第24話 勇者、西部討伐へ向かう
侍従が声高らかに告げた。
「国王陛下――入場!」
賑わっていた宴会場が、一瞬にして静まり返る。
貴族たちは一斉に振り返り、大扉へ視線を向けた。
一人の男が王衣をまとい、皆の視線を受けながらゆっくりと大広間へ入ってくる。
歳月によってこめかみには幾筋かの白髪が混じっているものの、一国の王たる威厳は少しも損なわれていない。
濃い青色の短髪はきちんと整えられ、その深い青の瞳は落ち着きと重みを湛えている。
ただ静かに宴会場へ足を踏み入れただけで、それまで談笑していた者たちは自然と息を潜めた。
その後ろには、二十歳ほどの青年が一人続いている。
「第三王子殿下――入場!」
青みがかった短髪に、王族の礼服を身にまとっている。
立ち居振る舞いは端正だが、二人の兄たちが長年政局を渡り歩く中で身につけたような余裕はない。
エリオスの視線が、自然と第三王子へ向けられた。
魔力の流れが、ほとんど感じられない。
歩き方も軽く、長年剣を振ってきた者のものには見えない。
軍事訓練を受けた騎士とも違う。
むしろ、普段は王宮からほとんど出ることのない人物のように思えた。
エリオスはそれ以上考えることなく、皆と共に一礼する。
「国王陛下に、御礼申し上げます」
国王は軽く頷き、宴会場全体を見渡した。
「今宵、皆とこうして一堂に会することができ、余は嬉しく思う」
その声は落ち着いて力強い。
決して大きくはない。
それでも、宴会場にいる全員の耳へはっきりと届いた。
「近年、我が王国が徐々に失地を奪還できているのは、
前線で血を流して戦う兵士たちの力だけではない。
神殿、魔導塔、そしてここにいる諸侯の尽力があってこそだ」
「余から、皆に礼を言おう」
宴会場に拍手が響き渡る。
国王が手を上げると、すぐに静寂が戻った。
そして、その視線がエリオスへ向けられる。
「勇者」
エリオスは人々の間から歩み出ると、片膝をついた。
国王はゆっくりと口を開いた。
「西部戦線では、ここ最近、新たな進展があった。
余は本日より、討伐作戦を次の段階へ進めることを決めた 」
宴会場が、再び静まり返る。
誰もが分かっていた。
これから国王が下す命令が、今後の王国の情勢を大きく左右することを。
国王は隣へ視線を向けた。
「第三王子」
「はっ」
第三王子が一歩前へ出る。
その表情には、まだ戸惑いが残っていた。
「そなたを西部討伐軍の指揮官に任じ、西部戦線へ向かわせる」
その言葉が落ちた瞬間。
宴会場に、抑えきれないざわめきが広がった。
第一王子と第二王子は表情を変えなかった。
だが、その瞳には同時に驚きの色が浮かんでいる。
明らかに、この命令は事前に話し合われていたものではない。
そして何より――第三王子本人が、その場に立ち尽くしていた。
その顔に浮かんだ驚愕は、どう見ても演技には見えなかった。
国王は続けて、未だ跪いているエリオスへ視線を向けた。
「そなたには第三王子に同行し、討伐を成功へ導いてもらいたい」
「承知いたしました」
エリオスは頭を下げた。
その目の端では再び第三王子を見ていた。
ようやく分かった。
先ほどから感じていた違和感の正体が。
目の前の王子は、決して武芸に疎いわけではない。
だが、長年戦場に立ってきた者には見えなかった。
少なくとも、勇者であるエリオスの目から見れば、この男は一度として本当の意味で生死を懸けた戦場を経験していない。
その時、国王が一歩前へ出た。
そして宴会場全体を見渡し、声を張り上げる。
「皆の者!」
ざわめいていた貴族たちは、再び口を閉ざした。
「今回の西部討伐は、ただ失地を取り戻すためだけのものではない」
「王国のすべての民に、証明するためのものでもある」
「人間は、前へ進み続ける」
「王室もまた、最前線に立つのだ」
国王の声が、宴会場全体に響き渡る。
「皆も、この討伐の行方を見届けてほしい。
そして彼らの――凱旋を祈ってくれ!」
宴会場が、熱烈な拍手に包まれた。
「第三王子殿下の武運長久を!」
「勇者様のご武運を!」
「王国にさらなる勝報を!」
祝福の声が次々と上がり、宴会の熱気は一気に最高潮へ達した。
エリオスは立ち上がり、周囲へ軽く一礼する。
だが貴族たちは、すでに互いに顔を寄せ合い、囁き始めていた。
第三王子が初めて軍を率いることへの驚き。
そして、これが王位争いに新たな変化をもたらすのではないかという憶測。
そんな喧騒の中、一人の見慣れた姿が人混みを抜けて、こちらへ近づいてきた。
魔導塔の主だった。
手には相変わらず酒杯を持ち、いかにも面白いものを見つけたと言わんばかりの笑みを浮かべている。
彼女はエリオスを見ると、口元を軽く吊り上げた。
その表情は、まるでこう言っているようだった。
――これは面白くなってきたわね。
エリオスは呆れたように笑った。
その時、一人の侍従が早足で近づいてくる。
「勇者様、陛下がお呼びです」
エリオスは、未だ小声で話し続ける人々の間を抜け、宴会場の一角へ向かった。
そこでは国王が大きな窓の前に立っていた。
傍にいた数人の大臣たちは、エリオスの姿を見ると察したように脇へ退いた。
第三王子もそこにいた。
ただ、その表情にはまだ戸惑いが残っている。
先ほどの命令を、未だ完全には受け入れられていないようだった。
エリオスは歩み寄り、軽く一礼する。
「陛下」
国王は微笑み、エリオスの肩を軽く叩いた。
「そう畏まるな。先ほどの命令には、さぞ驚いただろう」
国王は窓の外を眺めながら、ゆっくりと続けた。
「そなたが軍を率いて魔王城へ攻め込んだ時、余は人類の勝利はそう遠くないと思っていた。
だが、あれから二年が経った。
それでも、この戦争は終わっていない」
エリオスは答えなかった。
国王が自分を責めているわけではないことは分かっている。
国王は続けた。
「そなたは、この数年間よくやってくれた。
一歩ずつ失地を取り戻し、一歩ずつ魔族を追い詰めてきた。
余は一度たりとも、そなたの力を疑ったことはない。
だが、余もこれ以上待つことはできぬ」
エリオスは、ようやく口を開いた。
「つまり、今回の西部討伐を利用して、
戦線を領主の支配する領地まで一気に押し進めたいということですね」
国王は否定しなかった。
「西部は、その第一歩だ。
これ以上時間を掛ければ、さらに多くの者が死ぬ」
エリオスは傍らに立つ第三王子へ目を向け、僅かに眉を寄せた。
「西部戦線まで第三王子殿下を無事にお送りすることなら、俺にもできます。
ですが……」
一度言葉を切り、再び国王を見る。
「もし陛下の本当の目的が、西部領主の討伐であるのなら、話は別です」
第三王子が僅かに目を見開いた。
「……領主の討伐?」
エリオスは静かに頷く。
「西部領主との戦闘に、誰一人として安全を保証することはできません。
第三王子殿下が同行されるとなれば、俺は殿下の護衛にも意識を割く必要があります。
そうなれば、討伐そのものにも影響が出る。
焦って事を進めれば、犠牲になる者が増えるだけです」
国王はしばらく黙っていた。
「だからこそ、余はあの子を行かせる」
国王は第三王子へ視線を向けた。
「二人の兄は、どちらも戦場へ赴き、それぞれに功績を立てている。
だが、お前だけはずっと王都に残っている」
第三王子は俯いた。
「父上。僕は戦功など望んでおりません。
ただ、王都に残り、父上の政務をお手伝いできれば……」
国王は静かに首を横に振った。
「分かっている。
だが、お前が気にしなくても、周囲はそうではない。
いつか余がいなくなった時、臣下はお前をどう見る?」
第三王子は黙り込んだ。
国王は、そこで改めてエリオスへ視線を向けた。
「お前があの子の身を案じていることは分かっている。
だからこそ、余はあの子をお前に託す。
そして、西部についてだが……」
国王は西の夜空へ目を向ける。
その声が、少しだけ低くなった。
「どうしても避けられぬ敵がいるのなら、もはや遠回りする必要もあるまい」
エリオスは第三王子を見た。
その翠緑色の瞳には、未だ戸惑いが残っている。
分かる。
昨日まで、この青年は一度たりとも考えたことがなかったのだろう。
自分がいつか、本当の戦場へ赴くことになるなどとは。




