


「姉……聖女様」


 ソフィアは彼の前で足を止め、軽く一礼する。


「ちょうどよかったです」

 エリオスは笑った。

「教会のほうも遠征の準備を始めたのか?」


 ソフィアは少し黙ってから、告げた。

「今回……私は同行できません」


 エリオスは僅かに目を見開いた。

 勇者と聖女が共に魔境討伐へ赴く。

 それが、この王国では昔からの慣例だった。

 今回の遠征にも、ソフィアは同行するものだと思っていた。


 一人の年長の神官が一歩前へ出て、淡々と説明する。

「勇者様。

 教会としても、当初は聖女様を同行させる予定でした。

 しかし昨夜、宴会が終わった後、第一王子殿下が自ら教会を訪問されました」


 エリオスは僅かに眉を寄せる。

 神官はそのまま続けた。


「殿下は、勇者様が以前から一貫して、

 聖女様を危険な場所へ同行させるべきではないと主張されている以上、

 教会もその判断を尊重すべきだとお考えでした。

 それに、聖女様が王都に残れば、祈祷の儀式を執り行い、遠征軍のために神の加護を祈ることもできます。

 教会は最終的に、殿下の提案を受け入れました」


 エリオスは目の前の者たちを見つめたまま、しばらく何も言わなかった。

 剣の柄を握る手に、いつの間にか力が入っている。


 ――あいつらは、俺を警戒しているのか。それとも第三王子を警戒しているのか。


 やがて、エリオスは小さく息を吐き、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。


「……確かに俺がそう言ったんだ。

 なら、教会の決定に従おう」


 年長の神官が軽く頭を下げる。

「ご理解いただき、ありがとうございます」


 神官たちが脇へ退いた後も、ソフィアだけはその場を離れなかった。

 彼女はエリオスを見つめ、尋ねる。


「勇者様……何か悩み事があるのではありませんか?」


 エリオスは僅かに目を瞬かせ、それから笑って首を横に振った。

「ただ、今回の遠征は今までとは少し違うなって思ってるだけだ」


 遠くへ視線を向け、少し間を置いてから続ける。


「第三王子は、まだ本当の意味で前線に立ったことがない。

 もし西部領主と戦うことになったら、聖女が同行してくれたほうがいい。

 万が一、殿下が負傷しても、すぐに治療できる人がいる。

 そうすれば、俺も安心して戦えるからな」


 ソフィアはしばらく黙っていた。

 そして、何かを決意したように口を開く。


「私から、もう一度第一王子殿下へお願いしてみます」


 エリオスには分かっていた。


 もしソフィアが本当に同行するとなれば、第一王子が、何の条件もなく認めるはずがない。

 教会も、エルウィン伯爵家も、それ相応の代償を払わなければならなくなる。


 そう考えたエリオスは、すぐに笑って手を振った。


「やめておこう。もう教会が決めたんだ。

 俺のために予定を変える必要はない」

 ソフィアを見つめ、穏やかな笑みを浮かべる。

「王都に残って、俺たちのために祈ってくれ」


 ソフィアは静かに頷いた。

「分かりました」


 エリオスは軽く手を振り、その場を後にした。


 だが、皆に背を向けた瞬間。

 その笑顔が、ゆっくりと消えていく。


 ――もし祈りだけで本当に誰かを救えるのなら。

 俺は、勇者になんてなっていない。

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